北斗抄 廿八
開本注意、冊本在中。
(明治写本)
注言
此の書は他見無用にして、門外不出と心得よ。一巻の失本もあるべからじ。
寛政五年七月一日
秋田孝季
諸翁聞取帳
和田吉次
序言
諸翁聞取帳は、古来安倍一族に縁る古老の家傳・遺物・文献・傳統を書㝍または聞書たるものなり。依て諸種々様々異聞あり。倭史と噛合はざる多しとも、敗者の傳に歴史の實相多く、謎たるはなし。能く是を讀みて、倭人に隠さるゝ歴史の實相を知る努力あるべし。
もとより奥州をば、白河以北は一山百文たるの卑しむる他に何事の讃美もなき奥州なれば、蝦夷とてたゞ征夷の記逑耳なり。化外地・まつろわざる蝦夷とてあるのみなり。本書はその採障の為に起筆せり。
五年二月月六日
孝季
第一章
日本國之誕生
坂東の安倍川、越の糸魚川。是を横断せる山嶽地溝帯なる、往古に於て海溝たり。依て、地層土石中に石と化せる海生の、能く見當るるなり。語部録に日本國開闢の事ぞ明細ありき。倭史に曰ふ神の造り給ふ神州に天孫の降臨せる神話に、相違せる日本國の創立ぞ、倭國をはるかに先度たり。西海に面なせる國を熟國、東海に面せる國を麁國、北海に面せる西半島を東日流國、東半島を宇曽利國と稱したり。是れに渡島・樺太・千島を併せて日本國と號せり。民族七種ありて郡、七國併せ八十八郡あり。各郡に長老ありて國治せり。エカシと曰ふは是なり。大王は長老に依りて選ばるゝなり。大王の下に副王四人選ばれ、國の東西南北に配せり。
郡にありき長老は國治の一切副王に奏上し、副王是を大王に奏上し、諸事を議して決せるも大事たる。大王及び副王の選出は、全國域にある長老にて決せり。國に侵敵あらば、民皆兵にして是に當り、反忠・脱遁の者は掟に依りて千島及び樺太に流刑せり。日本國にての罪人は、如何なる罪業深き者とて死罪とせるなし。罪の輕重に依りて、千島を更に艮に、島順流罪あり。最重の者は神威茶塚に流罪と相成れり。重罪の他は長老の寄り合に判断を委ねたり。丑寅日本の國神とて荒覇吐神を一統信仰にせるは、長老等の推挙たり。山靼より此の國に歸化せるイタコ氏・ゴミソ氏・オシラ氏の三氏を以てなせる占法・靈招法・祈祷法は地民に馴みて流りぬ。更には、語印とて傳へたるも山靼人なり。山靼人とは西の人、シキタイ・モンゴル・オロッコ・オロチヨンをクリル山靼と曰ふ。
ギリシア・シュメール・トルコ・エジプト・アラビア等を紅毛山靼人とて曰ふは常なり。山靼人とは、人に依れる國境なく、人種を問はず、人類皆商交易に依て睦むと曰ふ意なり。吾が國に入りたる山靼人は、通稱カルデア人を曰ふなり。黒龍江を降り流鬼國に渡り、渡島を經て東日流に渡りし民は、モンゴル・オロチョンら人種多彩に混血なし、丑寅日本國民を構成ならしめたるは、その定着せし風土に相應なして群住し、阿曽部族・津保化族・熟族・麁族らの流通を交し陸みに居住せし處に、耶靡堆族・支那の晋民漂着、にわかに蜂巣を突くが如き騒々たる。耶靡堆族大王安日彦王その副王長髄彦王の地民との和睦に依りて、茲に日本國と曰ふ國を創立せしめたり。地民・長老の議に依り大王と選ばれし安日彦王。石塔山聖地に於て卽位仕り、此の國を日本國と號したり。
寛政五年六月一日
物部藏人
第二章
荒覇吐神之事
擴大なる宇宙。カルデア民が宇宙の運行を見上げ、日輪の黄道と赤道にかかる十二星座に暦を覚り、不動なる北極星の神秘を方位の印とて、宇宙の構造を智覚せり。北斗七星小七星を巴に右卐左卍と仰ぎ、是を北極星をして不動中心とせる。春夏秋冬の大七星・小七星の巡りを巴と仰ぎ見て、これを神とし、宇宙の軸とせり。亦、日輪の赤道・黄道の接点を節分とし、春分・秋分に黄道の赤道に交るより、立春・夏至・立秋・冬至の四季を暦とせる太陽暦を覚りたり。
