丑寅日本紀 第十一

孝季

安東史

奥州東日流下磯奥法郡藤崎に八町余の城柵を築き、平川・汗石川の流水を引きて濠となせる白鳥城の初代城主を安東次郎髙星丸と稱しける。厨川太夫安倍貞任卽ち、日本將軍の次男なり。

康平五年春、二才にして乳母奈津江にいだかれ、重臣髙畑越中・菅野左京らにいだかれて奥州路を糠部にたどりて、外濱に鍋越山を十三湊に落着。安倍則任の居城入澗城に食客せし後、寛治元年藤崎に柵を築きて、東日流六郡の領主と相成り、長じて安東十郎賴貞と姓を改む。

髙星幼少より渡島松尾澗内に能く渡りて地民と睦み、山靼より渡りきたる紅毛人及び蒙古人を友とて、その歸化を許し異土の諸岐を習へたり。流鬼國・日髙渡島國を渡らしめて、蒙古馬及び山靼犬を入れて飼ふを領民の常とせるに、殖たり。亦、海を路とせる船造り盛んにして上磯に湊を開き海産にては糠部・東日流を以て豊けく、舊臣多く東日流に復したり。

寛永三年如月一日
磯野勘右衛門

姫塚白蛇傳

天慶庚子年、平將門丑寅日本國を復古せむとて坂東に挙兵せるも、一族親縁の反忠に依りて果さず討死す。一族の者、奥州日之本將軍安倍氏の所領に遁走して救はる。中に將門の正室辰子遺姫なる楓、成にして瀧夜叉姫母子は仙北生保内邑に落着して忍住せり。

時に楓姫病弱にて母辰子は青龍大權現の鎭む生保内湖の湖宮に三七、二十一日の祈願をせしに湖神なる青龍大權現の告を夢うつつに聞くも、楓姫を病に救ふは母辰子を神のもとに仕はしむ入水を告げて消えり。依て、辰子は浮虫と曰ふ乳母に楓姫のゆく末を賴みて生保内湖に入水せり。不可思義や楓姫は身體強健に相成りて、花も盛りなる十七の美女と相成れり。

長じて乳母なるより父將門の討死と母辰子の祈願入水の事を聞きてより、楓姫は大いに悲泣して中生保内の郷に一宇の草堂を建立し、延命地藏尊を本尊として父母の菩提を念ぜり。然るにや、楓姫十八の残雪未た解やらぬ四月の三日に死したり。

〽山吹の華にも似たり將門の
  遺姫はねぶる生保内の郷

誰、詠む歌ぞ知らざるに、邑人の盆唄となりて今に遺りけり。十七の夏、病を退散せしむ一法とて旅の修験者に瀧夜叉姫と賜號されたるも、ねぶるが如く入寂せし姫をその草堂境内に埋葬し、是を姫塚と稱し、邑人の參拝しきりたり。

後世にして世襲は尊皇の世となりては平將門を國賊たるの風聞流布し、將門の遺姫の塚、他處に移せむと邑人ら蒙害を怖れて姫塚を堀らんとせば、生保内湖より龍巻降りきて、此の塚に六丈に餘る白蛇此の塚をとぐろに巻きて護りたるに、邑人驚怖におののきて退散せり。

爾来、此の塚に花香をたむける人に白蛇の相を見ゆあり。是れを眼にせし者は富み、子孫に慶事多く靈験ありと、今に尚參拝しきりにして、瀧夜叉姫が崇拝せし延命地藏尊をなでやれば病の治るとて、邑人は更に母子地藏尊とて石に刻みて奉寄せる。苔を衣の如き古石像今に遺れりと曰ふ。 (原漢書)

天文甲寅年八月十三日
秋田生保内之住人
田口与左衛門

あねこもさ

〽生保内のヤアエイー
  楓は紅くあねこもさ

〽あねこもさヤアエイー
  ほこらばほこれ若いうち

〽櫻花ヤアエイー
  咲いてののちにたれ折らば

〽折りたくばヤアエイー
  尋ねてござれ澤雨に

〽別れるにヤアエイー
  糸より細く別れます

〽恋しさにヤアエイー
  空飛ぶ鳥に文をやる

〽この文をヤアエイー
  落してたもな賴みおく

〽姫塚のヤアエイー
  白蛇の目にも涙あり

〽子の病ヤアエイー
  辰子は死してまもりなむ

〽哀れなりヤアエイー
  田澤のうみの物語

寛政五年七月十四日
生保内邑盆唄
和田いよ

日本國丑寅秘傳

世襲に敗れし者の落くる郷は、安倍一族にして玄武に果なく新天地あり。渡島・千島・流鬼島、更には山靼にては紅毛國に至る渡遁の大地ありて、古代より能く人の往来ありて睦めり。丑寅の泰平至れば耕作・漁撈・産金・産貢馬の益を不断に収す。

依て一族の急ありせば、此の財を以て生々の基とし、再興また速やかなりきは歴史の證せる處なり。抑々、丑寅に日本將軍代々に渉る遺寶の秘藏處にてはかしこに秘存せり。丑寅に於て産金せるは億兆に價す金塊ありて、貧けるなかりき。黄金の鑛採鋳鎔せしただらの岐は、山靼よりの授傳にて、探鑛より一切を覚りて、丑寅の深山とて至らざるはなかりきと鑛師は曰ふなり。

