北斗抄 十六


(明治写本)

荒覇吐神大要

生々、いと安からず。天地水の理り常に尋常ならざれば、生死の運命また生々流轉の者と異ならむ。依て神なる信仰ぞ、人心に發起せり。荒覇吐神、人心に創られたるは一萬年前。西山靼のシュメイル國なるカルデア民族に、宇宙の運行・十二星座・日輪の赤道・黄道を巡る日進月歩の理りを以て神とせる、天地水の推移に創むる信仰に起りたり。宙空・地物・水流、常にして動々やむことなく、生死のなかに萬物絶ゆなく雲流・水流・寒暖の季節を暦流して年を逝かしむは、生々萬物をして人世に神なる業とぞ、夢幻に想定せしむ。

世に信仰の創むは總てカルデア民なる宇宙の觀世に依りて得られたる、荒覇吐神・天地水の觀念より生ぜり。この民の王たるグデア王、擴く民の政道に用いければ永く諸民に遺り得たり。アラとは古語にして獅子なり。ハバキとは蛇なり。古人をして獅子は父にして、蛇は母たるを宇宙の星座に依りて信仰道を感得しける。なかんずく、その教典を子々孫々に遺さむと欲して砂に語り印をして傳へきを、土版に押印して遺しきはカルデア民が文字を創祖なり。
語印に曰く、

宇宙を造り給へきは無のなかに暗を破りて光熱を以て生じたるカオスの神にして、宇宙の總てを造りぬ。億兆の星、是より生ぜりと曰ふ。地界はその一星にして日輪星より光熱をいただき、宇宙のなかに地軸を以て廻轉し、北斗なる星に軸定し一日二十四時・一年を三百六十五日。日輪の赤道を地腹に當てその南北を黄道に極北し極南して四季を地界に光熱を近遠して萬物を生ましめたり。

と曰ふはカルデア民なる古代シュメイルに遺りき土版語印の聖典なりと曰ふ。

寛政二年五月二日
エリアムトマス

(注)エリアムトマスとは紅毛人にして、哲學者なり。
孝季附注す。

奧州諸記選

吾が奥州は日本國と曰ふ。國土東北に在り。日辺の國たるに依て號けたり。人祖は山靼にして、その創めたる祖を尋ぬれば古代カルデア民シュメイルなる國たりと曰ふ。古代に人をして戦起り、東に北に遁生やむなく流轉し、アルタイ・モンゴルを經にして流鬼・渡島を住み渡り、此の國に至りぬ。依て人の渡り来たれる道を古語にして白鳥の道と曰ふをツボケとてツボケの民と曰ふ。

流鬼・渡島・東日流に山靼より渡来せる民の移住なせるは五萬年及至四千年前に至る間なりと、古老に傳へ今に遺りぬ歴史の歩みなり。居住の民は能く海辺・川辺に好みて居住せる跡あり。亦、深山幽谷に居住せる跡も今に遺りぬ。土形・岩形に神像を造り、アラハバキイシカホノリガコカムイとて唱ふは禮拝の常なり。三禮四拍一禮を以て拝禮と為し、神前にカムイノミ卽ち神火を焚き、その炎の舞上るを以て吉凶を判断せり。供物は山海の幸にして一切人に依れる味覚を加へるなかりき。

神楽はジョンバと曰ふ空洞の丸太を打き一枚張りの鼓を鳴し弓張りの絃をも引はづく。亦コサとて鐘音をいだす石を打つ。上笛・石笛を吹奏でり。女人は卽興に舞ふ。風の舞・波の舞・火の舞・魚の舞・鳥の舞・獣物の舞・華の舞ぞ數にぞ多し。男は剣と弓の舞・鋸の舞を、エカシやオテナに依りて舞を神に奉納せり。春夏秋冬にヌササンを聖木前に設し、イナウを刻り捧げて祭事せり。

文政二年九月十九日
蠣崎伊三郎

カムイノミの事

銀皿を造り日輪の光明を當てつる光点より日輪火を誘火し、これを薪に焚くをヌササンと曰ふ。亦、火打石に鐡火を起すをホゴチと曰ふ。木を以てもむ起すをツグリと曰ふ。何れにせよ火起の古事にて行ぜる神事にありければ、火起の事は幼にして覚得せるは丑寅日本の常なり。

