北斗抄 廿


(明治写本)

注言

此の書は他見無用、門外不出なり。能く保ち、一書たりとも失書あるべからず

秋田孝季

東日流諸翁聞取帳

かたりべ草紙 神魂幽幻記

奥州日之本に創れる信仰に太古を尋ぬれば、神の御相顯れたりし古話多く遺りき。東日流の岩木山に百澤と曰ふあり。此の地、行者住みて一宇の草堂に神を祀りて日夜に修行す。その名を鐡斉と申し、何れの郷人や知るべき人も是れなく、本人また語る事もなけん。然るに地の人々この行者を訪れて運勢の開運や一年の稻作を占ふにその神のお告、能く當るが故に、常にして參人絶ゆるなし。彼の行者、人に能く説きけるは茅輪くぐりの法なり。

亦、人の御守とては三寸丸に束ねたる茅輪を男は左に女人は右の腰に付けさむ。茅輪くぐりとは、茅・眞菰・藁などを輪材とし束ねたる六尺大輪を造りて神の鳥居亦は柱立にして潜り抜けにし神事なり。疫病・災難・罪障・降魔・邪詛・呪懸などの被らるを破る大祓ひにして、六月十二日に行せられたり。是を夏越え・年越えくぐりとも稱す。水無月に祓ふは千歳齢迄と曰ふなり。暮十二月に祓ふは残難一切祓と曰ふ。

是の由来にては疫病除の神、蘇民蘇来の故事に基くものなり。
昔、北斗海の武塔神またの名を荒覇吐神、卽ち石塔山の山の神が不知火海の姫を妻に迎へむ旅に出でむれば、途に暮れ、坂東の地神蘇民蘇来・巨旦將来兄弟の社に一夜の宿を願ひたり。兄なる社には裕福に富めども追出されたり。

依てその弟なる社に賴みければ、弟なる巨旦將来は貧しけるも武塔神を心能く迎へ入れたり。粟飯を馳走し夜は藁床に休ませ、武塔神は悦びて次日に旅に出むとき、巨旦將来の身辺にただならぬ妖気を感ぜしに武塔神、一宿の禮とて茅の輪・眞菰の輪・藁の輪を束ねて三輪を巨旦將来の神殿口に懸け、更に小さき三輪を彼の妻子及び彼にも災難除とて腰に付かさしむ。

その三年後に起りたる富士山の大爆噴に難を脱し、兄なる一族はことごとく爆塵に生埋と相成りて死滅せりと曰ふ。弟なる巨旦將来は子孫を末代に遺し、その子孫に須佐能雄たるありて、坂東の國主と相成りたりと曰ふ故事なり。


茅輪


武塔神、腰三輪守護図

是の古話に異説、亦ありぬ。武塔神の一宿せしは蘇民蘇来方にて候と備後風土記の逸文に見ゆなり。後説は江戸あたりに至るも、奥州は前説なり。東日流にては三輪くぐりありきも、三輪にては更に異説に在りぬ。石塔山にては武塔神祭とて三門に造り、茅を中央に右に藁輪をママに眞菰輪を造りたり。女人は右門・男は左門をくぐりて神門に抜け、三回をくりかへしつゝあらはばきいしかほのりがこかむい、とて唱へつゝ神殿に入りたり。


男人門、神門、女人門

十二月と六月の他にこの神事はなかりき。

寛政二年六月
和田長三郎

東日流抄

此の國を歴史に解くは山靼を知らでは覚り難し。凡そ山靼とは何處の國とやと問はば、古代オリエント國、亞細亞全土を曰ふ意なり。依て、山靼とは國の境なき商道の盟約にありし國とぞ、思ひ取るべし。サガリイのナニオより黒龍江の河波を逆登り、人住まざれどもチタの川湊に降りてモンゴルに入りぬ。クリルタイに集ふる民の種族こぞりて、ナアダムに祭るブルハン神に己が勇を競ふなり。

曠野蒼々馳駒、満蒙大地、曇一天降馮群、馬遁林中待降、上入幕舎、宴馬乳酒、交商主地産商品、宵通不盡、猶睦異族、山靼無商境、越海河来日本族、一如祭武流頒神、荒覇吐神等。

