陸奥古事抄全

因果應報

世にありて衣食住の安住を犯しける侵魔の輩に報はるものは必ず至る因果應報なり。如何なる地領に占むるも外敵なくば内に障りあり。祖威を爭ふは代々の史實なり。雨の夜の暗さに馬を乘り入りて神の怒りに觸れたる賴朝、神木の垂枝に首を突かれ落馬ぞして死せるより鎌倉は身内なる權謀にて將軍安かる継君無く、遂にして源家は崩れ北條の執權と相成りきは丑寅に無念のさまよふ安倍一族の恨靈や、つきせぬ恨みぞ遺りぬ故因なり。

古事恨靈は百代に祟り是れを加持祈祷に及ぶとも抜き艱し。八萬諸聖教に曰く、理りは十惡の生殺・偸盗・邪滛・妄語・綺語・惡口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴にして八邪は邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪定・邪精進・邪念なり。歴史に興亡せる權政の輩は是の十惡八邪にて輪廻せり。

陸奥の國は國號をして古来より日本國なり。吾が國の古代にて一系の君主阿毎氏より安倍氏・安東氏・秋田氏をして累代し世襲に一系の芯を折らず流水風雪にも芯を立つる葦の如く、君民平等にして國創り、萬年に越ゆ處なり。安倍安國は津母化族が住みにし糠部都母の地に建立せし日本中央碑ぞ、國造り人造りなる成果なりとこそ願ひて遺しめせるものなり。

茲に東日流石塔山に遺りき古代なる石神の巨塔ぞ倶に遺りきは萬年美なる史證なり。古来より山靼との流通あり。ホロカムイの道とて人祖よりの往来になる交易道たり。人の通ふる道とてありきは地住の暮しに傳統遺りぬ。白神なる信仰ぞ山靼より渡来せる崇拝にして是にまつはる神々ぞ多し。

天然を神とせるに創り、石を築きて神とせる信仰に遺るは陸羽に多く、天地水の神靈を古人は感得し是を荒覇吐神と稱したり。稱名は常にアラハバキイシカホノリガコカムイと奉唱せりと曰ふ。

是の信仰の要は、神は人をして光陰を惡むこと平等にして人をして上下に造り給はずと曰ふ理りを大要とせる故に、人の和を長く保たれり。國ぞ富み民安かりければ、外朝の侵あり。武を以て犯すは士習なり。わが丑寅日本國を侵したるは常にして倭朝なり。此の國政ぞ民に平等なく人の階位を造り神を祖とせる王權の政にて、他領を犯すを武威賞讃の習ひとして都度侵征を陸羽に進め襲ふるなり。

然るにや廣き丑寅の國を征せるを叶はず徒に征殉をいだし耳なれば永く國交の断絶、睦みなきこと久しく、世に蝦夷とて遺しき故因を倭史に遺せり。陸羽に於て倭に交りなかりけるも、不断にして流通せしは山靼なり。倭人は是を赤蝦夷と稱せるも、智能に於ては諸事に抜きて秀なり。

馬産鑛採にては陸羽にその傳をもたらしめ、はるか紅毛人國の神傳を説き遺しけるも、倭人は是を鬼神として怖れたり。馬産の要は雄馬の去精手術をして秀馬を創るを、倭人は是を怖れおののきて生馬の血をしぼりて呑むると曰ひり。

紅毛人なる授傳にては、アッシリア王家ペルセポリス文字になるペルシア及びエラム更にバビロニヤなる言語になる聖典クセルクセス傳グデア王なる神典あり。亦チグリス大河に栄ゆメソポタミヤ國の古代神傳などあり。卽ちシュメールなるウル傳及びバビロン亦バボリニア傳更にアッシリアなるニネベ及びニムルドとアッシュールなどバベル塔傳ありき。亦瀝青の丘なる古傳ヅグラットら五千年前なる鑛金採法あり。リラに依れる楽譜ら、マーシュランドの唄など傳はりぬ。

葦になるマデイフとぞ曰ふ葦屋ぞわが古代人なる住居の創とぞ曰ふ。此の國ぞルガル神なり。是はウルクに住むる古人の神なり。ウルクの王ウルナシムの聖典ぞ土版に葦くきにて押書かれたる文字なるを、わが國にては語部とせる證ぞ遺りき。テメノスに納むる衣食住の要なせる物資ぞ貧き者に與ふるを常とし、王とて労に従事し神の他に人をして上下を造らざるは國造りの要なり。

わが國なる荒覇吐神像ぞこの國なる傳道に基くと曰ふなり。古代シュメール王國創國の神こそルガル神にて、わが丑寅日本國にもたらしたる山靼流通の神にて、それより是の神話を基としわが國耳ならずオリエント各國に及ぼしたりと曰ふ。その一に於て古代ギリシアオリンポスの神々、エジプトの神々、ノアの箱舟なる洪水神話、更にオーデンの神、クローム及びゲルマンのビーナス更にしてキリストのエホバ、浪商ムハメットの神、アラーに至れる紅毛人諸國の神々に成長しける故緣と相成りぬ。

ギリシア國なるアテネアクロポリスにそびゆる石築のパルテノン神殿、ペルシアなるペルセポリス。これぞサラミス海峽の海戦に依れるギリシアの勝利にてペリクレス民は國を挙げてギリシア神殿を聖なるアテネに築き、多くの學者をいだしぬ。ソクラテス氏、その弟子なるプラトン遺典、ペンデリ山より切出したる名材にて造れる神殿に遺れる古代ギリシアの神々なる刻像ら、パルテノン神殿の惡神ケンタウルス女神、アフロディテ、神々の王ゼウス、女神アテナを祀りきものなりと曰ふなり。

次なるは古エジプト遺跡なり。凡そ五千年前にフワラ王なる實在の王にて築かれしものなりと曰ふ。ラムセス王は自らを神と稱し王家の古墓ぞピラミットと曰ふ石積の參角型の墓神とてはホルスの神ソカール神・エズス神、エジプトなる古代都ロクソールに遺りきカルナック神殿跡ぞエジプト代々の神祀本處なり。アメン神はこの聖地なる神なり。亦日輪ラア神を併せ、アメンラア神とも曰ふ。南のベイト・エル・ワリ、北のタニス、ナイル川辺のアブシンベル遺跡ぞ壮大なり。エジプト聖典にいでくるオシリスの神は甦りの神とぞありて何れの古墓にありとも靈窓ぞ北斗星に向けり。

