丑寅日本紀 第三
孝季
オリエント旅状記
吾が國の古人は一統信仰になるるアラハバキの神なる故縁を求め、東日を渡島に渡り流鬼島を經て山靼の地に渡り、黒龍江をさかのぼりて興安嶺を抜き、ブルハン湖にたどりアルタイ平原を越えてギリシアに至り、多くの史談諸遺跡に遇す。
依てその旅状を繪に㝍し置くものなり。
寛政五年二月六日
秋田孝季
渡島マツオマナイ
流鬼島
興安嶺とアムール河
スキタイ民族傳統、冥界之神は鯰也
棺型鯰に造るなり、亦馬を従葬す。
擴大なりアルタイ平原
古代騎兵大國之跡
カラクームの道は遠々と
山靼砂漠は只砂に地平す。
ザグロス山の大連峯
古代シュメールの母なる大河
ナイル大河王國アルギザ
地中海に望むエルサレム
キプロス島のトロードス山
ペロポネソスのスパルタ
ウスクダルのポスポラス海狹
トルコのアララト山
ペルシアのケシム島
カラコロム仙境と天山
タクラマカンとクンクル仙境
玉門
蘭州
長安
揚州
肥前松浦
若狹小濱
羽州土崎
東日流吹浦
右図の景は巡脚三萬里の画抄なり。此の道は古代より歸化人にて知る旅程なり。當時、倭國にては韓國を掠め國交を仇敵とせる多く、吾が丑寅と異なりてただ征討の意趣耳たり。依て山靼より此の丑寅日本國を交易とせる海道は黒龍江下りを旨とせり。
是の如きは倭國の知るべくもなし。まして荒覇吐神の正傳亦、日本五王の政を知る由もなく永代す。然るに支那にては旣に書戴さるところなり。
右巡禮図解如件。
寛政五年十一月廿日
秋田孝季
和田長三郎吉次
石塔山奉寄實物
山靼オリエント巡脚遺物
山靼遺物、青銅鉈、モンゴル、全長一尺三寸五分
銅鏃類、全長六寸七分、右同、右同、右同、右同
八寸鉈彫造り、ブルハン神
銅剣、全二尺三寸
銅楯、シキタイ、二尺八寸圓、内皮張り
銅𨦟三種、全一尺、全長一尺三寸六分、全長二尺六寸七分
クツワ、アブミ、馬面
ギリシア遺物
青銅石彫工具
銅神像、全長一尺二寸七分、カオス
像図を略す二十五躯 パピルス画像
ウラノス、ガイア、クロノス、レア、コイオス、ポイペ、イアペトス、オケアノス、テテュス、ゼウス、デメテル、ヘラ、ハデス、ポセイドン、ヘステイル、レト、オケマニデス、イナコス、クルュメネ、ドリス、アポロン、ネレウス、オケアニデス、クリュメネ等多きに、ゼウスは神の長なり。
エジプト神像と石版當写
石製神/アヌピス神、六寸三分/ソカール、右同/アメン、右同
スフィンクス、髙六寸・横一尺/ラムセス王、写画
解説之事
右図にいでくる神格になるは、何れも古代シュメールになるアルガメシュ王の叙事詩になるものにて發起す。卽ちオリエント何れにもアラ・ハバキの意趣に籠らざるものはなかりき。
獅子と女神になる猛和の神通力を神の全能とせる縁原は次になる図を見付くべし。
寛政五年十月廿日
和田長三郎吉次
シュメール遺物
全長六尺、黄金像、ギルガメシュ王
アラ神、土版像、長七寸・横九寸
ハバキ神、土版像、七寸、ルガル神とも曰ふ
土版語印、土版語印、耕作鍬
右図之品、古代オリエント諸國の大古なる遺物なり。凡そ五千年前になる品と曰ふ。史を告ぐる唯一なる品と地老より授くるものなり。大事とせよ。
寬政五年十一月廿日
秋田孝季
和田長三郎吉次
追而
右図品々異境のものなれば、石塔山洞に納め置くものなり。一品とて失ふあらば神の報復に苦しみぬ。依てマデにせよ。マデとはシュメール語にして家また大事と言ふ意也。
長三郎 花押