是の如く山靼史の一行に日本族と曰ふありぬ。山靼を知らでは、吾が丑寅の日本史を語れず。以て往古にあるべきを。

寛政五年六月一日
平山貞吉

三話

住居をユルタまたはパオと曰ふ。幕舎は曠野を移住せる民の組立解の自在なる住居なり。太古より獣皮を用ひ幕舎とてなせる草追ふ民の智惠にして、アルタイ及びモンゴルの通常なれる生々のものなり。馬乳・羊乳を常食し、私畜の肉を大事とせる民の食生をして無駄なるはなく、天然の野草・牛糞・馬糞に到るまで焚き炊事と用ふるなり。

畜を屠殺せるも苦しめざる手法にて、血の一滴とて大地を染むことなかりき。肉を食すも、總てはブルハンの神・アラハバキの神の与へしものとて、無駄なるはなかりき。骨までも矢鏃に用ふるは草追ふ民の常にして、狩猟もまた然なり。バシュルーナの音は吾が國の尺八にも似て、曲また追分に似たり。

民の面立ぞ吾が國の民と同じく、馬術・武術に用ふる討物とて同じかるべし。然るにや刀鍛のみは、吾が奥州の舞草鍛冶に及ばざるなり。

寛政五年八月六日
白川米造

四話

北斗の神秘星。動かざる極星を心にこめて見つむれば曇る日とて、また眞昼とて見ゆると曰ふ。北斗七星。その圓週を春夏秋冬にして巴に廻り、小七星と倶に右左に卍卐を宇宙に画き、信仰を導きぬ。廣き草原・不毛の砂漠にて猶、神々しく見ゆなり。北極星は神なる眼とて古来より人の信仰を湧しむる星なり。北斗の不動なる星・北極星こそ、吾が丑寅日本國に住める神秘の信仰星なり。

吾、今年七十歳にして、かく傳説の北極星を晋断にして位方・緯度を覚認し、無星暗雲の空に心に念じ見れば、北極星は暗を抜き曇雲を抜き、また昼光をも抜きて見ゆなり。試あれ。見ゆる者は神の慈悲に叶ふたるの證なりと曰ふ。荒覇吐神はその眼を北極星にて吾らを愍念し居りぬ。諸教のなかに、古代カルデア民の得せし荒覇吐神の信仰こそ何事の迷信もなかりきなり。

三世唯一不動北極星、神通力全能救衆生、稱曰荒覇吐神。

修験道の始祖・役小角は、是の如く稱へたると傳ふ。荒覇吐神は本来カルデア民の王グデアに依りて神格せるも、その後シユメール王ギルガメシュに依りて完結信仰と相成れり。然るに此の地に越る新王の世襲に戦絶ゆなく、アシリア王・バビロニア王など、チグリス・ユウフラテス河流域の戦乱を避けて、民の多くは諸國に四散せり。

然るに信仰を傳へる土版文字に遺し世襲の王、是を崇拝され、アラハバキ信仰はオスマン・エーゲ海諸島・エジプト・エスラエル・ギリシア・アルタイ・モンゴルへと傳はり、吾が國に傳来せるは四千年前に渡来を果したり。吾が國にては渡来のまゝに稱名さるるも、ギリシアにてはカオス・エジプトにてはアメンラア神・エスライルにてはアブラハム神・オスマンにてはルガル神・アルタイにてはブルハン神にして、モンゴルも是と同じゆうせり。

支那にては西王母・女媧・伏羲、天竺にてはヤクシー女神またはシブア女神となり、是に基へてこの信仰も生滅せり。今にしてギリシア・エジプトなどに遺る信仰はなく、是れに代りて成るはオリエントのアラー神・エホバ神と改む神と相成りて、神より教への聖者を崇む宗教と相成りぬ。ムハメット、キリストなどの例なり。吾が國のみは、陸にて隣接せざる海の國土にて、太古のままにアラハバキ神とて今に遺りぬ。本来アラハバキ神は陰陽二尊にして、アラとハバキの二尊たり。