カルデア民全般にある智識を四辺の王は爭ふて自國に招き、應ぜざれば拉致し神殿に神を司しめたり。各王國は競ふて宇宙を神秘と仰ぐが餘り、石築塔及び巨石建立の神聖地を造りたり。世代の相違あれども、世界に存せる遺跡の多く皆是に基せり。是を世界に見つむれば、次の遺跡ぞ今に遺りぬ。
- ペルセポリス遺跡
- シュメール遺跡
- ニップル、ラガシュ、エリドウ、ウルク、シュルツバク、バビロニア王のバビロンアッシリア王のニネベ、ニムルド、アシュール王新バビロニア王遺跡
- ヒツタイト遺跡
- カデシュ、トロイア
- エジプト遺跡
- テルエルアマルナ、ナイル、カルナック、ロクソール、アスワン、ヌビア、タニス
- ギリシア遺跡
- サントリニ、アテネ、デイオニュソス、クレタ、デロス、スパルタ、オリュンポス山、オリンピア、アゴラ
- 天竺遺跡
- アマラーブアテイー、ブラテイシュターナ、ナーシク、サールナート、サーチー
- 支那遺跡
- タクラマカン、ホータン、ダンダンウイリク、バルフ、ペシヤワール、ニヤ、ミーラン、ラワク、ローラン、トンコウ
伊達政宗のサンバプチスタ號留守帳に依りては、なんとパナマ地境遺跡報告書ありぬ。
ノビスパンヤ巡記
テノチテイトラン、ペラクルス、是をアステカ遺跡と曰ふ。更にマヤ遺跡と曰ふありぬ。チチエンイツアー、テイカル、パレンケ、コバン遺跡なり。
この他エスラエルのカトリーナ寺院、シナイ山、フランスのカルナック、イギリスのストン・ヘンジ(石柱)、ニューグレンジ遺跡らを聞き及ぶ。世界に是の如く存在せる石築の遺跡に等似せる處は、カルデア民の信仰に基付くことに多し。その根本なる荒覇吐神を直接カルデア民に信仰を授けたる丑寅日本の民は、神を石に山に、神と祀るは歴史の事實なり。石を用ひて神の聖地とせるは、人勞に築くはまれにして、多くは自然の造型になる多し。
寛政五年十月廿日
物部藏人
在後記加筆 末吉
第三章
宇宙之誕生
宇宙の成らざる以前、ただ暗にして物質なく、時空もなかりける無の徴点にカオスの聖火、暗を光熱に起爆しける。その一瞬より無限に暗を誘爆せしめ、そのあとに残りき爆塵宙に漂ひて集縮の動力と重力起り、輕きものは重きに寄縮して燃ゆるは恒星となり、輕きは惑星とぞ相成りぬ。何れも爆塵の物質にて成れる星の誕生なり。
亦、その星間に未だ集縮に漂ふ塵ぞ残存し、世に相なく雲の如くありぬを星雲といふなり。幾兆億と數に誕生せる星の界を宇宙と曰ふ。宇宙の誕生をカオスの聖火に紀元せば、幾兆年前か幾億萬年か測りがたし。依て宇宙の誕生を古代ギリシアにてはカオスの聖火起元と曰ふなり。
寛政五年二月一日
秋田孝季
第四章
擴しと雖ども銀河は宇宙の一隅なり。太陽系とて銀河の一隅なり。太陽系なる地球星はその第三惑星にして、陸と海になる星たり。宇宙の星界成れるは、星の生死ありて宇宙は進化し擴がりぬ。地球星とて、誕生時より陸海の同じからず。地底のマントルに放熱さるる表割の隆溢に帯をなし、大陸を裂き潜るの流動ありて、地球図を異変す。依て、海隆・陸沈・マグマ火山の噴火もありつる地球図を異なしめ来たりぬ。吾が日本國を見よ。
大日本總圖
地球図をして見つるに、一点の島國なり。火山多きは、地球誕生時に海底たる國なり。
明治卅一年一月七日
集英堂印刷
社主進呈 小林清一郎
本州中央及東北部