山靼より紅毛人國に入るは天山路・タクラマカン砂漠・崑崙山路、北路にてはバイカル湖・アルタイ山をカザフに入りてアラビアに至る路ありきも、古来より紅毛人は是を歸らざる路とて戦乱を脱し北の天地に安住を求むる路と曰ふ。ホータン・月氏の路にては、紅毛人の商道たり。バクトリアぞその驛にて、わが丑寅日本人のオリンポスへの巡禮拝道なり。とかくわが國より萬里の旅にいでたる古人の授持来たるは古代シュメールのルガル神・ギリシアのオリンポス十二神・エジプトのラア神・山靼天山の西王母神らその他多し。

この巡禮諸國にて世襲興亡の歴史ぞまた常にして因果は應報にありて慘たり。まさにわが國なる世襲に能く似たり。

寛政六年八月廿日
秋田孝季


右傳今稱に改むあり。

明治三十三年二月一日
和田長三郎末吉

山靼往来之事

鮭は萬里の大海を巡りて卵生の川に歸るが如く、古祖の子孫にも亦故地に歸命せるの念ぞ天授にあり。古人はその道に神を求めて往来すと曰ふ。山靼往来の萬里に續くる神への巡禮に出づるも、祖傳に子孫の果せる役目なり。人は種に異るは白・黄・黒の肌色にして、學びては智能の異ならず婚じては子の産れざるはなし。

國に境をなせるは神ならず、人の住みける國司の意なり。人心に十惡八邪のありて、睦みを欠き殺伐相起りぬ。天地創造より神は人の上に人を造らず人の下に人を造り給ふなし。睦みて併合せば國に境なく、戦ぞ起らざるなり。人は亦神をして己れのままなる信仰の掟ぞ作り人心を惑はす。

依て信仰の道と邪道あり。正法に遭ふ事難し。神ぞ人間の相ならず、天然の光陰なり。故に人の都合主義にままならざるなり。依って人は神と曰ふべく神を夢相夢幻に造り、論理を造りて布し神ならぬ自心を神に借りて説く。

石を築きて神殿を造り、神像を造りて神の對象とせるは甚々以て迷信きわまり無く、人衆を惑はすさま信仰をして戦乱の起りきは人住の國堺を造り、人の級位を造りて平等を欠きける世となれり。人心に依りて成れる何事の信仰、如何なる神とて眞になるは一粒の理りも無けむと覚つべし。天なる宇宙の創より神たるべきの存在は天地水に化をなして萬物を造り給ふなり。

人とて神なる子孫萬物のなかに一種生なり。依て神は人耳の救ひぞ與へ給ふ無し。人は信仰に道を求めて海山萬里を越えて渡りぬ。山靼路は水路に帆走り、氷雪にしべりて紅毛人國に至れる道便にありて、能く往来せり。亦紅毛人の歸化も多く、地人是を鬼人とて力ある人とし、荒覇吐神なる祭事に力士とて招務せしむ。

寛政六年八月廿日
秋田孝季

山靼西北巡禮開道

相撲及び民唄・民踊・狩猟・舟造・祝言・葬儀ら古期をして我が國に於て蒙古より傳へられたるに緣る多し。今に遺れる民唄の追分、舟造りなるハタ舟、狩猟なるマタギ、婚禮・葬禮なるをマグワイとやダミと稱するは古代モンゴール民なる諸法をして遺りき。

王たるとて大墓を作らず、一族に人の上下を造らず、一汁一菜とても相分にの人との睦み。古老を尊び、生命を重んじ、國に敵侵ありても利ありて防ぎ利非ずして避し、あたら人命を楯とせざる故に、和睦を入れざる倭軍に國領を占領さるは、今になる世相なり。勝者にして信仰及び古習にありき一切を消滅し、地住の民心を自道に改め、抜ざるを賊として誅し、總ての古傳を制へ無史なる國とせるは倭朝の謀なりせば、丑寅に遺りきは唯倭軍の征史讃談耳なり。

祖十萬年に及ぶる丑寅日本史ぞ今にして露も遺らざるは、是の如き制ありてこそなり。幾千年と仰ぎ奉れる荒覇吐神なる社の遺りて、古信仰を保てるこそよけれ。何れの日にか晴て崇むるの世襲ぞ至らん暁ぞ近し。荒覇吐神なる神條にてはその緣原ぞ深くして、はるかなるオリエント諸神に相通じたるを知るべし。

山靼なるブルハン神、西王母・女媧・伏羲神、更に西奥山靼紅毛人國なるオリンポスの神、オーデンのクローム神、ゲルマンなるビーナス神、エジプトなるアメンラア神、キリストなるエホバ神、ムハメットなるアラー神、天竺なるラマヤーナの聖典に相攝取せる哲理に存す。是の神々を巡禮せる古人は海を渡り、河に漕ぎ、雪に馬橇、砂原に駱駝を駆して至りて歸りたる者をカムイオテナとて導師とせり。

荒覇吐神なる要にしてその教導を多く入りにけるはルガル神なり。世襲と倶に我等が祖人は外教に入れず、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコを神とし、神たるは天地水萬物として自覚なしける。卽ち天なる大宇宙・地なる山野・海なる波濤萬里、是れ皆神なる相として神とせり。依て崇むる稱號を唱えて曰く、アラハバキイシカホノリガコカムイとぞ曰ふなり。

世襲は倭朝に依りて丑寅日本國は犯侵さるるとも、未だに息吹けるアラハバキ神なる社の跡ぞ遺りき處ありて、史證の遺りきはたのもしき。人組し群じて國民となりきは善惡ふたつ乍ら成長し自國に従はざる小國を誅し興亡の歴史はくりかえしぬ。

