北斗抄 九


(明治写本)

序言

此の書は諸事を古老に聞き、百異の同説ありと書綴りたり。依て眞偽の程は拙者の選釋耳記逑を控へ置くものの他、見貸さらし可く事を相禁じ仕る。亦浅學なる拙者の、解にも及ばざるなり。依て玉石混合と云ひども、呈者の恩に執い奉るが故に、ただ一向に書き遺し奉る。

□□年十二月一日
和田長三郎

奥陸長談

一、

奥州・羽州ともに古なる史證を焚書され、史の眞實は今にして灰となりにしも、その影に黙示あるは諸處の縁の人なる證なせる文献の事なりぬ。一族にありせば眞實の他に遺すなし。古に如何な人祖の住居りきや。渡島のエカシに聞くもよろしきと、二十年の間に集む古書實に六百に綴りぬ。

抑々、吾らが住むる國は日本國と曰ふ。北なるサハリイ、卽ち樺太に海氷を渡りて更に渡島を經て日本國の北端・東日流に来住みけるアソベ族・ツボケ族の住ける跡ぞありける。特にして海辺に多く住みける他、山住みの者ありきは古人の用いし遺物ぞ土中より出づるに證す。山靼と曰ふ國ありてその地の果ぞ、未知の國に通ず。人の種あり、白・黄・黒の肌に類せりと曰ふ。頭髪亦赤き紅毛、金色なる頭髪に、黒色なるあり。吾らの類は黒髪・黄色肌に屬しぬ。

抑々は、住にし風土の食生に異なせる天命に依りて種の化生なりと曰ふ。然るに人身、五體に異ならず。縁じては何れの種に混ずとも子を産みなせるなり。吾らの祖なるは山靼モンゴルのブリヤアトの民に、子孫をして能く似たる相ありぬ。丑寅日本國は陸羽を併せ五十七に領域を区してエカシありて、その衣食住を互の地産を物交なして古代はなれり。海住・山住の区にありては海塩の物交になるは毛皮なる如し。古人、言葉少くして手振り、亦幾多に相解り会ふまでの對話となりきより、語印とて石置や砂書より炭及び色なす染汁を以て書塗る語印より文字もどき能考に相通ぜり。是を證せるは、器に亦木の板割に書きつるを語部に遺れり。何れもそれなる傳へぞ、山靼より歸化せる人の導き多し。

世々に人たるの生れは、立足の猿より人祖誕生せると想ひて眞に的ぞ外るなかりき。萬物總ての生々に進化ありとは、紅毛人の曰ふに然るべし。文政八年、東日流江留澗甕箇岡と曰ふ處より邑人拓田之客堀りにし處より、甕及び土形の偶像出づる多し。是ぞ、古人の用いたる器及び神像たる證なり。古になる鐡・銅・銀・金の採鑛なかりき世の時代にして、五千年及至三千年前の遺物なりと語部は曰ふなり。丑寅日本に語印を傳へしは、西山靼の國に戦乱起りて移遁し来たるカルデア民なりと曰ふは語部録に遺れり。

昔より東日流江留澗の地に土中より甕及椀型の器出づる多し。加之地は古人のカムイ岡とて、神事の聖なる地なりき。甕能く出づるより、甕箇岡と邑名いつしか稱せられたり。此の地より西山根に畑を拓し荒野より石の棒・刃物如きの人に造られたる石器の出る多きは、土器なる前世の代物なりと思はれり。東日流・宇曽利・荷薩體・火内・閉伊・渡島に出づるを聞くと記逑あるは、その古代を知るべくの鍵なり。依て本巻に諸書を引きて記し置かむ。

文政十一年七月一日
和田長三郎

能く覚つべし。宇宙の創めはカオス卽ち混沌たる無にして、ただ暗と冷たり。カオスとはその混沌たる無の一点に突如として光熱の大爆裂を起して誕生せるは宇宙にして、瞬に果なく光熱は擴大す。是をカオスの聖光と曰ふ。古代カルデア民はこれを時空の創りと曰ふ。

カルデア民の王グデアに依れる叙事詩。そのあとを継ぎしシユメイル王ギルガメシュはアラハバキの誕生はカオスの光爆より創りしは、無より暗と冷に依て宇宙は時空として誕生し果も限りなく擴大して物質を化成し幾億兆の數なる星を誕生せしめ、その活生に生死の時元を限りとせる明と暗との輪廻を生死として宇宙を構造せり。

依て星にも生死あり。重力・質性各々誕生時を以て種質を異にせり。卽ち光熱の恒星・暗黒の星雲・星團・星雲・準星・惑星・衛星・遊星・流星は、その質と重きに星體を異にせり。是を宇宙カオスの法則とて時元の限りに生死を以て吾等が住める大地と稱す。

この星に誕生せし生々萬物もまた生死輪廻の法則に、生死の時元は萬物それぞれに生々進化、死の連鎖を以て萬物成長の遺傳に変化をもたらせり。卽ち、進化と退化、生死と消滅ぞ宇宙なるカオスの法則とて、カルデア民の王なるグデア叙事誌及びシユメイル王ギルガメシュの叙事誌とて、はるかなる六千年前に宇宙の運行を哲理に説き覚りたり。

更に日輪と大地、その運行にかかはる宇宙の法則。カルデア民は既にして日輪の大地界に及ぼす赤道に左右せる黄道に依りて春夏秋冬の季節ありと覚り、これなる赤道・黄道になる宇宙に十二の星座、卽ち一年を三百六十五日とせる四季に赤道と黄道の交はる点を春分・秋分とし、その大地上にかかはる宇宙の十二星座を一年にめぐる地上よりその運行を能く見あげたり。

古代シュメイルの戦乱に、その哲理はギリシアに渡り、更に加へられたる宇宙星座と神々そしてカオスを神の筆頭に置くは、ギリシア神話のシユメイルより得たるを尊重せる故なりと曰ふ。ギルガメシュの叙事誌は故地を離れしあと、ルガル神を祀りたりと曰ふ。吾が丑寅日本國の國神となりしは奇なるも戦乱を遁がれしカルデア民は諸國に四散せども、アラビア・アルタイ・モンゴルと渡り吾が丑寅日本國に来たるは彼の民の執念にして、北斗星の不動なる國の神鎭むる安住の地は北東にありとて子孫の代々かけて渡り来たり、と傳ふは荒覇吐神の祭文にありき。