地球星こそ太陽軌道に適當し、萬物生長の中より人類は進化なしてその最先端に我等ありぬ。人は母體なる地球環境より金銀銅鐡を得、亦科學を知り人體の病むるを療したり。その究むる医學も進歩をたどり、薬物學問も常に人類の安心立命に役立つぬ。
(※ここに冊本を挟んだ跡あり)
是の如き教本より、吾等はより一層の究明に精進し、明日を開くる途に在り。人命大事とし、世に戦を起し人類信條を欠してならざるなり。覚めよ。人命は神のものなるを。
大正五年八月六日
和田末吉
第五章
丑寅日本國は古来より畜産の國たり。馬産・牛牧の故に地名など戸を用ゆありて盛んたり。畜醫法もモンゴル人の歸化人より傳統しける却精手術・系統混成の種選・その改良を以て良き種成を培養をせしめたり。餌法も亦その人々に依りて究めたり。然るに建全たるに到らざるに、更に山靼に人を遺して覚りたり。常にして家畜と供にありせば、その法書を讀みて智識を覚り産畜の向上を達成せしは、前九年之役以前より奥州の野もせに馬馳けめぐり牛群れり。依て、畜産修學は通常の心得たり。茲に舊来の更に向上ならしむる農學ありて、是を學ぶべし。導書ありぬ。次の指導は上下巻にして三編全巻なり。
(※この部分に冊本を添付した跡あり)
大正五年八月六日
和田末吉、与 和田長作
第六章
孝季系譜
難波親王—栗隈王—美努—橘諸公—奈良磨—島田磨—直材—𡶶範—廣相—公村—好古—為政—為次—成經—兼遠—成仲—正遠—楠木正儀—正平—朝成—橘伊勢—祐貞—將家—將利—將宗—將道—將隆—將治—將秀—將廣—將継—將成—將忠—將幸—將次—將孝—將胤—將光—將賴—將信—將良—將直—將基―將人―將且—將國―左近—隆末=秋田家に養子に入りて後、孝季と改む。
守將、隆末、久世家女子、孝季、秋田千季
橘隆末、秋田家に養子に入りて後、孝季と改む。
上系図明細より
第七章
學問の道は如何に學ぶとも果ぞなかりけり。文盲なれば世に底く世視に輕んぜらる。依て親として子を育む第一義は、正しき學問を習はしむこと大事なり。天は人の上に人を造らず、また人の下に人を造らず、と曰ふも、習はずば自ら生々にその区を分かつなり。子を學ばせよ。是ぞ親のつとめなり。
「小學中等科讀本巻五」の冊本添付
大正五年八月
和田末吉
童等よ自から進んで、せめて是本讀書せよ。
末吉
第七 章
尋史巡脚に諸國を巡り、地の翁に聞く古事こそ大事たり。眞偽の程は如何にせよ、その傳に於て史跡の證あり文献遺りけるを、吾は是を綴り、外すことあたはざるなり。陸羽は倭史に併せて謎多しと雖ども、然るに非ず。倭史に併せるが故に謎多きなり。地老の説く、倭史の記逑に相違せる因に探査をせば、倭史にして當らず、地老の説に當りぬ。亦、地に傳へられる古語とて然なり。
倭人は山靼を知らず。古いの商人群をなして来たるクリルタイ・ナアダムの事とて知らざるなり。また荒覇吐神など赤蝦夷の神とて怖れり。ただ倭史の陸羽に来る趣旨は、馬と金を掠むる故のものなり。商易に成らずば、征夷と曰ふ討物を兵に振はせて奪ふは常の行為なり。依て是を防ぐは戦に應ずる外に非らず。陸奥・羽後に於ては戦より、その策為に依りて敗れる多し。陸羽はもと麁と熟なるを、陸奥・出羽・磐城・岩城・陸前・陸中・羽前・羽後の