寛政癸卯年八月七日
秋田孝季

丑寅日本懐古

日本國中央東日流に起りき王政の基は、はるかなるシュメールの衣食住農耕に學ぶる多し。信仰ぞルガル神にして、人の平等を説き人の道とし崇拝されたり。葦を用いて家屋を造り風雪柵とせるは、今に遺れる遺習なり。

古人は能く天文に望みて暦を智覚し宇宙の運行を測したり。亦宇宙をして神と奉り是に伏羲神を當たり。人を造れし神を女神とし女媧神を當つる上に西王母を以て無上住王界を想定せり。依て土焼にて造れる古神像なるは乳房を施工せる多し。亦ブルハン神を水の一切神とし、オリンポス山十二神を大地の神とせり。

古きより鷲・鷹を神としてオシリスの神を當て、日月をラアーアメン神とせり。死に至るダミの神とてはソカール神を當たり。依て丑寅に遺れる古代神ぞ石神多し。神なる神界は北極星にして、次代の甦りに果す處とて古人の墓に靈窓とて北極に向はしめて造るなり。

然るに丑寅日本に遺れる、國司どる王とて墓無きはモンゴルに習へて、神なる地肌に忌はしき墓を造るは次世に人と生れ難きと曰ふ。神なる信仰の第一義にて、今に遺るはまれなり。倭王は好みて己が墓なるも神なる甦りを久遠に封ぜし思考にて、子孫に絶うるの兆なり。彼のテムジン王の墓とて地上に顯はさざるは、この故なりと曰ふなり。

寛政癸卯年八月二日
秋田孝季

古話集之序より

古き遠ける古話なり。是の國に人の渉無き世に山靼より祖人の来たるは、三十萬年前なる世のことなりと曰ふ。人の用ふるは石打って造れる石刃の他あらずして、ただ狩猟のみで山海の幸に渉りきて人ぞ諸國に分布す。

人満つて狩猟に得られず。人は幸處に占めて地侵を防ぐも力勢ありき者に征領さる𩞯となるべきを、農耕仕りて狩猟に渉らず地に居住を定めてより國堺をしてなせる國々ぞ丑寅にして百七十八ヶ國、坂東に五十六國、越に三十三國、倭に八十國、南海道に五國、出雲に六十國、築紫八十八國ありて、各々國主ありて互いに國を爭奪侵犯せり。

琉球島より南藩島より薩陽に移住し来たる外民、亦支那・朝鮮より筑紫亦は出雲・越州に移住し来たる外民ありて、地族を制して國造れるありきも、永代にして坂東より丑寅に侵入なきは丑寅に固き護りある、國併せし民族の王國ありてこそなり。

國號を日本國と稱し、百八十國を一國に併せし起農の民はアラハバキイシカホノリガコカムイの信仰をも一統し耶靡堆の落人をも併せて王國を創りたる故緣にて、是を荒覇吐族と稱し君主を建つる國とぞ相成りぬ。

丑寅の王國にては諸住の民を嫌はず支那珂耶族、朝鮮のクヤカン族、山靼の諸族や紅毛人までも入れたり。古きより王奴の制造らず。神は人の上に人を創らず、人の下に人を造り給ふなしとて古代シュメール民の傳ふる制を以て民の平等を以て國を創れり。

寛政癸卯八月三日
秋田孝季

理學解之事

陸海は大きく覚へども宇宙の一粒なる星なり。地に空包あり水包ありて気流水流、日輪の光熱に右左、赤道を堺に動ぜり。亦地球は右轉に一向して廻るが故に日輪常に東方より昇日す。日輪に廻るは九星にして、地は第三星なり。

宇宙は果なく星界を生滅して擴むと曰ふ。寒暗の空間無限なりせば、暗黒に物質起動起りて光熱に爆し、日輪の如き諸星・暗き寒冷の星、亦岩石の星・塵、宇宙に漂ふは宇宙なる重力作用なり。星の死は爆裂なり。天喜の年に見られたるが如し。

日輪も逝きては爆裂して宇宙なる塵とならん。ときに於て地界の如きは光熱を失いて萬物生滅のときなり。地界は日輪に近きが故にその爆裂に従砕せる可能就分なり。

次に生々萬物の事なり。地界誕生以来、生々萬物は成長しけるなり。人とて地界の一類なる生物にて、諸生物より智能のあるべき故に多生し、住地を占めり。然るにや人の生々なるも天地の生命にくらぶれば一刻の間に、久遠なるはなし。

寛政癸卯年八月三日
秋田孝季

五王部之民之事

抑々吾が國の往古を尋ぬるに、はるかなる山靼の諸系の民に傳統せし古事来歴に基くる諸事に選習さる多し。五王とは古代山靼紅毛人國に起りける王政の事なりて、是を故人はシュメール國司法とて尊重せり。東西南北に國司を置きて國の中央に大司國主を為せる五王の政なり。

五王の本に部あり。人の衣食住に要なる職工を置けり。是を部の民と稱し、古よりの傳法を記す語部、衣を織り為せる織部、諸具を造り為す工部など四十八部ありと曰ふ。國に外賊の犯すありては、民皆兵にて是を防ぐる挙兵となりぬ。是の故に倭國の侵領に永く耐えたりと曰ふ。

荒覇吐神祭文に曰く、古にしき歴事に傳ふ、この國は日本國と號け給へきは耶靡堆より来着せし安日日子王の國稱なり。我が國は葦ぞ豊茂し、住居とて雨雪に笠なしける民住の家を為せり。

國を東西に大河あり。是を日髙見河と曰ふ。北より岩木川・安日川・代禰城川・雄物川・最上川・鳴瀬川・阿武隈川・阿賀野川・那珂川・利根川ありて國の護濠とし、陸羽連𡶶を以て國の楯とせるなり。三方を大海にして舶路をして世界に通ぜる天惠の國土なり。民等しく崇むる神とて荒覇吐神ありて信仰を一統なせるは、民を併せ神を併せたる國法に依れる者也。言に一言なれど行ふは難きに、五王部の民能く是を保つたり。