アラハバキイシカホノリガコカムイ、カオスホノリ十二カムイ、ガコブルハンカムイ、ホオイシヤホイシヤホ、オオホホホカムイ、ノミカカムイ、カムイヌササン、アラハバキ、グデアエカシ、ギルガメシュエカシ、ホオイシヤホホホイ。
是れぞ證なり。

三、

神は宇宙に通ず、宇宙は實相に相通ずと曰ふは、荒覇吐神の信仰に要たり。丑寅日本國の史はまさに實相を以て為す事よけれ。
大光院修史編に曰く、

夫れ正中山に梵場寺、石塔山に荒覇吐社あり。千古の石塔を神と崇むるは住人の祖なる津保化族と曰す古人也。荒覇吐神とは古き奥西の國に加流出亞民なる國王に虞出亞と曰す神の御名付たり。代を降り給へて趣盟流國王・誼流雅奴趣と曰す。國民等世の乱れ避けにして、東方に子孫にかけなして渡り来たりて傳へし神ぞ、奉じて荒覇吐神と曰しなん。

是の如く記ありて證ありぬ。古来、地の神とて地元神在り。宇宙神イシカ・大地神ホノリ・水の神ガコを併せて國神とせるは安日彦王なり。爾来、日之本將軍代々以て國神と奉るは荒覇吐神なり。陸羽に遺るその社跡ぞ證也。

四、

渡島、更に北方なる流鬼島サハリイ。西なる山靼に相通ぜしはクリルタイと曰ふ民族集合の祭りなり。コルデントを唄ふ女人の唄ぞ、今に追分とて遺るはこの證なり。馬を去勢せる睾丸斬取も亦、モンゴルより傳へらる法なり。

奥州産馬はこの故に秀馬たり。糠部駒・比内駒・三春駒などの名馬、今にデコ卽ち玩具に遺るは古事たる馬産の證たりぬ。南部なる八幡駒は足長にして、背髙きは古代にしてメリケンより渡来せしとは信じ難きも、その血統に於て同じかるは馬骨に在り。事實の證たり。

五、

頭巾を毛布、履物を毛覆と言ふは古代語なるも、是ぞはるかに遠きアラスカなるエスキモウ族より造法の傳はりしものなり。秋田に見らる雪のカマクラもまた然なる北方傳来の證たり。日本書紀に蝦夷は血を飲むといふ云々は、冬寒に生々せる當然の食生なり。また丑寅のものは干草を褥とせるは、冬期のぬくもり安らかにして、ネゴとて海藻を編て掛けて寝るも然なり。櫛を彫りコケシを作るは古人が思付きたる童への玩具にして、今になるコケシと相成れり。もとより狩の神コケシンは鉈彫りにて卽造されし狩場の神たるの考案にコケシはなれり。オシラも亦然なり。

苗代に種蒔きし中央に∧型に葦をさし置くは、寒防の守護神が座居せると曰ふ意なり。∧型にせるは語印のヌササンを意趣せるものにして、祖来に従ふるだけなるもその證たり。めくら暦また語印を今に傳ふる證なり。荒覇吐神社に穴の空きたる石を献ずるは、女人の病を平癒にして、木を亀頭茎に造りて献ずるは男の病を平癒のためになる古代のままに今も尚見らるるは古代祈願の證たり。傳へを知らずして暮しの中にそれを絶ゆなかりきを習しとせしは、古人の智惠なりき。

わが丑寅日本國は永きに渡り國號を奪いて住み人をまつろわぬ化外の蝦夷とて倭史に遺し、それを日本史とて通説たる代々の洗脳に今尚以てしきりなり。倭とは奈良の一部にぞ書説にくらませるは、やるかたなき國號の改奪なり。日本とは彼の蝦夷たる後名にありき。元なる國號日本國とは、化外たる汚史の吾等が丑寅の國。蝦夷といわれるこの國こそ日本國たるを膽に銘じて、しかと覚つ置くべし。

その國堺は坂東の安倍川より越州糸魚川に至る地溝にありき。東北に日辺せる國ぞ吾らが故地。富士の髙嶺を四方に見下す日本國と、幾千年の住民こぞりて荒覇吐神を祀りき跡ぞ坂東に存在せしは何よりなる證なり。荒覇吐神は倭神に非らず。眞なる丑寅日本國神にて、倭の神事録、如何なる史書にも記逑なくその信仰ぞ、彼の倭國の諸處に現存あるを知るべし。倭にある荒覇吐神を改めてその断圧を免るため、門神・客神・客大明神とて遺るは是ぞ、丑寅日本國の國神たるを隠遁せし故因なりき。出雲大社とてもとなるは荒覇吐神を祀れる社なり。その證とて遺るは、門神とて祀らる神あり。是ぞ、荒覇吐神ならん。

六、

床敷に北辰枕をせるを忌むは倭人なり。古代なる丑寅日本に住むる住民、ことごとく北辰枕を無上とせり。北辰は北極星の不動なる地軸方に輝く恒星なり。世界何處の國とて是を崇拝せるは、巨大なるエジプトなる金字塔とて北辰の星に向へて礎仰に建立す。坂東の日光東照宮とて家康が北辰星を都度に拝したるに依りて、神殿の向きを北辰星を仰ぐ方位に向けにして建立せり。何れも金字塔をともに實在を見つれば、證に偽なきを覚つなり。

古代シュメイル國に遺る瀝青の丘あり。是をジグラアトと曰ふ在りぬ。是れなる神殿ぞ、地下深き北辰の方に設しぬと古老の曰く。それぞ、ルガルの神を崇むる以前なるアラハバキ神なる神殿たりと曰ふ。更に大事たるは、ギリシアなるオリンポスの仙境に十二神を祀る方位ぞその向なるは北辰に古設ありと曰ふ。石の柱・桁のみ遺れるパルテノン神殿、アテネに在り。その建全たるとき、棟立になる中央にカオスの神像、北辰星に向へて設せりと古老は曰ふ。噴火に消滅せるミノワ神殿も亦、北辰星に向へて建立せりと曰ふは、古代神の信仰に於てなる。その礎なるは荒覇吐神・古代カルデア民の信仰の餘煙に基くありと断言仕るなり。