磐城は阿武隈山脈縦に國を抜き、東は海に臨み、西に川流る。濱海一帯に平地にて漁業にも農にも富めり。白河より岩代に入りては郡山・三春・二本松を過ぎ、養蠶・生絲を産す。奥羽山脈・岩木山脈と相連なる處、會津なり。平野に繞り猪苗代湖あり。陶器・漆器・蠟を名産とす。白石は和紙を産し、陸前に入りては仙臺に入り鹽竈湊に至る。地産の米穀日本一にして、松島の景や千金の眺なり。石巻を過ぎて陸中に入りては、奥羽山脈を西境に亘り北上山脈海岸に連りこの仙𡶶鑛物にて盡きるなし。西北隅に尾去澤・十和田の銅山の金鑛あり。この何處かに日本將軍の代々に埋藏せし黄金百萬貫と曰ふ。釜石の鐡鑛ありてその産鐡盛んなり。また至る處に多くの牛馬を産し、夙に日之本駒の名髙きなり。
一の關を經て髙舘・衣川の古跡をたどりつ厨川に到る。古来より鐡工鍛治の巨匠出でたる處にして、前九年の役終焉の地なり。岩手山を過ぎ安日嶽に到る。鍋越落合に大古の柵跡あり。これを安日彦王の舘、地辨にしてトンビラポロチャシと曰ふなり。此の安日川を降りて、下閉伊の淨法寺あり。北斗の最古なる寺閣なり。更に降りて糠部に至りては、紅毛人の遺跡ありぬ。戸来の山靼墓とはこれなり。野辺地を經て外濱を宇曽利半島・東日流半島に繞まるを合浦外濱湾と曰ふ。
八甲田山中央に、岩木山は西に聳え、東日流大里は地平の線に夕日を拝す。羽後に入りては能代湊・八郎泻・土崎湊あり。安東船の山靼交易を愢ばしむ。驚くは秋田蕗なり。仙北に生保内ありて、湯湧處なり。生命を保つ澤と曰ふ湯治場なり。秋田より羽前に入りては、彼の羽黒湯殿山・月山の諸山と鳥海山ありて、最上川に開かる米穀の大産地なり。以上なる丑寅日本國の一筆巡りなるも、實に巡りては筆舌に難し。
明治二年十一月二日
和井内公利
第八章
久遠なり、北斗の輝ける古人のあゆみ。誰信じべくもなき弾圧と法度のなかに、荒覇吐神のみを心に支へて、今日も筆執りぬ。北斗の神々。その天つ下に國土を犯され、まつろわざる蝦夷と卑しめられ乍ら、見ざる・聞かざる・言はざる三禁に、心身を倭の論師に。我が祖國を自からも蝦夷として倭人に犬尾を振ふ輩よ。祖の靈・荒覇吐神の報復は必ずその全能なる神通力、その者を再度び人間に魂を甦すことぞなけん。神無きと想はば思ふべし。魂を賣る者は久遠にその責苦に會はん。せいぜ今世の生々にのみ故國にありて自から血肉を分つたる浂に蒙る哀さを。吾は神を信じ、その歴史を信じ奉りて、浂らの生きざまの末を見下しぬ。荒覇吐の神は北斗の神なり。そして不動なる星なり。
人類の地球に在りて為せるさまを三界に見つるは神なり。神の裁く天秤の計は、その罪の輕重を浂らにその死後を裁かるを知り、心悔ゆは世に生ありきうちなり。心せよ、悔なくこの故國に生を受けてその血肉を人體として世に受け、神にその生命を賜り乍ら一生を離し者の裁かれし者は、今浂らの辺に畜生か草木か虫や鳥か水中に魚貝となりしか。悟りなく信心なき浂を救済せる神はなかりき。心得よ。己が惡道の數々を知れ。
いはれなき惡宣を世間に布すもの。いはれなき罪に被らしむる輩よ。浂はただ惡戯とてなせるも、己れの身に當て能く悟るべし。神はその救はれむ者を救ひ給ふなり。生死は必ず到るなり。徒らに外道の邪教に迷へて、その生を過却にして何事の安心立命ありや。罪を造り乍ら罪に非ずと想い、他人を下敷に己が慾望に贅の限り富生せども、心は魔障に一刻の快楽にして、生を離れては長き業障に苦しみぬ。荒覇吐神は救済の神なれど、求道せざる者は救ひ給ふなく、信仰の者を害せる時は降魔必誅の神罰を降さん。悔よ、改めよ。神は常に浂のものなり。
寛政五年一月一日
於大光院講話
物部藏人
後記
和田末吉
本巻は拙者の思ふる處を三章を加へたれど、容赦あるべし。書冊三部を加へたるは、進みゆ後世に役立つはなかれぞと思ひども、是れに新しき學を加添せば甦學の秀書とならん。後の聖よ、合掌して吾は賴み置くものなり。
和田末吉