寛政癸卯年八月十日
秋田孝季

山靼流通に開く

吾が國の古きより山靼に流通せるは世界なる視窓に於てはるかなる紅毛人國の國史を知り得たり。世代の倭朝及び幕府の司政に受入れざる流通なり。

その往来、氷河・山道・砂原にありき長路なれど古人は智覚を求めて萬里を往来して得たり。依て彼の國より傳はりき神なる聖典にありてはシュメールなるルガル神、ギリシアなるカオス神、エジプトなるラアアメン神、エスライルなるエホバ神、支那なる西王母神、朝鮮なる白山神、モンゴールなるブルハン神を入れて荒覇吐神なる吾が國神の骨格肉付通血を為して、民族信仰に不可欠なる信仰を一統せり。

古きより紅毛人の智能髙く亦忌しき戦爭も絶えざるは人の智愚に依れる者なり。吾が國は諸異土の優れたる耳を入れて、忌しきを抜きて神格を創りぬ。もとより神とは人の心にぞ生じたるものにして、眞なる神は宇宙の一切・大地の一切・水なる一切に要素あり。人の創れる像や聖典に何事の靈験も顯れざるなり。神を崇むるの心は天地水の化に依る一切なり。

神は人型に非ず、亦人の智能に得ること難きなり。萬物の生滅時の移れる命運ぞ神なる掌中に在りて、人は自から運命を右左する事難きなり。然るにや人は信仰に物足らずとて徒らに神型を造り、人師・論師をして神なる聖典を作りて人心を誘い惑はせる多し。

今世に遺れる信仰ぞ如何なる大宗の教とて眞の救済に遠く、亦その聖典とて誠の理に遠し。依て心の眼を開き神とは何ぞや、信仰とは何ぞやと心に迷想を拂へて人たるの本来を失ふ事なかるべし。

寛政癸卯年八月十日
秋田孝季

葦談議

吾が國に豊茂せる葦ぞ流水風雨に芯は强く、古きより葦を住居に用いたり。葦屋とは一本の木支を用いず、葦束を柱とし屋根とし外壁とし支切とし、古葦は焚火と用ゆるに、一本たりとて無駄になるはなかりける。

葦を用ゆる住居造りの古けき法は遠けきシュメール・紅毛人の傳達なり。古き神話に曰く、ルガル神は農耕を人に傳へたる神にて人は集りてこそ生々成れるを告げたりと曰ふ。ブルハンの神は北の神にて、カオスの神は西の神なり。南の神はアメン神にして、東の神は西王母なり。その中央にチグリス川・ユーフラテス川なるはシュメール國にて古きはルガル神なりと曰ふ。

吾が國に渡りきは翼獅子の戦起りしときに来着せし民あり。是を稱して鬼人と號くるはシュメール人の事なり。葦原の民なれば地民に住居造りを教へ、葦を以て衣食住の暮しを安からしめたり。地民は彼の神ルガル神をヌガルの神とて、葦の豊茂せる地を今にしてヌガルと稱せしはこの故なり。東日流にてはカオス神を十二山神とし、アメン神を稔の神とし、ブルハンの神を水の神とし、西王母を白神とせり。

この五神を併せたるはアラハバキ神なり。古来より地神に宇宙なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコの三神ありて、是れに他神を併せしことぞなかりきなり。

寛政五年九月七日
和田長三郎吉次

聖地崇神之事

山靼より第二移民の津保化族がジパンの神とて石を運設して築きけるは中山なる石塔山の塔なり。ジパンとは津保化族が名付けたる東日流の古稱なり。石塔はルガル神・ブルハン神・カオス神・ラアアメン神・西王母神ら五神の他にイシカ神・ホノリ神・ガコ神を築塔せり。凡そ五千年の築神古事なり。

今に遺れる石塔ぞその遺跡なり。此の聖地ぞ東日流に背なせる連𡶶にして東に内海・東大海を望み、西に西海、北に玄武の海峽を望むる處に在りて、神聖の地に選ばれしは津保化山の麓澤にて、十年を經にして築塔せりと曰ふ。

代々をして祀神も異ならしむなく今をして荒覇吐神とて祀り、更にして修験道場とて役小角を祀り、阿毎氏・安倍氏・安東氏・秋田氏・朝夷氏の古墓を設し遺りきも世襲のさまなり。安倍安國は東日流に石塔山、南部に安日山、秋田に大平山を聖山と定め、人の入𡶶を禁じ天然のままに靈地靜寂を護りたり。

是ぞ今にして祀事一切不変にして人を集むる祭行事ぞ一族耳なり。

寛政癸卯年五月三日
和田長三郎吉次

渡島エカシ之話

北に流る天塩川・渚滑川・湧別川・常呂川・西別川・風連川・釧路川・阿寒川・浦幌川・十勝川、南に流る冠川・沙流川・千歳川、西に流る雨龍川・尾別川をして渡嶋國は四海に千島・利尻・禮文・焼尻・奥尻らの島を従へて國とせり。

名髙き山にては大雪山・函岳・羅臼岳・斜里岳・雄阿寒岳・雌阿寒岳・喜登牛山・石狩山・十勝岳・芦別岳・暑寒別岳・芽室岳・幌尻岳・神威岳・夕張岳・手稻山・余市岳・惠庭岳・二部卆山・宇部參毛山・辺手狩山・楽古岳・豊似岳ありきも、是の山に古傳ありき。

閉伊なる國に康平の乱に敗れたる一族にて豊間根と曰ふ豪士ありて十二神山の安倍氏とて系ず。平治の年、豊間根宗季と曰ふ屈强の豪士、志を立て日髙のエカシ、幌泉のコマルソをして兵を挙し源氏を崩滅せんとて渡島より坂東に向はむとせるも、十三湊にて安倍貞季に是を留められたり。渡島より兵をいだせば倭侵を招くありとて叱責さるに思い改む豊間根氏、渡島挙兵の地山を豊似と號けたりと曰ふ。

羊蹄山・乙部岳・大千軒岳にて大湖なるは左呂摩湖・屈斜路湖・風蓮湖・阿寒湖・然別湖・支笏湖・洞爺湖・大沼の景勝ありて、原野擴し。渡島エカシ八百六十四人、是を束ねるは五十人のオテナなり。