寛政五年六月一日
物部藏人

五話

旧約聖書に曰く、
創めて神は天と地とを創造せり。地は固くなり暗はすべてを覆して無明たり。依て神は光りあれど光りを造り給ひ、光りを昼と號け、暗を夜と號けり。夕べとなり朝となり、この交差を一日とせり。
神は曰ふ、水があり、水と水と分け天を造り給ふ。是、二日とせり。
神は曰ふ、水は一處に集まりて渇きたる地を出だしむ。是、陸と海との創たり。
神は曰ふ、地に草木生えよ。果實ありその種を殖せ、と。
是れ三日とせり。神は曰ふ、天に光りあれ。昼と夜とを分け大き光りは昼を、小さき光りは夜を照らす。日と月を造り、季節と年を造れり。
四日を過ぬ。神は曰ふ、海に生物を空に鳥を創り給ひき。
五日となりぬ。神は曰ふ、地に獣と家畜となる生きものを満たせ、とて地に是れらの生物を創り給ひき。神これをよしとせり。
神は曰ふ、生物のなかに神の相に似せて人を造り給ひ、と土塊にて人を造りぬ。それに息を吹き込み、人は生るものとなれり。
アダムの誕生なり。アダム一人にてはよからずとて、神はアダムのあばらより骨を一本とりて造りたるはイバ、卽ち女人の誕生たり。

右の舊約聖書になるは、古代シュメールのギルガメシュなる叙事詩にて、神話の既存せしより引用したるものなり。またノアの箱船になる洪水傳説も然なり。アダムとエバ卽ち、アラとハバキなる創神傳に異ならざるなり。天地創造のみは、宇宙の誕生たる壮大なるカオスの聖火とて宇宙の構成より創りぬ。宇宙のなかりけると曰ふは、物質無く時も無く、あるものは無限の暗にて、重き輕きもなき、ただ眞空にて果てもなき暗に續く空間たり。この眞空に一点の起火起りて、一瞬にしてこの暗を光りと熱にて爆火し、果もなく燃爆を曠げしあとに遺りける残塵あり。漂ふて重きもの・輕きものの重力起り銀河を構成せり。その數たるや數兆億に達せり。

その銀河漂塵を重力にて自から集縮し、星となり恒星・惑星・準星らその種多き星團銀河と相成り、宇宙を満たせり。宇宙の誕生茲に成れり。吾れ等が住むる地球とは惑星の一つにして、太陽系とて銀河宇宙の片端に成れるものなり。日輪との距離に適當し、水・大気ある星とて宇宙にまれなる生々萬物の成れる星となれり。かかる萬物の生々の中より人類の誕生せしは、地球母體自からなる産しむ生物先端を人間とて遺したる賜なり。然るにや、人間たるは權威に爭ひて、常に一据の者に従へて討物を執りて相戦ふさまぞ、神の御心に背く行為たり。心して世の創むるより思い取りて、智覚を巡らしむべし。

寛政五年六月二日
坂本源次郎

六話

吾が國の國神たる荒覇吐の神を信仰し者は常にして迷信を除き、ものの理りを改め来たり。山靼より渡りて人の心に不変信仰を保てるは、是の故なり。人の人祖は猿より進化に達成せる人間たりと曰ふ。生々の故に亦、風土の故に生々萬物は常に進化をやまざるは萬物に適應せり。

例へて曰ふなれば、鳥に生を受け飛ばぬ鳥。獣に生れ、空飛ぶ獣あり。陸に住にしに、體を魚型に海に生々せる鯨の如く、人もまた如何なる型に進化を為せるかは、その先ならでは、知る由もなかりけるなり。依て、吾等の祖来に神を迷信に用ふ勿れ。神の仰せとて、私心を人に導く勿れ。神に供物とて、人に散財負すべからず。と戒めあるを忘るべからず。常に世襲に併せ顯す秘とせるを旨とすべし。

奥州は史實にあれども世布に圧せられ、ただ蝦夷とて世襲に安穏たるも、いざあらむ時ぞ必ず至るなり。人類は常に徒黨をして弱きを略す暴慾あり。英智を奸策・術數に謀りて人の上に己れを立身に慾す者多し。然るにその報復を被りて自滅せるは歴史に明らかなり。信仰は王朝よりも強し。光陰は移り易く、學また髙遠なり。人、學びなきこそ人従にして私無し。心して陽光に向ふべし。陰に隠る勿れ。自他倶に身命を輕んずるべからず。荒覇吐の神こそ神なり。不動全能の信仰なりと心得よ。