金塊となりにしを盗奪に護持せんが故に五王の議に秘誓に約し、その極秘ぞ誰れとて知る者はなかりき。その秘図は安倍の宗家にありて継者の他に知るべからざる掟ぞ不破なりと曰ふ。

寛政六年七月二日
川田米作

神秘之宇宙

太古にして神なる想いを宇宙に求め、天體の運行をみつむる古代人の遺せし神話の數々を重ねきて成れるは、天文の智識なり。

ギリシアなる古代神の神々・シュメールなるルガルと曰ふ神格・イスライルの民に發起なさしめたる救世主イホバ神・アラビアの旅商に起りしアラーの神・北州紅毛人になるオーデンの神やクーム・天竺になるシブア神亦はヤクシー女神・古代蒙古に崇まるブルハンの神・支那になる西王母神や女媧・伏羲神々・そしてわが丑寅日本國になる天地水を神格ならしめたるイシカホノリガコカムイを修成してなるアラハバキ神・倭國になる髙天原天地八百萬神、何れも未知なる宇宙に求めたる神格なり。

人は神に似せられて作られしものと説く舊約聖書や、女媧黄土を以て人を造るとぞ人祖の出自なるを土なる塵にて造らるの傳説多し。世界になる古人の求めたる神格の起りきは何れも宇宙に神を求めて成れり。暦も亦かくして造られ、月蝕・日蝕また地界の潮の干満、四季の至る多くの智識を得たるは、古人の宇宙觀測にて得られたるものなり。そして、生々萬物の食生連輪の生命になる進化の學得と、身命救病の薬學も神になる信仰より人は學びを進めきたるものなり。

荒覇吐神の理に是を修理固成と曰ふ。人心は常に進展し亦、諸々に渉りて智覚を欲するが故に萬物の靈長と相成りぬ。太祖にしては宇宙の塵より成れる日月星と同じくして生々萬物の元なる生命體の發端は、無機有機の塵質に宇宙よりの光熱、大地と水の化合にて出現せる一種より進化分岐して成長ならしめたる生命體自身の進化に依れるものなり。地層にいでくる今世に生々なき石化の遺骸は元なる生命體の相なり。依て人祖をして特になる神の造りものに非ず。

宇宙の成れる無の限界より起りしカオスの爆裂より密度の光熱生じ、そのなかより生じたる爆塵の質物にて誕生せしは、億兆になる宇宙の星々にして、われらのみつる日月星地は宇宙構造の塵にも足らざる小界なり。神ありとせば、ギリシアになる古代人の想定せるカオスこそ神とぞ信仰に価する神の存在なり。人は能く全能に成る神造りをして、奇想天外を説き、神なる聖りとて、人を信に誘はしめ、先住の民、住むる地を無血に駐領占むる偽善の行為多し。

人に神の造れる由なく、神になる全能の説くる者は聖ならず。神に名を借る奇辨論師なり。人は生れて、その生々に安しきこと少なく、生々萬端生老病死の苦あり。それに奇辨を以て求道救済、聖なる導者亦は救世主・仙人・行者・髙僧などと各々秘法とか正傳とか密行などなどの奇術を考案なし、天國なる極楽世界、地底なる地獄世界を作説して衆人を招き、布施とて散財をなさしむるが故の奇語盲語にして、何事の生々の為に實證なかりけるは、信仰に過度せる神と名付くる、人造信仰なり。

信仰とは誠に以て迷信無き實情に疑はしからざるを以て眞理に心して崇むものなり。依て、古代人は常にして宇宙に神秘を求めて學を修めたり。

寛政七年九月十九日
秋田孝季

不迷信心史

古来より人心は正邪の境を紙一重にして惑ふあり。生々の故に起る身心の喜憂亦對人をして怒恨と報復・諸慾諸道楽三昧・善行と惡業・一得千金の夢想ら相混輪にして起す果法は罪と罰にて、人は人を裁くるも、天秤に片見多く、神なる裁になる正断の如きはなし。

理に通じても法に反し、法に反しとも權に制へられ、權に横謀なせるものは、天に裁かるるを世襲と曰ふ。人の智識に及ばざるは、天地水の報復にして、人の暮しに理と法と權にて司る者とて、誠に非ざるなり。依て信仰ぞ世に盡きる事ぞなかりける。

信仰にして眞理なりやと審さば、是ぞ迷信多くして實成なり難し。されば何れが心身の救済とぞ相成らしむや。諸學に通ぜしも人は智に得るとて迷信に墮易く、正學は成り難き命運にありける故なり。古来、望と實成は一致になりがたく、衆をして起るは殺伐の戦なり。依て人世に成れる君主は無用なり。

人々相睦み、相互の慈悲心に成れるこそ生々に安らぎ多き人の道なり。生死の事は天命に安じ、常にして物事の判断に學びてこそ、人の生々も安らぎを覚るなり。能く衆に集りて定むるとも常にして邪道は砕き迷信を断って、末代に正しきを保つべし。

寶暦元年八月
利天坊曰く

正中山光降の事

東日流中山に梵珠山ありて夏夜に至りては天空より光るるもの宇に舞降れり。此の山に正中山梵場寺ありて、頂の靈光と曰ふも定かなるはなかりき。

修験の行者に曰はしむれば、これぞ夜光虫にして小なる蛾虫と曰ふも、是れまた證ならざるに今に以て不可思義と曰ふなり。

寛政五年七月七日
石田そど