吾が丑寅日本國の、未知なる北方の國土にもその一切を覚りつあるも、世襲にその知覚を出芽を欠かるるまま今に至りぬ。實とはコロンブスがメリケンを發見とて曰ふも、その先史を曰ふなれば、モンゴル及び山靼より永凍海峽を渡りてこの國に居住せる住民の新天地たり。何をか以てコロンブス發見ぞ。

アスカ住民・エスキモ族・アメリカンインデイアン各族、パナマ地峽なるより南にアステカ・ナスカ、その南端に居住を擴げたるインデイオ各族の遺したる遺跡。奥州に於てはサンパプチシタ船に依りて、秋田實季の藩士ら、伊達藩士らとロオマへの更らなる渡航ならず。七年の間、山口氏の歸りを待てる間、パナマの古跡を巡りぬ。この石築の史跡ぞ、何れも祖を同じうせるモンゴル・山靼より移りて住みける住民らなり。

かくある探訪の史集も亦實季の贄居とて、幕令に消滅のやむなきに至りぬ。事の實相は、伊達氏・秋田氏の両藩に奥州の覇を西洋と結びてその開化に異なせば、朝幕何れも存亡の世襲に至るを怖れたる、いはれなき贄居の沙汰なりき。政宗とて、五六八姫を川中島より離縁と相成りき。家康の子息さえ、實季ともに伊勢朝熊に贄居の身と相成りきは、かくなる史實の故因たり。

八、

吾が丑寅日本國は、山靼大長河レナの河畔に金剛石ぞ採せる多し。山靼に混成せる民族、ヤクウト族・スラブ族・カザフ族・ツングウス族・モンゴル族・ブリヤアト族・カフカス族らにして能くモンゴルに入り、諸族倶にナアダムの馬術・力士の闘岐・弓箭射的・剣岐らの武術を競うたり。何萬人とも集むるナアダムぞ、北方民たる睦みの保つ相互の商益も兼たりとも曰ふ。

吾が丑寅日本國よりもこれに集ふることあり。山靼をして日本國を世に知らしめたり。ジパングとは諸族に知れたる丑寅日本國の意趣たり。モンゴルにチンギスハン一統の勢に達し、その孫フビライハン遠征を日本國に寄せども、サハリイにてとどまれるは、ナアダムにて知られたればこそなりと曰ふ。セレンゲ川に降る黒龍江の水戸先に吾が國サハリイ、卽ち樺太あり。河流に道とし交はるは、ジパング卽ち日本國が一國なりと曰はれむ。

レナ川の東域擴く金採鑛の多くありけるも、極寒にて振はざりしは風土の條故なりとも傳ふなり。山靼と往来にあるは倭人の知る處に非らず。亦モンゴルが元國と支那を併せしも、國交を欠く朝幕何れも知らざりきに、韓國人三別抄の都度なる火急の書状に元國を知らざる朝幕たり。時に丑寅日本國にては安東船、支那揚州知事マルコポオロとの交易約ありて往来せり。依てサハリイにて元軍の遠征不可侵とせるは、丑寅日本國ならず、倭國たりと曰ふなり。

マルコポオロ・フビライハンの像を東日流にては岩木山社、南部にては盛丘法恩寺、秋田にては旭川補陀寺、荷薩體にては淨法寺、渡島にては松前阿吽寺に現存す。倭國にては國難とて怖れたる蒙古の来襲も、来襲を招くべく使者元士を斬りたる非交に起りたるものなり。大凶作なる奥州・羽州の飢を救ひたる、クリルタイの掟に依りて救済せし蒙古の大慈悲。丑寅日本國にては倭史とはうらはらにして、かく遺れり。元國揚州の湊に交易せる安東船の事ぞ、倭史に記逑もなかりきは自業自得の國難たり。幸いなるかな、陸戦ならざる海戦にて、季節大風にぞ元軍は退きしを神風とて奇蹟を倭史に遺るらん。

九、

征夷大將軍坂上田村麻呂、奥州に蝦夷征伐たる傳、倭史に華々しきも是ぞ、史實に證して雲泥の相違これありぬ。倭史に伏せたるは、日本將軍安倍國東、奥州来朝に在りきを一行だに記逑のなかりきは、まさに笑止せんばんにしてその實に相違し、討伐行とは日本將軍安倍國東の許にて多賀城駐留の他その巡宿せる地處にあるを築柵に記したるものなり。田村麻呂の奥州長留とは討行ならず、佛法の弘布にして一戦も交はるはなかりき。

若し以て戦となりせば、安倍國東が来朝に在りその副將安倍國治が宮澤に在りて幾千の防人をかまふる大舘あるを、倭史に記逑の非らざるは實史相違の證なり。田村麻呂を武威の將たらしむは、膽澤の舘主阿弖流伊、江刺岩谷の舘主母禮らを上洛に誘ひて、朝賞官賜ありとて京に赴く旨を請談せしに乘じ、阿弖流伊・母禮らその謀辨に乘ぜられ倶に上洛を約せり。然るに念を入れて二將はそれぞれ五百の警兵を卆ひて上洛せり。

時に、田村麻呂は困惑せども謀りて河内なる社山に宿榮せしめ、言をたくみに入朝に兵と離し、両將を朝庭に招きたり。時に田村麻呂、一変して奏上す、是、蝦夷王にして吾が虜なりとて奏せるを、阿弖流伊・母禮は謀策と気付くるを防人ら両將を捕ひて斬首せり。抑々奥州征討ならざるに、上洛に以て先づ二將を討取ぬ。残る社山にありし奥州防人に酒肴与へて宴ぐを、奇襲なし惨たる殺伐をこらしたり。依て田村麻呂の武威、朝讃に賜りぬ。誠に以てぞ念怒の恨みやるかたなき哉。

十、

倭史に遺る歴史の事は、勝者讃美に加筆されたるものなり。尚以て丑寅日本に於てをや。前九年の役にても、さながら枝葉を加へたるものにして實相に遠く、征者及び安倍氏に反忠せし者をも讃談相加ふる記に占めらるなり。

