丑寅日本記 第九
注言
本書は倭史之偽傳日本國號を奪取せしを、丑寅の實史に依りて綴りしものなれば他見無用・門外不出と心得べし。
和田長三郎吉次
序言
舊唐書・新唐書に曰く、日本國は日辺の丑寅に在り、倭國とは異なりぬと記逑せり。亦、倭王を阿毎氏とせり。
倭國に天皇記・國記ありてその實相を遺せども、倭の史を要とせる帝記及び本辞の史書になる倭朝になる史の綴文に虚偽多く、天皇記・國記の行文にくらぶればその偽作行為に露見に明白なりせば、是れに心痛せしは天武天皇にして古事記の序文に御爾せるは、朕聞く諸家の賷る帝紀及び本辞、既に正實を異し多く虚偽を加ふ史文あり。今なる時に當りて改めずば萬世の恥傳を末代に遺す偽書たらん、と勅したり。
然るにや天武天皇になれる天皇系統史こそ尚神代に継ぐる神皇の代々とし、皇祖の萬世一系を神話語部なる大野安麻呂・稗田阿禮になる尚夢想奇想天外の幻しの架空想定の史頭なる建國天皇紀元史なり。依てその障りとなりきは、本来になる實記・天皇記及び國記なり。依て大化壬申之年、謀りて是を國神司祭にありき蘇我蝦夷の秘管にありき天皇記・國記を奪取亦は焼却せんとし、反忠なる口上を策して蘇我氏なる舘・甘橿の舎棟に灾り時、蘇我氏火中に自刃せるも彼の史書得ず。亦その秘を白状に及ぼさぬまま是の策謀ぞ空しかりけり。
天皇記・國記の處在にては、かねて是あるを察せし蝦夷の用心ありて、朝宮にはるか遠き和銅山荒羽々岐神社之雌神・雄神の二尊胎内に秘詰めて豊田郷神とせしにや世に知る人ぞ無く、後に坂東八平氏の氏神たる御神体に持廻りしが平將門、是を江戸郷に祭りしより是の地を神田とし神田大明神とて祀りぬ。將門、幼少の頃より文武二道に心得て、丑寅ぞ日本國なりと知りてより、坂東より丑寅を倭朝に離國し古来日本國に復古せんとて衣川に君臨せし日本將軍安倍國東に天慶己亥年に対面し、丑寅日本國の荒覇吐五王の復古を契して坂東征挙に兵を挙ぐるも、八兵士の裏切卽ち同族になる坂東八平氏の反忠にて討死せり。是の策謀を企だてたるは藤原秀郷にして、將門が大事とせし此の神像を將門が遺姫なる楓姫に遣したり。
依て母郷になる羽州仙北之生保内邑にまかりて是を祀りきは、今になる四社神社にして後世の治安壬戌年、日本將軍安倍頻良、是の神像を平泉に建立せし佛頂寺の守護神とて本堂に安置せるも、天喜丁酉年その子息賴良討死せし、史に名髙き前九年之役にて同族になる安倍富忠の反忠にてその流箭に葬ぜし鳥海柵にありて、遺言にて祖陵の東日流石塔山荒覇吐神社に我が骸と俱に納め奉べしとて現今に遺りきは、その像胎にありき天皇記・國記の知る由もなきに、康和庚辰年此の像朽にして修理せんにいできたるものなり。
時に安東髙星、是を別藏し石塔山の寶物とて藏に秘したりと傳ふは石塔山秘傳の條たり。
(原漢書)
天永壬辰年十月一日
安東髙垣
右日本將軍要史の序言なり。伊予注す。
二股川安倍氏之事
和我境焼石山に分水し、巌手山片富士に分水なして落合ふ厨川に流る川股を二股邑と稱し、仙岩峠を越ゆる處を仙北生保内邑に至る塩の道なり。安倍良照は此の二邑を厨川柵になる要害の地とて選びて一族危急の隠城を築き、生保内城を北浦六郎に委ね己れは二股邑に柵を築きけり。
東に拡野厨川に通じ、二股邑は生保内より兵糧人馬を給せる要域にて是を慶築せしは良照が入道して尚、道照と改ふ法名に僧装にして尚以て是を入念にせり。依て、康平五年厨川柵落なりしも一族の郎黨多く救はれたり。良照が日本將軍賴良の舎弟にして武勇気丈夫たり。
常に領内の古寺を勧進し、和我の極楽寺・荷薩體の淨法寺・西法寺を修理せしむ。信仰に深く、東日流石塔山・飽田檜山寺を巡脚し、己が弟子を得導せしめて寺住せしめたり。終世にして二股邑を飽田米代大川郷相川にて寂す處に墓あり。五輪ヶ丘とて大日堂の建立せしは良照なり。
寛政五年六月一日
相川專太郎
陸奥之史道
奥州道、千兵萬騎の血の道とも人は曰ふなり。古くは伊治水戸の田道上毛野氏の討死。秋田に端をなせる三十年之亂・膽澤の阿弖流為及母禮の乱・前九年之役・平泉之亂らは公史に載る程に世襲の史に遺りぬ。
抑々、兆戦に仕掛くるは何れも倭謀の端に起れり。なかんずく源氏の介入になる戦の、他非ざるなき慘無類の血生臭き多殉をいだしきはなかりけり。丑寅日本國の倭侵にかかはる戦端にやむことなきは、民族をしてその生ざまに異なる要因にありき。