寛政癸卯年八月廿日
秋田孝季

史實眞偽考

世に遺りける諸話に神話・童話あり。亦、芸話・作話をなして語るは史に非ざるなり。亦史實は遺り難く、作説に遺る多し。まして吾が丑寅日本史は是書をして史實を記し置くも信じ難く、疑ふの者ぞ多かりけくは永く世襲の制に染にして、他色を馴まざる念に存す。

心して我が遺せし是の史書に心を砕くべし。倭製なる古史ぞ内外なる神話作説をして信じべきに足らざる多し。

寛政癸卯年八月廿日
秋田孝季

山靼に史原ありき

人の渡りき故地・時代をして史に遺れるは、丑寅日本國と倭國と大いなる相違ありき。永きに渡りて倭との交りを断って睦まざる故は、歴代なる民心の相違あり。國司一切にして地條及び祖習をして西南に馴めざる楯越ゆなきに存せり。

不平等なる奴従の暮し、自在なき生々は古来陸羽の人心に入ること難し。依て故人は道を山靼に求め、更に紅毛人國までも求めたり。諸智得る吾等を蝦夷とは何事なる奸言ぞや。

寛政癸卯年八月廿日
秋田孝季

生々に語る

生を世に受けにし一刻より、人生は常にして死を背に安き事難き世襲に生涯をさらし、人に生ぜし證しを遺し逝く。事に成ぜし者成ぜらる者、人は世に出遇ふる人々を友として各々逝けり。

人世に遇ふる者をして各々運命あり。自からを決断し改め亦學ぶるも、明日に睦むる交ありや。善となるや惡となるや、人世の謀り難し。權にありき者のままなる定法の神ならぬ曲折、罰罪の天秤の等しからざるを、神は赦しまず。いつしか亡ぶるは實に以て人たる自業自得なり。吾が丑寅なる國にては日本たるの國號までも奪はれ、日輪が西より昇りたる如き國史の作説ぞ赦しべくに非ず。日輪東昇の實史に復しべきなり。

寛政癸卯年八月廿日
秋田孝季

流鬼國號残照

吾が國列島の北限に存せる流鬼國ぞ元永己亥年、卽ち北宋の宣和元年・契丹の天慶九年・金の天輔三年に安倍太郎尭秀が吾が國領なる宣を布し、地民長老宇賀呂敷と國併之約をなしけるに日本國領とて統治せり。

流鬼國は玄武岬・海豹岬・白氷岬・大鷲岬の四岬を以て成れる國なり。山靼に海峽し黒龍江の水戸に流氷の原をなす。古来より南北に古道ありて是を日北道と稱し渡島渡道とも稱したり。四海、海幸に富みて森林深し。山野・海辺の狩猟に事欠かず地民、山靼往来を常とし、言語四十一族に相通ぜるあり。吾が國の山靼交易に通辨を傳ふる仲代語りを請くなり。

寛政辛丑二月一日
和田長三郎吉次

山靼しるべ 第三之道

山靼に往来せるは黒龍江を舟登りて千陀にたどり、ブルハン湖に至り、蒙古國を天山に至り越えて伊蘭に至り、シュメール・チグリス川・バグダットにルガル神遺跡を巡禮す。更にトロイアに向へてギリシアオリンポス山に登りて十二神祖カオスに靈拝し、ローマに渡り諸擴く紅毛人國なる遺跡を巡り、海路をナイル川にたどりエジプトなるラアアメン神なる神跡を巡りて、ケナより紅海にいでむ。

クヤイルより船にてアカバ海に上りてエルサレムに至りユーフラテス川を降りてシュメールに至りて、天山に歸路をたどりぬ。天山よりは元道にて黒龍江に至りて流鬼國に至る。

此の道程を五神道とて、ブルハン神・天山西王母神・ルガル神・カオス神・ラアアメン神の利益道とて、古きより巡禮為せり。

寛政辛丑年十月一日
秋田孝季

山靼旅歌集

黒龍が白龍とならむ河と稱されき。川舟に朝夜に帆走りて詠む。

〽満達の國を舟觀て肌寒し
  興安嶺に夕日燃ゆも

ブルハンの神鎭む大湖にて詠む。

〽住人ぞ吾れに似たるる祖國の
  崇むる神はブルハンカムイ

西王母足を洗ふる天池に桃華の香も無く吾れも手足を洗へて詠む。

〽西王母仰ぐる相天山の
  天池清し西の道はた

メソポタミヤ國チグリス河・ユウフラテス河なるメソポタミヤ・シュメール古跡にルガル神を求む古跡にて詠む。

〽世に古きルガルの神を地に伏して
  熱砂は鳴りき神告覚ふ

ナイルに仰ぎみる石神に詠む。

〽靈窓を北に開きて魂を
  アメンの神に祈る逝人

エルサレムにてキリストなる神話を古老に聞きて詠む

〽十字架に聖りを付くるままにして
  エホバの神ぞ今に道説く

ギリシアのオリンポス山に詠む

〽神々の世に為す山ぞオリンポス
  カオスの神は星といでゆむ

トロイアにて古事を聞きて詠む

〽何處とも遺跡は荒れて相なく
  トロイの神跡夏草いきれ

寛政七年六月十日
和田長三郎吉次

紅毛人國懐古

青きことエイゲの海にて、地は白き石くれの畑にもオリーブの實・ブドウは稔りて、人は乳香をかぎて汗臭を消す。何處たりとて古き戦史の古話に満つ國の興亡ぞ激談に開く。

紅毛人、智をして秀なれど史談にては阿鼻叫喚たり。我が國なる倭軍陸羽への侵領の如く、人命何ぞ衆に輕んじ、王宮華麗栄華の放湯同じける。古き神に信仰なく、地衆は商人なるムハメットなるアラー神に拝伏し、大なるキリストの十字架に念ぜるは今になる信仰の勢襲なり。卽ち今にして地の國王をして、商人の創りし神に信仰してやまざるなり。