文政五年二月一日
堺屋仁兵衛

チセの事

チセとは住居なり。木組にて造るをパオと曰ふ。葦のみにて造るをマデフウと曰ふ。土堀りて屋根をなせるをクケと稱し、柱を堀建つるをチャシと曰ふ。住處に依りて四季の風雨降雪に耐え得る地位に應じて建つるものなり。川辺・湖辺・海辺にて住むる生々の千惠なり。衆をして住むるをポロとて大住居せるあり。地湧湯の處に存せり。何れもチセと曰ふも、民族相寄りて造りなせる住居、皆同じ造りなり。山住のみは立木・寄木の住居にて、各位同じかるなし。

天明二年三月九日
飽田マタギ 与介之談

ヌササンの事

スサとは神を祀る祭壇の事なり。北にある住民は北斗の不動なる聖星を宇宙の神秘界とし、宇宙の軸・宇宙への門とて崇拝せり。依て荒覇吐神の常在せる星とて北斗の極星に諸願を祈りたり。此の神に願ひを屆かしむ故にヌササンを設け、神への使者とて贄を捧ぐをイオマンテと曰ふなり。

イオマンテとは三年に一度びの祭事にして、遠くは山靼各處より諸民族招かるなり。山担にては、クリルタイまたはナアダムと曰ふ祭なり。民族はひとつにして祖は一系なりとて、山靼語部の今に傳ふるを尊重しべきなり。ヌササンとは天地水を顯せる聖木、四枝一幹にて成れる老木ジヤラをしてスササンとしべきなり。唱ふるはただ一向にして、アラハバキイシカホノリガコカムイと念じベきなり。

明暦二年七月二日
佐藤久次

アラハバキの事

信仰に神を行ずるは、人心度し難き故なり。生々萬物、神をして生る。神なるは人相に非ず、天然自然なり。宇宙の創めより何れを以て世にある總てを生ぜしや。カオスの聖火より宇宙の創まれるより、地界の世に創れるは億萬年の後世なりと曰ふ。カオスの聖火に億兆の星生れども、人の生々せるは地界のみなり。依て是を古代カルデア民に曰はしむればアラなる父神・ハバキなる地母神の神通に依れるものなりと曰ふ。依て今にアラハバキ神と唱へ奉るは、眞如實相なりと曰す。

文久二年八月三日
奥瀬仁太郎

荒覇吐神修成

西山靼シュメイル國にカルデア民なるグデア王、宇宙・赤道・黄道に四季を通じ十二星坐を以て宇宙運行の基とし是をアラと號け、地なる生々萬物はハバキと號け、その神像になせるはギルガメシュ王にて、アラなる獅子・ハバキなる蛇を神の相とせり。卽ち古代オリエントなる信仰の草分たり。オスマントルコ・ペルシヤ・ギリシヤ・エジプト・シキタイ・モンゴル。その末なる吾が日本國にて、その信仰の果となりける。吾が丑寅日本に土形像とて、その信仰ぞアラハバキカムイとて今に至るる法燈の絶えざるは、その信仰の固きに依れるものなり。天然・自然みなながら神に非らざるなく、その生命を大事とせるは、人間のみなる為ならず。その尊重は萬物すべての生命護持にて、神の正法なる法測とせり。

天地水を三要なして萬物生死の轉生を以て子孫を遺せしは、菌・苔・藻・草木・貝・魚・蟲・鳥・獣・人間に至るるとも、神なる授命の一種より世に出生ありと、その信仰大いに宣布せり。丑寅日本の古来なる信仰にてはイシカホノリガコの三神を自然にして在りと崇むは、従来にして古きなり。卽ち天なるイシカ・地なるホノリ・水の一切なるガコを神とせるは、その神事また異なりぬ。神を司どるゴミソ及び占を為せるオシラ・靈媒せるイタコなり。この神司をしてコタンにあり。衆の諸事に神を以て、心の安らぎとせり。荒覇吐神とは女人の手に依りて石神・土形に造りたるは、陰陽の大眼をなせる神像とせるは三千年前に修成されたりと曰ふ。

享保二年七月三日
飯田甚四郎

語印之事

古来より人の語りを傳ふる為に、砂に岩に言の由を記しき。山靼より古く傳ふは、土版に竹片にて押なせる印を以て東日流語部文字となせるより創むは、語印の基たり。先づは神なる印にてと今に遺りぬ。天を○印にして、地なるは△にて、水なるは―なり。代々をして數を多く、印の一例より二例・三例と多例す。佛法渡来してより漢字入りて、古なる語印ぞ通用を閉しむ。語部文字こそ古来に實在せし文字と知るべし。