亦是れを否せる後世の史家達を制え、再發を断つ刑罰とてその焚書に處して實相を刈るは、手段選ばざるの罪科とせり。現に、林子平また然なり。心せよ眞實は一路にして二路のあるべからず。

安政丙辰年七月二日
羽後比内の住人
小野寺弥介
秋田佐吉
伊東忠助
爪田甚造
鈴木光春
戸田兵介
飯田清利
田口彦造
浅利貞作
山口武三
右の十人古老の傳記、長談抄とせり。

羽陸之巡史證

一、

神かくしといふ史傳あり。山村・濱村に多し。人はある志を心に決めて故郷を、親を兄弟姉妹を断つて村を出でその旅に向ふ者あり。遺族是を探せども、當らざるを神かくしと言ふなり。なかんじく海を渡り異土にその一生を埋むあり。吾が丑寅の者は悔もなく故郷を後に巣發ぬ。その先なる國は山靼にして、住むるところに故郷名を遺しぬ。

秋田孝季、アラハバキ神渡来の山靼に巡禮せるは、かく神かくしにして彼の異國に住人となりにし羽陸の人にその萬里に合ふありて驚きぬ。天運は奇なり。以て人の運命ぞや、と曰ふ。あえて困難にいでゆくはまさに奇人なり、英雄なり。心してこれ讃ずるものなり。代々を絶えざる神かくし。なかには歳を經て歸る者ありき。秋田なる合川邑にその人あり。

名を白賴藤太郎と曰ふ、あり。故郷洪水に家貧しければ、安東船に水夫とて、十七歳にして能代湊より山靼に航したりしも、異土に渡りて行方知れず。五十年を經にして、妻子を倶に歸郷せり。邑に老いにし老母、八十を過ぎにして幸い存命たりしも、我が子を忘却し、連れ来たる藤太郎の孫を藤太郎とてだきあげ、實子たる藤太郎を人買とぞそしりぬ。藤太郎の子、未だ童顔去らざるにまっこと父若き頃とや瓜二つの似たり面なりせば、過ぎ年を心せざる老母、神かくし頃の藤太郎のみぞ、うろ覚ひて死すまで呼びぬれば、邑人ら親子藤太郎とて風稱す。

この藤太郎、山靼に於ての物語りぞ長し。藤太郎、末子にして三人兄弟なり。家貧しく父、漁士とて渡島船に鰊漁に出稼ぐ毎年なるも、藤太郎十歳のみぎり父・藤之介、海難に殉ず。少年にして海にあくがれしを、母に許されず。遁げるが如く安東船にやとはれ、山靼に着くや、西山靼人モリスと稱すカザフ族の旅商人のもとに働きぬ。

この商人、能く東海の海獣毛皮ラツコを物交にアムルのウデゲ族と交流し、三年一度の市に来りてトルコ王に珍品とて、金を毛皮の二十倍になる重さに金を得たり。亦、商域に擴く、モンゴル・アルタイ・シユメイル・ペルシヤ・ギリシヤ・エスライル・エジプト・ロオマに至る商行にあり。それぞれの國に妻子ぞあり。同行四十人を列しラクダ商人たり。藤太郎、名をジヤムカと名付けられ、チンギスハンの幼名を名乘りぬ。藤太郎、五十年の間に巡るその道筋、幾萬里を歩めり。

三十四歳にしてモンゴルのタイチユウト族の娘を妻とし、オルホン川近ダルハンにてパオ暮し。馬追の暮しに落し、六十にして黒龍江を降りて、望郷の飽田に歸郷を想ひて来たるなり。世は戦國にして、山靼船毎財を積にしその品、檜山に舘を築きし安東義季に買はれ、合川郷の知行をいただきしも、登城を常に山靼の言葉を諸臣に講ぜる多き日常たり。

依て、能代より山靼往来船になる船頭衆、大いに商益せり。檜山城に養子とて迎へらる潮方政季、大いに船を興し、北浦及び土崎に築堤してその商易を振しぬ。藤太郎の遺せし海道誌ぞ、その遺らざるは無念至極なり。

二、

人は金を求めざるものなかりき。依て陸羽の山に山師多く、蹈鞴跡ぞまた多し。金鑛はみよし掘り・狸掘り両方とも古代鑛法にして、砂金採ぞ普通なり。安倍氏に渡島より砂金の献ぜらるは實に莫大なる量にして、その蓄積さる埋藏量たるや幾万貫なりと曰ふなり。然るに天喜の代に宇宙に巨星輝き、一族の不吉と卜部氏の卦ありて、それを子々孫々のために遺したり。それな藏處、水留洞に一處・社境に一處を秘に埋藏せり。

これぞ康平五年厨川に終れる前九年の役を以て秘に固く、挙げて探求せども空しけり。安倍氏が天喜の巨星輝けるとき、卜部氏の卦に星の輝き消ゆは宇宙の星、暗に死すの一瞬にして、世に乱起り、長系にある君座は侵魔にその皆滅ある祓ひ難き凶兆にして、暦代の蓄財あらば大地に護らしめ、その秘を系譜に遺す他、術あらざるなり。依て、それを費すは一族再挙の他、如何なるをしにも費すべからず。これを護りなば、君座の永代宗主に累代し安泰に凶兆ぞ却りにけん。能く護るべし。敵に和の條とて献ぜども、討物引く事非ず。急挙に秘封大地の口に閉じ可。

反忠の者既に暗躍すとて曰ふを賴良、世襲の急なる凶兆間近に感應し天喜三年、是を秘に處はるか丑寅の祖縁の深に埋藏し、盗掘叶はざる迷洞に藏せり。人夫ことごとく渡島より寄せ、賴良・息子貞任・宗任・家任をして果したり。天喜五年卜部氏の餘言的中し、一族の宇曽利富忠に反忠され賴良、その狙箭に逝けり。康平五年一族敗るるも、程の遠からず安東氏とて再興せしも、卜部氏の卦に吉兆の故に一處掘りて費したるは、東日流に君坐の榮を得たる子孫の安泰・旧臣の安住たりと曰ふ。