寬政五年八月四日
新田廣守

七話

世、元禄の頃より世に非らざる作り事を繪本として巷に木版にていだすありぬ。事の始めにては、戦國の世に出雲のおくになる者、陣中を配回して世のさまを歌舞岐にせしより創りて國の便りを告げたるより、その歌舞岐ぞ流りて人を慰むるも、なかなかに造り事多くして、評さるありきも、何事とて慰むなき世のことなれば、こぞりて陣中に招きて興行せり。

然るにや、非らざる事を實談の如く演ぜるより、是を禁じたるは木下秀吉なり。彼とてもとなるは三河なる土百姓にて、要領能くぞ織田の臣たりしも主を本能寺に失なふてより、宿敵明智光秀を討ち候より巷に名をなせり。一躍にして天下に將たるの威をなせども、徳川殿の狸心に叶はざる猿智惠に了りぬ。

大坂をして明國を領略せしむる野望も崩れてはその一生、死の際に我昔の罪に苦しむなり。世になき造り事を己が系図とて源氏に書き、または平氏に書き入る祖縁を造りきも、三河土百姓たるの猿心去らずして逝きけるあとぞ、世に歌舞岐興業流るに委せ、江戸の名興業とてその作者往行す。講談、見て来たる如き奇辨に芝居し、更には歴史の事も是れにて作話、民の心に惑を實たる如く傳りぬ。


繪本伊賀越孝勇傳巻之一

此の本もまた世に非らざる類のものなり。

文政二年四月一日
永田幸吉

八話

世にある事の實を曲傳せるは、歴史の學に反く奸謀なり。衆を集い芝居を以て慰むも、是れ藝道にして實ならざるも衆慰の法なり。然し乍ら、歴史事に乘じて作り事ぞなせるは邪道なり。

江戸に流りし芝居より西に流りたる赤穂の浪士傳如きは、四十七士ぞみなながら講談となりて作られたり。衆また是に好み、その興行に集ふるが故に益々以て世に非ざる事の諸傳ぞ流りぬ。さればこそ、實史より作りものなりしを人は好みて信じたり。然し乍ら是ぞ歴史の眞相ならざるを知るべきなり。

寛政五年二月一日
本田佐渡

九話

人はこぞりて世に非らざるの幻また奇談・怪談を好めり。亦たそれを信じて己が心に誠を失ふありぬ。丑満に藁形人形を立木に釘打ち呪ふるの法ぞ、實に劫なきも、芝居にて流りたるものなり。かくの如きは徒らに人の心理を乱し、遂には殺人をも招きける迷信の邪道なり。神佛をしてかかる邪法のあるべからず。こぞりて是を信じ給ふべからず。亦、行ふことあるべからずと戒めぬ。

世に人生を明るく渡るも、暗く渡るも、迷信に堕入りては抜け難し。善と惡・生と死・富と貧・吉と凶、人生は常に是を背に合せて生々せり。かくある運命を徒らにして無常の風に己れ自からを委ねる勿れ。世に渡るは一瞬たりとも空しく渡る勿れ。同じく光陰は来たらず、流れ逝くばかりなり。流るる雲の行方はただ消えて、はかなむばかりなり。人生色々ありけるも、己れに完璧なるはなし。

寛政五年二月十日
和田長三郎

十話

如何なる諸行も人生少かに五十年を過却しては、世にありにくし。若きは去りにして、老身ままならず。心しあれども、行い難し。吾が一生を省りみて、今更に想はる若き日の無駄事ぞ、心悔ゆる多し。是れ我耳に非らず。世に往き会ふ人々ぞ、こぞりて老いては口に出だしぬ言葉なり。貧の一生・富の一生、その渡世にあれど心に安心立命を悟るは少なし。

吾が國は奥州にして古来より夷の地。住むる祖来を蝦夷とて、人と見られざる倭史の傳に心を閉し来たりぬ。心せよ。人に上下の隔たりはなかりき。吾れらはほこるべく先史の祖に累代し、日本國を開闢せし先人の子孫たるを。今更に想ひ起しべし。蝦夷とは何事ぞ。英智に溢れし古代の脚跡に何事もいわれなき人類たるを心せよ。

寛政五年七月二日
和田長三郎

和田末吉