倭人の民治にありては一君復従の權政、對して丑寅日本の無階級相互の平等生々になる民政の古習になる。親睦なき倭政に生々の自在を欠くるは、永き山靼交流になる大陸横断、千里の波濤に兆むる北辰の宇宙までも天體運行を測るべく心理の相違にて、よるべなき迷信の神皇一如の忠誠心は人道生々の自在を防ぐものとて入れざる精心に異るに、その因習に染むなき雪寒に生くる民との相違たり。
倭人は氷雪を白魔と怖れ、丑寅の民は氷雪を神になる穢れを抜くるものとて、北極星を神たる宇宙なる目とぞ崇む神格相違にも倭との差になる要害たり。君主の忠誠になるは先づ以て如何なる人にあれど生命大事とせる一義は、神への救世に遇ふ無上の信義と覚る古代一統信仰になる荒覇吐神の全能神通力を得るは、人の世に上下を造らず、一天の日光に去らず亦、無明の暗に躍らざるを人生とせり。
依て天地水を私にして人を制ふるは非理法權天の裁きぞ、神にありて人に非らざるものとて栄華は是、空なるものと永き祖習に改むなきは丑寅日本國に住むる民なり。依てこの心固きに倭朝にてはまつろわぬ化外の蝦夷とて、永き積々の財を奪取せん望慾の兆戦に尋常ならざる征夷の討伐行をやむなく未だ續くるも、末代に久遠たるはなく子孫血泥にあえぐる日ぞ必至せるなりと祖訓たり。
寛政五年六月二日
秋田孝季
荒覇吐神之理
信仰に以て心の安らぎ、上なき求道に問へば、悦び去り易く諸悩の去り難き生々の安き事ぞ少なきは人生にして、人は救済の易きに誘れ易く人師論師の奇辨に誘はるまま、迷信の無限地獄に堕ゆ多し。
人工にして作らる偶像を神と佛と崇むる對照に信仰を行じ、何事の靈験もなく奇跡の顯はる無く、徒らに散財して苦悩と散財に布施を請ざれるまま覚めて諸行の證跡も無ければ、無常なる信仰の實證ぞ露も無ければぞ空しきなり。
神を崇むるとは荒覇吐神に例をなさしむるに、祖来より傳はる要目は睦みなり。身の一切とて私に非ざるなり。身體八腑とて祖来の血脈に生をなしたるも、會者定離の命運を私に叶はざるものなれば、私になる者は空なる魂魄耳なり。世の物質に触すは父母の間に生をなし、育まれて世に生々せる間、過ぐれば一瞬の光陰なり。
古代に荒覇吐神を天地水の一切として崇むるに創り生命の大事、生々萬物との生命とも和睦して己が生々を保つは、萬物の生命にあるものを餌とせずして己が生命の保たざるを、萬物育生の親たる天地水の一切に己が天命を委ね、安心立命とせる理りに以て天地水一切のものと睦むる心に、誠なる無上の悟りありと曰ふ。
死を怖れず、死は新生への光陰にありき生死の門とて心轉倒せず、その甦る時に待べしと教導にあるは我等が古来の先代より崇むる荒覇吐神の唯一なる信仰なり。
寛政五年十月一日
秋田孝季
井殿佛語
世にある救済の神佛を求道して諸行に精進せども、人の生々にありて悟の境地に得る者はなかりき。無常は人の心を轉倒せしめ、救済は神佛をして得るものなし。
佛陀にして曰ふ。諸行無常是生滅法生滅滅己寂滅為楽を無上導とせば、衆生をして各各是れを無疑に信じるは無し。人は常に老逝くを憂い、病死に至るを怖れ、心に諦ある耳なり。
生々に諸神諸佛の信仰に入道をせども、生ある身にあれば貧より富を欲せざるものは無かりけり。ましてや權力をや。生死の輪廻は六道に巡る生老病死の四苦諦なり。道に求めて生々流轉し、如何なる生涯にある者も會者常離、獨り来て獨り逝くの運命を免れず往生す。心に安らぎを求めて、ある者は仙境に方丈して餘世の行を志すとも四苦諦の故なり。
無常至りては己が一骸をも生を離してはその始末をも得ず、山に死して土に溶け、水に死しては水に溶し、天地水のもとなるに歸定す。人に生れその生々を営々異にせるとも過却の業は運命の一瞬をも曲られざるは生々流轉の法則なり。吾れ佛道に入道し諸行の法に究めども、心に制ふる他に方便なくよるべの悟りぞ定むなく、ただ入滅の四苦諦になる他、術のあらざるなり。
天命に安ずるの悟道にも正しける安心立命なりや、佛師の造りし佛像獻香唱經に何事の理趣ありや。世はまさに吾が四方に襲ふ阿修羅の迫りつ十余年の闘々、人の世にあることのかかる生命を輕んずる様はなんぞや。人の道に戒を以て説く佛の理りに求めて道の支派を以て世襲に立宗せし閥僧の奇辨、人師論師をして説くる法道にも完璧なるは無く、衆生の心に迷信の他に教導の術ぞなかりき。
地獄・極楽を想定として法便とし、人心に惑す僧の説法に何事の眞ありや。余は盲目乍ら佛道に心身を幼にして入道しけるも、吾が祖来になる荒覇吐神になる眞理に叶ふ教へ非ずと吾が心に悟りきは、天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコのカムイに末期のしるべとせんに決しぬ。
(原漢書)
治暦丁未年九月十八日
安倍入道井殿