三、

坂東石井に起りし、平將門の乱起りぬ。天慶の戦激して將門、狙箭に討死す。時に將門の一族、奥州安倍氏の懐に避けたる一族の數六千騎。亘理の相馬に安住してより相馬氏となりて遁世し、安倍氏の武威となりけり。安倍氏の武威・その戦法、平將門流を加へたる戦法、倭軍への驚怖たり。

坂東の諸氏、將門討伐に組せる者、何者かに舘を灾られまた暗に死する多し。是れ將門のたたりとて、その恨靈を鎭め給ふは武藏神田明神なり。將門の首、上洛にある途中に突如起りたる黒雲・龍巻、その一行を襲い、人馬をともに虚空に引込まれしに落下して生ある者なかりき。將門の首級は東に飛び坂東に安着せしを、地の民らねんごろに葬りきも、その夜墓穴を更に虚空へと舞ひあがり、奥州へと飛び却りぬと曰ふなり。

人噂に曰く、天に白雲の龍巻・黒雲の龍巻現れ、北天の方に却りて消ゆ、とてその傳説多し。世に門神また客大明神と祀る荒覇吐神社のあるは、將門の死以来坂東や畿内に祀らるは、將門の事なり。その故は、荒覇吐神の信仰者たる將門なりせば巫女の神懸りなる告に依れる者なりと曰ふも、定かなるなかりき。まして坂東より丑寅に、門神とや客大明神とて荒覇吐神を祀るはなかりき。龍神信仰は各處に社のありき多し。仙北生保内に唄はる、あねこもさ。そのあねこなるは將門の姫、楓といふあり。一説に妻の瀧夜叉姫ともいふ。その姫塚あり、現在す。

四、

陸州に人首・鬼首と曰ふ地名ぞ不気味に遺るあり。また、鬼たるを神に祀る風、是あり、東日流の鬼神社・飽田のなまはげ・宮城の寵鬼神らを今に遺し、鬼剣舞は春夏秋冬の鬼を舞ふなり。奥州に於て鬼はただらの神とて、金銀銅の細工師・山師・鍛冶の氏神社ありぬ。なかんずく山に鬼、海に龍神を祀るは常なり。恙蟲は鬼のあかにて、蛇なるつつのこは鬼の糞とも曰ふ。

龍の子は、龍の落子・海蛇・うつぼ・はもなどを曰ふも、奥州にては鬼のみ曰ふなり。風強き日に鬼火、山火事を起すとは風に木枝の摩り合ふて火起りぬを曰ふ。人の不始末なる火の、火事となるも然なり。とかく火を業とせる者ぞ寵鬼を祀り、農を耕作せるもの鬼神を祀りぬ。その故なる起りとは、古代に渡り来たるカルデア人を曰ふなり。火用ひて傳ふるは、ただらにて彼の傳法なり。

山靼とは亞細亞にして、西はアルタイのシキタイ民族・モンゴルの諸族、更にはギリシア・トルコ・シユメイルに及ぶ民族の商人を曰ふなり。その諸民のなかに紅毛人ありて、是を鬼と曰ふは、鐡を道具とし・鐡を着る・鐡をかぶる人といふ意味もあり。山にただらをなし鐡を採り、鍛冶をなして造る。鬼をして持つは鐡棒にして、髪つづれ紅毛に描くはその故なり。依て倭人の繪に、蝦夷は鬼に描くは常なり。

五、

國の北に住む人々をして忌み嫌ふるは、風土の條きびしく、肉を喰い血をも飲むといふ倭人の言なり。寒冷に生くるは食生、倭人と異にして、さながら住居も異なるなり。衣も亦然り。生々衣食住の異なるは、倭人の思ふに委せず皇化の條に反くとて今尚、蝦夷とて賤しめり。依て、蝦夷の史は無用にして入れず。ただ征伐讃美に綴るなり。

日本國と曰ふ國號までも奪取しその由も記なく、日本將軍たるの實在も避くるは、如何以ての故意ぞや。吾が國は山靼やモンゴルに睦みを誓ふアンダの盟約と曰ふあり。古来よりクリルタイ、卽ち民族の集いあり。ナアダムの祭りに競ふ武技、アラハバキ卽ちブルハン神への神司に、國運長久を祈る。このクリルタイに海を越え川を渡り、山を草原を荒野・砂漠を越えにして集ふアンダの盟約なり。

山靼の地とは國境なき民族の、自在なる交易になるカンのなき國たり。依てアンダの盟約を重じ、クリルタイに集ふなり。總ての民は神の子なり。依て神は平等攝取にして人の上に人を造らず、人の下に人を造らざるなり。民族はアンダの誓に睦む商を以て流通し、神を崇む古代シュメイルに宇宙の哲理に民族の心は神を求め、神は民族の心に降臨せりアラハバキ神なり。此の神に創る諸國に神々の信仰ぞ生ぜりと曰ふ。

安政丁巳年
物部藏人

丑寅日本史大要

陸海を擴しと想ふも、宇宙をして見つれば惑星の一つなり。大日論の光熱に地海は萬物を産み、人間を世にいだしぬ。年を經て萬物は進化し、古殻を脱ぐ如く萬物の生々、陸海に成長せり。人間また猿猴より抜けて、智歳に生長す。

先づ黄色なる人間、地の候に適生し、地海に渡りて分布せること、世界に住分を以て渡るなり。その證ありぬるは、世界の果つるまでに黄色なる民族住むるは、先住たり。今なる世界図は攻防勝者侵略の分布たり。黄色なる人間をして古代はなれり。吾が丑寅日本の史は、古なる西大陸より渡り来たる人祖にて國は成れり。

神また民族をして信仰を異にす。吾が國神は祖傳の荒覇吐神を奉ぜり。天は耶靡堆より此の國に安日彦王・長髄彦王を君臨せしめたり。時に晋の群公子一族漂着し、農をもたらせたり。茲に地族ら民族併合し、安日彦王を國主と卽位せしめ、日本國と號く。爾来、阿毎氏・安倍氏・安東氏・秋田氏と累代す。