一人の信者もなき古神の神殿。その古都はただ荒廢し露天に故王及び神像の石片に崩れし跡ぞ哀れなり。紅毛人は戦を以て國を征し、敗國の民を人ぞとせず重労に鞭打てり。敗國の神を神とせず、その巨財耳を奪取し己が神殿に改供ふるは今に変らざる行為なり。依て古神は報復しいつしか罪障に輪廻の法輪、暫くも回轉をとどむなかりき。

紅毛人國は先なる智覚にあれども、智覚の故に戦事を兆す。是は山靼・蒙古・支那にても例を見ゆも、古人の遺財を崩じべくは神なる救世ぞなかりきなりとぞ想ふらん。

寛政七年十月一日
和田長三郎吉次

靈は不滅なりき

人死しては生體より重からずと曰ふ。卽ち靈重の重きの分ぞ抜けたる故なり。靈の行方ぞ萬山・萬海も一瞬に透し、至瞬なりと曰ふ。

神なるも百年に拝むるを廢滅せば、その祟りぞ百代子孫に及ぶとぞ曰ふ。靈は相ぞ無けるも被者蒙業に人なる祈禱、人なる定法とて何事の験非らずと曰ふなり。

靈となりては力を以て抜れず、己が犯せし相應の何幾住とて、報復さるると曰ふなり。

寛政七年十月一日
秋田孝季

心正しからざれば甦生に異生す

生死は體骸耳なり。人と生れ世にありて人たるの行に心添はざれば、その業報にて神は人をして新生の人體を与ふなし。追へし者は追はる者に、喰いし者は喰はるものに、生を異にして生るなり。死して天國や地獄ぞあるべきもなく、靈は卽生し、我昔の諸惡業に天秤を計らる。

神の裁きにて萬物の何れかに生を甦えす。語らざる草木とて靈あり、魚・貝・虫・鳥・獣物とて靈あり。人間とて靈相の特異に非ざるなり。罪は現世に造られ、裁かるは神ならぬ人の裁きならずして、甦生をして裁かるなり。人をして生ずるとも、その命運に裁かるは、異相に生るより尚苦しめりと曰ふ。古より悔ふるは救はるとぞ曰ふ。その悔とは信仰に非ず、法力に非ず。
(※以下欠落か)

陸羽金鑛之事

米代川上流、尾去澤なる産金をして倭侵を招きたるはなかりきも、和賀金山・閉伊金山をして藤原三代に費したる産金をして源氏は倭朝と謀りて平泉に二十五萬の兵馬を挙しその藏金を奪取せしは、柳御所に二十貫を得たる耳なり。

源氏をして安倍氏を討伐せしも一貫の藏金も得られざるは、安倍氏の事前なる智覚にて敵手に渡るなし。安倍氏をして戦起りては、諸山秘洞に穏藏して一族の再挙に遺すを事前とせり。安東一族にして亦故祖なる遺戒に心して護りたり。

依て源氏にして巨萬にあるべく安倍軍金を子孫にかけて是を奪はんとす。安倍一族厨川に敗るとも、子孫は安東と改めて再興に速きは穏藏金の故なり。その資力故に安倍氏の系は、太古阿毎氏の代より萬世をして君主は一系ににして絶せるはなかりき。戦に内訌に津浪に亦火災に再興に速きを、古今にねらふは源氏に緣る南部氏なり。東日流に安東氏を討ってその穏藏金を得んとて幾十年に渡る攻防に安東氏は東日流を放棄せしあとをその穏藏金の行方を各處に探るも得られず。

安東氏は不死鳥の如く、飽田に地領を再興せること速きなり。依てその秘にありきは誰知る事なき秘策ぞありて、未だその残穏處秘に穏藏せし秘處ぞ巨財にして陸羽にありきと曰ふ。日髙見に土穏る黄金の塊を積みければ山靼に吾が國十倍になる國領を得ん、とは安東貞季が辨なりきと曰ふなり。

寛政七年十月一日
秋田孝季

川辺氏金穏藏傳

安倍賴良の重臣に川辺左衛門あり。賴良在生の砌り、和賀金山・尾去澤金山・閉伊金山の秘鑛を奉行せり。その穏金藏二萬貫にして、千間洞に閉くと曰ふ。

川辺氏この金塊をして安東舘に移しむに六年を費經しと曰ふ。亦藤原氏に奉ぜしは五千貫、平氏に奉ぜしは三千貫と曰ふもその後なるは世に知らざらりきも、貞任山に亦太平山に亦は亘津保化山に秘ありとも、定かならず。川辺一族をして未だ秘護に固しと曰ふも、天明なる三春城の火事に献上せりと曰ふ。川辺氏とは秋田に住ふる後、和賀に移りきあとぞ未だ尋ぬる行方知れざるなり。

寛政七年十月三日
秋田孝季

安倍氏武具師之事

戦に備ふる討物なり。安倍氏にありて武具師の流に弓箭師・鍛冶師・鎧師・馬具師・柵大工・濠堀土方ありて卽設す。軍師ありて地型・地物の要害に柵を築き、穏道・誘敵砦を築きて戦謀密たり。戦に臨みては皆兵にて気强なるは女人たりとも、兵に添ふを旨とせり。

縦らに城を護りて死守とせず、戦に利して籠り、萬策不利なれば退きて敵を備に誘う。囮兵をして敵軍後方なる糧陣を襲ふて飢はしむるも策なり。降ると見せて討つ、退くと見せて討つも軍策なり。地に退きし道々に蒔釘を散らす、敵足馬蹄に害すは安倍氏の創案なり。楯を犬股に置きて弓箭の射易くせるも安倍氏なる戦法にて、逆茂木の置方に敵侵叶はざる陣設も然なり。

立木に細帳金をして敵なる騎を無手傷負しむるも戦法にて、立木倒しきをせず、切込み置きて敵寄せて倒るからくりも戦法なり。馬に飼草をせむ敵陣の辺に毒かけて敵馬を殺すも策なり。河に水潜の逆杙をなせるも策なりて、源軍是の兵法に多く殉ぜり。安倍氏が兵法に曰く、小敵は强し大敵は衆勢に便りて不意攻めに弱し。