文化元年九月一日
磯野甚悟

祭行之事

四季を通じ北斗の星は方轉す。小七星・大七星を觀ずれば、右卐・左卍と極星を芯に輪轉す。古来是をイシカの輪軸と稱し、地界は宇宙の黄道を赤道の左右に廻り、三百六十五日を以て一年の四季を廻りぬ。北斗の星ぞ、不動にして軸芯にあり。宇宙の窓たりとて、古代より陸・海に旅せる人の羅針たり。神の向になせるシュメイルのジグラツト・エジプトのピラミット。何れもその方位を向はしむなり。

吾が丑寅日本國はアラハバキ神をカルデア民より授入れたるは、イシカカムイの信仰に同ぜしむが故なりと曰ふなり。信仰に祭行あり。イシカカムイは宇宙にして日月星の總てなれば、その不動なる北斗の極星を巴として、宇宙の星座を合せたり。宇宙の創りなしたる神オリンポスのカオス他十二神に修成せども、基なるはカルデア民の王グデア・シュメイルのギルガメシユ王の叙事詩に基けるものなり。空の澄み渡る秋宵に山頂にスササンを設け、宇宙を仰ぎカムイノミを焚く。女人は着飾りて天に両掌をかかげて請神す。

ホオカムイイシヤホオ
イシカカムイホノリカムイガコカムイ
ホオカムイイシヤホオ

とぞくり返し、神なる降臨を請ふ。
エカシはカムイノミを巴型に配台せる聖火に火を入れければ、カムイノミを回りて老若男女、神に奉舞せり。これをイヨマンテと稱し、山靼にてはクリルタイと曰ふ。モンゴルにてはナアダムとも曰ふも、神は水神にしてブルハン神なり。日本國より山靼及び西山靼の擴大なる大地に住む百八十八族にして、アラハバキ神の信仰に創まれるより、オリエントに分岐せるイホバ・アッラア・アメン・ラア・カオスより創まれる諸々の信仰、世にはこべり。

天竺ラマヤアナ・支那の西王母。北のゲルマンオオデン・クロオムの信仰ぞ、世界に渡りぬ。吾が丑寅日本國のみぞ、民族爭乱に遁じ渡来せるカルデア民の信仰そのまま原住の民なるイシカホノリガコカムイと併せ、アラハバキカムイとて倭に及ぶ信仰を得たれり。

享保二年五月一日
物部智親

荒覇吐神抄

太古なる耶靡堆王安日彦・長髄彦、奥州に君臨し、稻作を以て地を耕し衣食住の安泰を民の安らぎとせり。エカシの推奉にて日本王となれば、耶靡堆の故地を放棄せし北落の新天地に日本國を創む聖断なりて、擴く山靼の交りを以て國を富しめたり。

此の國は東北にして日の出速き日辺の國なれば、山海の幸多く民の暮しぞ豊けく、山靼渡りの諸法に隆盛し、民族併合・信仰一統に國政を全うせり。諸地に稻作を施し、産金・産馬の益に達せるも日本國の實益たり。然るにや、幾千年の泰平も西國侵魔の輩に破れたるは康平の戦にて四散せるも、今にしてその遺風を失なふるなきは丑寅日本の古き跡の名残ありき。

寶暦二年八月一日
後藤平藏

丑寅日本國遺風

安倍一族が十幾年の星霜に、倭軍を衣之関に越領進駐を赦さざるは、陸奥に永代積産せる黄金の秘藏を全ふせる故なり。戦に於て、民を戦殉に遭しめざる安住の一義を、先とせり。生保内城・安日柵・入淵城・渡島十二舘ぞ今に遺りきは、その故なり。藤原氏が平泉に隆興せる黄金に、安倍日本將軍の積産せし秘藏金ぞ一片たりとも入手得ざるは、安倍一族の密なる秘藏の故なり。源氏は朝權を以て奥州の安倍埋藏金得られざるは、當然なり。依て吾が遺せし諸傳を他見に無用とし、秘を漏らす不可。
茲に注言して畢んぬ。

文政五年七月
飯積之住 長三郎

和田末吉