安政丙申八月一日
秋田之住人
鳴瀬刑部

北奥傳説記

一、

陸羽をして何處もおしら・いたこ・ごみそのたぐいあり。神がかりをして民の惡靈を退散せしむの祈濤あり。現にも存在す。元来にして、おしらは衣の神にして産の神司なり。いたことは靈媒にして死者の言葉を告げ、その靈を安んずる神司なり。ごみそとは生靈や死靈のたゝりを退ぞけて家内安定をなせる神司なるも、現に古代なるはなかりき。

佛法また倭神に奉請せる他、もとなる荒覇吐神の奉請になるはなかりき。本来にしてなるものは、おしらの桑の木にて造らる女陰・男陰に造る神像に布と鈴を装はしむを遺し、いたこは神を奉請せる弓弦を鳴らすだけなるにして、あとぞ佛法の奉唱なり。ごみそにては倭神の他、奉請はなかりき。

世襲に於て信仰も古代の眞傳を去りて、時勢に習ふなり。とかく迷信に誘はれ易きはこれなるたぐいにて、誠の正傳になるは渡島旧民のイオマンテの他、非ず。いなうを用ふるは、いづれにもなかりき。今は名のみにして、倭風に神祈を以て為せり。抑々われらの祖にある社名をして倭神に改へらる多し。
語部録に曰く、

是の如く説き置ぬ。
おしらにては女人の信仰多くして、いたこもまた然なり。本来神像なかりきに、古代の女人ら土器を造りし岐を以てアラハバキ神を造りたりきも、多くはチセに祀らる多し。依て本祭にしては、神木三股の木を前にヌササンを設け、イナウを神と建てその前にカムイノミを焚くは、古代の神事なる習しなり。神司はオテナやエカシにして、女人らはフツタレチユイの踊りを卽興に、夜を通して踊りぬ。祭事集まるコタンの數に依りては二日・三日と神事にありと曰ふ。今に見る渡島に證す。

二、

物の化とは惡靈と畜生または獣物と蛇虫にて人眼に付くあり。古来より狐火・もろ火などを暗がりに幽煙と青く白き燃え火を見るあり。また音なく通り抜ける幻影の如きものをして幽靈と曰ふ。物の化の實在せると思ふは人に依れる気なる特様なり。いとして否されざれとも、

「ざしきわらし」「いづな」「とうふ小僧」「ただりもっけ」、「かっぱ」「かなしばり」「ぬれ女」「蛇骨」「鬼火」「火鳥」 「火車」「化猫」「長髪」「餓鬼」「海魔」「川亡」「うふめ」「亡靈提灯」「油赤子」「墓火遊」「影幽靈」「鬼婆」 「がしやどくろ」「魔面」「海坊主」「天狗」「魂武士」「犬神」「白蛇」「九尾狐」「人魚」「雪女」「やどみえ」「げろこ」 「やまんば」「ろくろ首」「一つ目入道」「袖ひき」「ももんじい」「泣き石」「丑參り」「かじがかか」「ふるそま」「やまわろ」 「かみぬしみ」「手の目」「吹き消し」「おおかむろ」「こつくり」「あかなめ」「あまのじゃく」「しらちご」「はんにや」「うぶめ」 「泥田坊」「がこぜ」「ほうこう」「ぬえ」「化蛙」「手負蛇」「ひょうすべ」「牛鬼」「馬頭鬼」「かまいたち」「つつが虫」「雷獣」 「土ぐも」「いそなで」「しようけら」「おとしろ」「みずち」「てっそ」「まくらがえし」「海わらわ」「船幽靈」「しろうねり」「疫病神」「ちつこ」

右の如く難多な物の化ありて、各々に怪談ありき。然れども世に證なく、ただ傳説のみにて遺る多し。亦、故意にして人の立入を禁ぜる山や邸を護らねばならぬ處に妖怪のいづる作話を以てなせるもありぬ。

凡そ物化は世に無とは断言出来ざるも、諸國にかかる物の化の名あり。人の怖れし處ありて遺るは、怪談なりき。それを筆なすは、歴史の探究に支障ありければ、物の化の談に一端筆を次に移しける。

三、

奥州の佛法をしてその古寺にあるは淨法寺・極楽寺・西法寺なり。現に遺るは淨法寺・極楽寺あり。西法寺は天喜五年に宇曽利富忠に焼かるるなり。和賀なる極楽寺三十三ヶ寺ありきも、清原武則の手勢に灾られたり。依て今遺る毘舎門堂さえ後世の再興なりしも、僧常住し法灯の絶ゆるなきは幸なり。淨法寺のみは安全たり。

千古の杉木立に未だ現存せしも、いつしか寺號は天台寺と相成り、淨法寺とは邑名に変りぬ。この邑は、安日邑にして古名なり。安倍頻良が孫の井殿を盲目故に案じ、この寺閣を再築して七歳にして入道せしめ、子の良照をも付添へて人道せしめたり。大日如来を中尊とし胎藏界・金剛界の理趣を以てこの寺閣は成れり。本堂を中央に安じ、その東西南北に四佛、薬師・阿閦・阿弥陀・釈迦堂が中尊を圍むが如く成れり。何れも地木を彫りて尊像を安置し、金胎両界の曼茶羅はモンゴルラマ僧にて法要されたりと曰ふ。
古書に曰く、

淨法寺伍佛帳

奉請本願之迎伍佛本願力、我今為歸依
南無大日如来
南無阿弥陀如来
南無阿閣如来
南無薬師如来
南無釋迦如来
大法神通力役小角感得尊併奉請
南無金剛不壞摩訶如来本地大乘尊
南無金剛藏王大權現垂地小乘尊
三界因緣諸障滅度大神通力本願力
南無法喜大菩薩
今降佛界淨土達安日山淨法寺、四衆奉請天神来臨、救四衆苦悩給也。
神之鎭主、當地古今三界之大神併奉請渇仰、
荒覇吐神無上尊
宇宙天界一切
大地三界一切
水陸海界一切
願以是請願四衆降魔誅滅為給
○△―・・・・・・
・・・・・・・・・