夜敵陣に攻むるは敵馬を事前に追放すべし。敵なる探者に断じて騒ぐ勿れ、油断と見せて誘敵しその襲に備ふべし。楯垣の内に火焚きて本陣と見せ、敵侵の左右後に伏陣して不意を突くは不敗の策なり。弓箭を射手は三段にかまへて射間を長ずるべからじ。矢継速たれとは安倍兵法一説なり。

寛政七年十月三日日
秋田孝季

安倍兵法陣取之事

柵の造りを濠の内とし、一重乃至三重に設しべし。戦に至りては城外に斜組の逆杙を廻らし逆茂木の間に空けて八尺の穴を掘りて底に逆杙を施し草蓋をどんでん返しに造りてからくるべし。是ぞ投じては必ず死に至らしむなり。

亦濠にては鐡釘を内淵に施し、犬走りに投石を備ふべきなり。投槍は眞槍ならず先針にて鐡先し、犬走りに備ふも策なり。見告の報に目を配り敵情を覚りて楯垣に密むべし。敵至らば寄るを待って討物を取るべし。あわつべからず。一槍を仕損ずるは蟻穴を擴ぐ因となりぬ。石を投損ずるも亦是の如し。

城は攻むるより護るは難し。火攻めあらば敵の火箭射る者を射よ。火箭に備へて射程の至らざる處に舘を築くべし。是ぞ築城第一義の條なり。杙護保たざればくけ穴をして脱し、徒らに死者をいだしべからず。抜けて敵にまわりて後、城を焼くべし。敵、勝得たりとて城邸に入らば、前後を突くべし。是の兵法に敗れたる験なく、必ず心得て仕るべきを遺しけむ。

寛政七年十月四日
秋田孝季

自然なる尊重

鉢に草華、木を植ふる。人の手になるは、天然なる生物の私に縛せる行為なり。籠に鳥を飼ふも亦然なり。華は手持自在なる鉢ならず、大地に植ふるこそ華の精ありぬ。

天然なる寒暑降露、咲ける華こそ生々自在なるかんばせを放って次種を産むこそ尊けれ。鳥獣も捕へて飼ふるは、自然の法則を私にせる罪なり。鳥は空に飛び獣は自然に走りてこそ、天然の調和相保たるなり。

まして人、尚の事なり。親をして不孝なりとそしるより、孝に育つべく不断の己が行為を、子は心に善惡を判断すものなれば、親をして自からを諸行に戒を敗る勿れ。人は自然なる鳥獣の生々に注目を心しべきなり。鳥の巣立つ、獣の乳離れに過護なし、刻は命の生老病死を運命し、人の智をして久遠なる生命の保難は世の常なりき。生死を遺る萬物の世にあること天長地久にあるべきと曰ふ神祈の行も空しかる行為なり。

神をして救はると他力に本願せること、その實態をして夢幻なる架想なり。神を事實に當て見つるならばや、天然自然推移なり。明暗をして輝き照らせる日・月・星なり。萬物を地肌に育む大地・大海なり。依て一刻の光陰も空しくせず、人生悔ゆなく生々し死を怖る不可。

寛政七年十月七日
秋田孝季

流鬼國エカシ選令

渡島日髙のエカシ、オクムカエンは安東太郎尭季と倶に流鬼國に相渡りてエカシ十人を以て國治を選令せり。エカシの證とてタンネプ一振り・イコロ一着を賜り。越前下坂・陸州寶壽らの作刀なり。

北流鬼國司シマンツム五十才、西流鬼國司オロロカシマ四十一才、東流鬼國司イトシロマエン五十才、南流鬼國司イトロムエン三十八才を以てオテナとし、ウシケシを主政處とせり。今に曰ふ樺太は安東尭季によりて國領とさるるも古事に於ては地人タクネピコロの島と曰ふ。

三岬を鹿角崎と名付けたる尭季の前稱は地語にしてエムシアツと號す。元國にては龍角島とも號けたるありけると曰ふ。

明治己巳年五月二日
和田長三郎末吉

陸羽崇神之社稱

鑛神

白雲大明神、
白山神、
白髭明神、
荒吐神、
白鳥明神、
白狐神、
赤倉神、
多陀羅神、
眞鐡神、
鑄鑛爐神、
洗金水神、
九首龍神、
仙人大神、
大山大明神、
大山四神、
大山地底神、
山海震神、
大山火噴神、
大海底火噴神、
大地石神、
大海石神、
大爆噴大神、

産神

鳥海とみ神、
八龍神、
金神、
荒神、
駒神、
金精神、
御白神、
毗畔神、
馬牛神、
大山犬神、
大山祇神、
安日大神、
マギリカムイ

以上は陸羽諸處に祀らる神々なる社多し。古来より神を祀るとも神殿を建るなく、神たるを自然聖地に選びヌササン耳を設け祭事をなせるは吾が國の古習なり。神の靈は天地水一切なれば人をして像を造り社殿を築きて祀るとも神靈を招き難し。故に天然に害せず自然に習へて祭祀を為せるを旨とせり。

神は人の意に請に應ずる無く、萬物總に平等たる光陰を施し給ふなり。平等卽ち人をして神を祀るとも神は人の上に人を造らず、亦人の下に人を造り給ふなし。神は生々萬物一切の父母なれば、その光陰に特惠なる天授の非らざるなり。能く覚つべし。崇神の誠は神を敬ふる心なるべし。

寛政六年三月廿日
秋田孝季

結言

東日流諸史之文献は山靼及び支那に參照せしものなり。亦重要なるは東日流語部録に依れる多し。抑々此の史綴は世襲をしてはばかる多し。依て秘に藏する文献多きが故に公に表せざる多く、實史なれどやむ得ざる實事なり。

寛政二年より大正六年に至る子孫五代に渡る史書探證、吾が一生を以て再書亦は實書保存も、明治十五年自由民權の断圧にて本史の主筋を欠きて、丑寅日本史を葬りてなせる皇國を造り、神皇正統なるを作説に益々偽光を衆心に惑はせり。