右の如く遺りぬ。
これぞ古なる淨法寺なる信仰になる民の本願たり。東日流にては荒覇吐神一崇に中山千坊・石塔山荒覇吐神社あり。古代の神そのままに拝す。の一心なり。

佛法入れたるは、役小角感得の佛法界になき摩訶如来・金剛藏王・法喜菩薩のみなるも、淨法寺よりの両界諸佛は安倍賴良の石塔山埋葬より大いに降興せりと曰ふ。
大光院中尊明細帳に曰く、

第三中山本願道場之事

北斗の光明光に動くなく石塔の法場を照す。是れ地界二十四時の廻天其芯軸にありて不動なる故なり。荒覇吐神の理趣是なり。中山に北斗見ゆ處に石塔あり。萬年前の築石神、卽ちアラハバキイシカホノリガコカムイなり。北方の山間空たる地位にあり。西は三輪の石神、北は權現海辺の石神。三方角に結びて、石塔山をイシカ・三輪をホノリ・權現をガコ、三神相遠望にして火焚傳せり。

古代なる神その祭とて亦、然りなり。東日流は三千坊とて佛の法場あり。阿闍羅千坊・中山千坊・十三千坊とて安東氏の發願にて大成されたる法場なり。その古寺もまた世襲に消え、残るは少なく今、藩許の寺に古来の構造を改め、三千坊の名を留むなかりき。宇曽利の恐山のみいささかに古信仰ありて現存す。また藏王山にては寺跡のみにて、ひとりとて信者のなかりきに淋し。

四、

倭の西國にては、富貧甚々しく相違のくらしを見ゆ。乞食は野に無縁とて墓標も是なく、身賣の死も然なり。ただ守銭奴の如く自己得利にして、人をやとうるも牛馬の如く、病に仆れては薬醫も食さへも与へざる多し。富める者に底頭し、亦豪力なるものに避け、官役に隠れ、惡行巡營す。賭をして正直者を堕しめ、財を私にせる無賴の輩横行せども、役人その袖金に法を曲折す。かかる世襲に救ひありや。

農工商をして賄許に叶ふは民庶の營業なり。金をして巡るは、武の系図も売買せるあり。もといやしきも是れにて家系を併せて見栄せり。かかる世の無情ぞ、丑寅日本の地に上方商法あまくだり、住民を貧堕せるは、赦ざれる行為なり。のぼりての世に安倍氏國主たりしの世ありて、人をして乞食をいださず睦み、邑を一家とせる救済の渡りき世のありきを愢ぶなり。

安東氏が金光坊と云ふ念佛僧を入れて、藤崎に施主堂を与へたるは、平等攝取を旨とせる治領にあり。亦、己が菩提寺を平等教院と寺號せるは、その證なり。祖来安倍一族は、吾が一族の民になるは人の上に人を造らず、人の下に人を造るなしと、掟を以て不断に、民は暮しを護られたり。されば、今なる世襲いつまでぞ。天なる運命の裁きやいかに降るらん。

五、

諸行無常是生滅法
生滅滅己寂滅為楽

佛法の要として傳はるこの銘文をして、東日流に佛寺を多く建立せし、十三湊及び藤崎安倍先代より、山靼往来を以て世界を知り、異土なる知識に丑寅日本は古代に輝けり。依て民族の種を異にせず、山靼より歸化せるを大いに迎へたるなり。信仰をして迷信を造らず、睦みを欠くを戒しめり。

抑々、地の條に風土を異にせる陸羽の民ぞ、その生ざま亦異にす。山住み・大里住み・海濱住みぞ、各々異りても安倍氏が布令にぞ進みて従ひり。信仰に募兵に、いざや急挙の報にも能く渡りたるは、安倍氏を日之本將軍たるの不断たり。産金・貢馬、奥州の原野十戸の牧あり。金山また然り。山師の労々にぞ鑛に當つるは、その以前を越えにして閉ぎたり。農田畑を拓くも亦、民の暮しぞ安泰たり。國をして益をなせるは船交易なり。

諸行に武威を覇とせず、商を以て國力とせしは、古代よりの歴念なり。安倍國治の曰さくは、商は睦を招き、討伐は後世に悔を遺すと曰ひり。山靼は海なせる間あれど、諸法に求て若き者は移りゆく山靼こそ、丑寅日本國の礎たり。倭史に惑ふなかれ、栄實ある歴史は遠きに越ゆなり。

六、

安倍良照は日本將軍賴良の舎弟なり。賴良の子・井殿と入道し、道照とも法名す。阿久里川の騒動より佛道を離して、生保内に自城を築き六郡に与ふ。爾来、賴良の副將とて衣川中島柵に居住す。良照、常に備あり。衣川牧に六百頭の駒を餌遊せしめ、事に欠くなし。この牧に的場あり、弓箭を練す。

衣川本舘、一族の習ひにて二十五年を以て廢柵とせり。柵を永代とせず、世襲に應じて地處を要害・地物・天然を利して築きけり。時勢怪しければ、築柵を異に築きぬ。変らざるは川辺に築くを旨とし、垣舘をめぐらすも逆茂木・柵迫・楯垣・張縄を施工す。良照の得意とせるは隠城にして、本城の八方に築き部の民を住はせり。刀工・大工・鎧師・鍛冶を主要とせり。牧に鞍造を置きて、馬に的當す故に古鞍を新駒に用ゆことなかりき。

生保内に城を築きけるは、戦事にして女・童・老人・病人を移むる養生の故なり。前九年の役にては、その實を成らしめたり。實用以て不断の験を證となせり。良照、厨川の戦後行方知れずとて、世に遁生せるは仙岩峠の下ばんどり澤に方丈を結びて入道に復し、生保内に越え石尊寺に暫居せし後、秋田日積寺に入滅せりと世に傳ふなり。良照の太刀は、無銘なれども金寶寿の作にして二尺四寸五分たり。良照が墓ぞ石塔山に在り。天寿院殿良照大禪門と號す。遺鎧、黒皮おどしなり。常に阿弥陀佛を奉持し、石塔山に遺れりと曰ふ。

倭の史は支那に基くも、丑寅日本史は山担を歴史の基とす。古代東日流女人の造れる土像・荒覇吐神は、シキタイ紋様を飾りて施工せり。かかる遺物に證すは、江流間郡に土掘らるあり。尚、土中に埋りぬを餘感す。いかでシキタイの紋様になるや。その答に曰せば、交易往来ありと卽答に苦しまざるなり。