茲に後世なる世襲に世光の浴せるを信じ、遺史大事として秘藏仕るものなり。後々は子息長作に委ねて、余命幾無き拙者の願ふる處なり。

大正六年一月一日
和田長三郎末吉

神願請文解

仰ぎ願はくは大宇宙創造の神荒覇吐神よ、世に信仰を奉る丑寅の日之本眞證史實を護り給へとこそ請願し奉る。萬物を人とともに護り給へと、添へて天下泰平を久しからむを祈り、茲に人の生々平等ならん自由なる權政の至らむを神の御心に達成あらおば、全能なる荒覇吐神に曰す。

丑寅の日本國は基なる國號にて、倭史にあるべき夷國にあるべきもなし。總てに於て倭史に依りて丑寅史は放浪せり。神なる蘇生は黒き無明の母體なりて、明より誕生せるなし。神の起れるは暗黒なる無限の物質に重力起りてこそ爆明して誕生す。爆明起りて大熱起り、茲に陰陽起りぬ。卽ち陽は光熱にして、陰は無限暗黒なり。日月星はかくありて宇宙に誕生せしものなり。

神とは重力を父とし無限なる暗黒を母として、陰と陽に化をなして誕生せるが故に宇宙は成り、萬物の生命は成れるものなり。依て神なる相は暗黒に在り、明熱に存す。天地水はかかる神業にて成れるものなるが故に萬物は何れとて生死の輪廻を免るもの一物とてなかりける。人心にて神像を造り神事の法を造るとも是れぞ神なる實態に遠し。

神を曰して心に信仰を崇神せるの一義は先づ以て暗黒無限の空間に起れる重力を覚るべきなり。是の重力こそぞ神なる明暗の實體にて全能なる萬物蘇生の實態なる理原とぞ覚つべし。茲に信仰の誠を示顯せるものぞ天地水に心を盡して萬物の成れる天然ぞこそ神なる相とぞ想い覚りてこそ眞實なる信仰の誠なり。依て人心をして造れる神なるは皆無にして、その神事とて何事の顯る事亦皆無なり。明中に明を以て暗中に暗を以て心に覚つこと難く、是の如き理りに覚つ他に眞理はなかりけり。

抑々宇宙とは無限暗黒を連ねたるものにして是のなかにこそ日月星の成れる重力ありて明熱を起せる原理ぞありと覚つ。亦是を神なる起原と覚つべきなり。吾らが大祖をして是をあらはばき神とし、天なるイシカ、地なるホノリ、水なるガコの三要にて萬物生命の住むるべき世界ありとて今に傳へて神格せり。

寛政五年八月廿日
和田長三郎吉次

祖訓之事

丑寅の國日本國は祖國號正傳にして、倭國とは古きにも先なり。阿蘇部族たる十萬年前、津保化族なる七萬年前より地に住みける。人祖の故地は遠き山靼國より渡り来たるものなりせば、因より倭人と種を異にせり。

依て永く染むるなく、衣食住一切にその習々異にせり。故に神を信仰に以て根本より異なるなり。丑寅日本なる神格と信仰に於てはその衣食住に於て人の心に祖訓とて傳はりきは、神は人の上に人を造らず人の下に人を造り給ふなしとて人と人との睦みを要とぞせる故に國主とてその生々に平等なること天秤の計に狂ふることなし。

茲に世代の神社をして亦その城舘をして民々主々にして異なるはなし。卽ち山靼より大祖の移住さながらに正傳さるままなるものと覚つべし。國主をして成れる丑寅の日本國は耶靡堆の國より乱を脱して来住せる安日彦・長髄彦とて此の地習に染習し、茲に荒覇吐國を建つるも人を異にして上下に級を造らず、世々その大旨を民政に傳統せるは語部古傳に遺りけるなり。

安日彦王は東を、長髄彦王は西を國治せる名残りとて今に地名とて遺れるは、東なる荷薩體の安日あび山にして、西なるは鳥海とみ山なり。鳥海とは長髄彦王が事なり。王位代々を荒覇吐王と稱し時王の稱せざるも祖傳なり。亦王をして大墓も造らず、平氏と異にせるはなかりける。

寛政五年八月廿日
秋田孝季

由来不祥之神々

陸羽の各邑々に由来不祥なる神々あり。その多くは石神にして自然石多し。鬼神とて祀るるも、古にして荒覇吐神多し。鐡を採せる處に存在せる石神なるは古事尚荒覇吐神に在りきを覚ゆなり。

鐡神とて鬼と祀るは通常なれど金銀銅山にも等しかるべし。多くは後稱に號く多けれど、玉津姫神、鍛冶神、須佐之男命、大物忌神、吐鐡兜神、荒神、金神、大己貴神、白髭神、峠神、金勢大明神、足尾神、倉稻神、塞神、建御雷神、經津主神、大年神、大雀神、火辺神、稻荷神、九尾神らありて、是れぞ後稱なるは明白なり。

凡そはイシカの神にて他稱は後付名の石神なりと覚つものなり。

寛政五年八月十日
和田長三郎吉次

終章に曰く

走筆いよいよ以て眼につかれ本巻をして後筆は相留むなり。

明治二年より永年に渡りて祖書を再書仕りて老令をつくして古紙應用も貧きが故なり。然れども是にて祖訓に悔の遺はなし。いつ世にか世に出でむを心に念じつゝ天下泰平の地久あらんをば祀願曰し仕りて筆走を了しものなり。

大正六年二月二日
病床にて記す
和田末吉

追而
越後屋殿の古紙進呈に禮を逑置候。

後世に相告ぐ

此の書巻は現の世襲にありにくし。いつ世にか丑寅なる日本國史の實證に相成ばやと茲に念じて家軒に秘し置くものなり。他見にせること無用なり。亦門外不出と心得べし。

必ず心盡して護るべし。人生は貧しくとも心に葦の芯を保つべし。弱しく見ゆれども、葦なる芯は强し。依て此の藏箱に芯の一字を遺し置くものなり。能く保つべし。常にして水火の用心に本巻箱を護るべし。

大正六年二月二日
末吉

大正六年二月二日
和田家藏書