サハリイより黒龍江を道とせるクリルタイぞ、その古きしるべなり。商は交易毎に世界を知り、遂には山靼諸民を知りて親交し、その智惠を知り得るに至れり。アラハバキ神をして、古代シュメイルのグデア王・ギルガメシユ王らの叙事詩、アラとハバキの神。そして、ルガル神・土版文字に依れる宇宙の創り。古代ギリシヤの神カオスの聖火、エジプトのアメンラア神・ミノワの神などなど。

そして傳来の道シキタイの民に依るアルタイの大地を更にモンゴル・黒龍沿岸大草原を樺太に渡り更に渡島を經て東日流に渡来し、その智識を傳へたるは丑寅日本國。倭人に曰はしむれば、まつろはぬ化外の蝦夷國なり。能く想ふべし。日本國は丑寅の國にして、倭國とは別ならん事を。

八、

弱にして出る釘は打たれる如く、吾が國・丑寅日本國は日本將軍安倍賴良、前九年の役にて一族亡滅の爾来、奥州の史は焚焼され、永く甦えるなく今上に至れり。國名までが奪はれ、丑寅に曰ふ倭史は一言にして蝦夷と無史賤民の類に、その實史を今に遺すは片にも欠そんじてなかりき。蝦夷とは何事の稱ぞ。倭を以て神代たる歴史の筆頭は、何事の實史ありや。平安の代に紫式部序言に曰く、日本紀は片そばぞかし、とて評せるの記、是あり。神代より記しおきななりとも記しぬ。

想ふに、稗田阿禮・大野安麿の語部が木に竹をつぐ事々も、順能く祐筆さるる史作なり。丑寅日本國はその國號を名付くる程なる古代先進たる國造りにて、倭の皇記より更なる古代にのぼるなり。古老の曰く、丑寅の國は十萬年乃至十五萬年前に人の渡りきたるはイシカの山に印あり、と曰ふ。古代丑寅語にしてイシカとは、前方の光り・宇宙の光り・北斗の光り・大日輪の光りと曰ふ意趣なり。依て日輪の光る丑寅の國とて、此の國を日の本なる國とて國號すと曰ふ。アソベの民・ツボケの民と相移りきも、その以前にして山靼より凍氷の海を渡り来たる民ありと曰ふ。語部録に曰く、

年を經し事、十萬歳乃至十五萬歳の前、海陸凍氷しそれな歩き来たる民あり。石刃を用い、木片を擦りて火を生しける民なり。是を號けてメキト民と曰ふなり。

かくの如き傳あるも、定かならざる。
傳ならざれど、原野に見付く石刃、その證なりと曰ふ。メキトとは古語にして、幾萬年前の人たる語に依る付名なり。天明二年、世は大飢饉。山野に餌を求めてぞ人々は死と背合せに、山菜を、木の實を飢に食を得んとす。ときに梵珠の麓に、今ぞ世に無き貝の石くれあり。そのかたはらに丈大き人なる骨を見つくあり。そのあたり青泥土あり。山猿是を喰いにけるを、人々是を喰いて飢を過せりと曰ふ。これな人な骨、十萬年前なるものとぞ曰ふは、貝化石に證す。

九、

丑寅日本國、雪と寒なる冬當来に何事のなく生々せる住民。身、毛皮をくまなく包みて横なぐりの狩猟あり。海濱に波寄せる食藻・貝を採取すを常とせり。冬にして美味なる渡り鳥あり。獣物、毛質よく抜毛なし。四季に通ず季節は都度に通して、食生を事欠くなかりき。

國末の東日流、古代に於て生々の衣食住、安養たり。依て人は心に信仰を發願し神を求め、自然になる總てぞ神とて、天の一切をイシカ・大地の一切ホノリ・水の一切ガコを神とし、目にせる一切を神とせり。神を感得せるは女人に依りて成れり。依土に造る神型ぞ、古になる神像たり。

亦、海辺や川岸に赤・青・緑・白・黄・黒の色彩やその形の珍石を神と祀る石神より、自然造彫の巌なる奇型をも神とせり。かく原住民の處にぞ海を渡り来たるカルデア民、山靼より渡着して居住し、神をアラハバキとぞ教へたり。住民・渡民、その信仰併せてアラハバキイシカホノリガコカムイとぞ稱して、信仰を睦みたり。

人は古今に同じく、死への驚怖と悲しみ。それな安らぎの信仰とは、イタコの靈媒・オシラの衣食住の安泰祈願・ゴミソの運勢と卦に等しき占を以て、神司を生じたり。世を新に移る程に、神司は衆を挙げて祭りをもよほしぬ。神祀を更に世を新にしてぞ、鎭守を聖地に求め神社を建立し、その築石塔を神とせる民の世こそアソベ族・ツボケ族の世なり。更に日本國を誕生せしめたは、耶靡堆より奥州に落着せし安日彦王・長髄彦王の大挙せる落人あり。茲に日本國と曰ふ國號と國主一世とて安日彦王成れり。

十、

日本國とは丑寅の國號及び國主の建國を以て、倭國の先なる世に成れり。國の区を、東日流・飽田・宇曽利・糠部・荷薩體・閉伊・仙北・庄内・磐井・伊治・越・亘・會津・白河・坂東諸郡を、荒覇吐五王とて中央・東・西・南・北に立君せしめ、中央なる王の總主に治むる政たり。

依て是を日本國と曰ふなり。國なる西境ぞ、安倍川より糸魚川に至れる地溝帯こそ古代なる日本國との境なり。妙髙山・黒姫山・戸隠山・冠着山・八ヶ嶽・霧ヶ峰・駒嶽・白根山・七面山・有度山に連なる標を山頂に、西を地溝明らかなるを古代人は見極めたり。以上を北奥傳記とし、茲に筆了仕る。

元治甲子年月日
山田長次郎

亘甚吉
伊東繁信
髙橋善道
金田一忠造
天坂与三郎
松本賴家
須藤水昭
中路源悟
江坂多吉
右以て北斗抄九巻を了筆す。末吉

和田末吉