北斗抄 十四
(明治写本)
要注
此の巻に綴事は總て事實なれど、諸障にして藩官の科にかかはりぬる多し。依て門外不出・他見無用に保つ事を旨と心得べし。
寛政五年六月
長三郎吉次
上磯諸古事
東日流は古来より渡島を通交して成れる古事多し。山河の地稱に渡島住民の名付多きもその例なり。凡そナイと曰ふは澤になる地稱なり。山をホノリ、神をカムイ、國主をオテナ、長老をエカシと曰ふ。神なる信仰にしては、山靼よりクリルタイ民族集合往来に依りて渡来せる古代シュメイル國なるカルデア族にて創まれるアラハバキ神にして、天と地と水の自然に起れるを神と顯したるを、宇宙に黄道・赤道を天道、春分・秋分に日輪の運行を以て一年の暦に造り、天道に十二の星座を結び春夏秋冬に北斗星を天道の軸として巡る卍卐の大熊・小熊坐の星坐を以て地動・海干満を月の満欠に計りたる天地水の自然に起り得るを神の全能に通ぜる信仰の基とせり。凡そ二萬年前のカルデア人になる信仰の創めなり。
是の信仰になる起りよりオリエントの國々に流布されしは、古代ギリシア・エジプト・トルコ・シキタイ・モンゴルと世襲に民族移住と倶に、地色に加へて信仰流傳せり。今になる信仰にアラハバキ神と基なるを稱ふるは、吾が丑寅なる日本國耳なり。六千年前になるアラハバキ信仰の神名になるはシュメイルにてはルガル・エジプトにてはアメン・ラア。ギリシアにてはカオス。エスラエルにてはアブラハム・イホバ。モンゴルにてはブルハン神と、その意趣を加へて多神を造り、世襲の聖りにその信徒をしてその信仰を興亡す。吾が國に渡りて来たるは六千年に經たるも、アラハバキ神そのままに信仰そのものを枝葉に加へる事ぞなかりけり。古代シュメイルに創まれるカルデア民の信仰を、そのままに遺し来たり。吾が國とてもアラバキ亦はアラハバキとの呼稱ありけるも、地住民古代傳統なる天なるイシカ・地なるホノリ・水なるガコの三神併せてアラハバキイシカホノリガコカムイと稱ふを以て、今にして不変なり。
東日流の上磯・下磯に遺れる洗磯・荒磯・磯崎なる神社の神ぞ何れもアラハバキ神の事なり。吾が國はかかる古事になれる國にして、日本國神とはアラハバキイシカホノリガコカムイを以て、太古にては北辰より不知火の地に至る一統信仰の神たり。依て倭國に於てもその神影遺跡を今に存在せり。倭國に客神亦は客大明神或いは門神とて祀らるあるは、アラハバキカムイの事なり。誠に意外なるは出雲の大社・筑紫の宇佐大宮・國東なる大元神社。更には皇宮なる伊勢の大宮ぞ、元なる鎭坐の神とはアラハバキ神なり。神事に三禮四拍一禮に遺るは、その證と曰ふ。
寛政六年八月一日
物部太夫忠平
丑寅古事談
凡そ奥州の太古になる史談ぞ世襲の權に圧せられ、その正傳を傳へ難し。のみならず信仰に於てをや。その正傳を知らざる朝幕の科を受く事ぞ是れなく、アラハバキ神社各所に今も遺りけるは幸なり。蘇我蝦夷の命を懸けにして遺せし國記及び天皇記に依りては、荒覇吐王累代の日本統治王のしるべぞ明日なり。
河内國主・和珥王アラナムチ一世よりクヅマイトチに至れる二十一世。耶靡堆國主・磯城一世より石城に至る十二世。三輪國主・耶靡堆王ソガチパルよりソガマコに至る四十二世。葛城國主・巨勢オコチよりオオヒヒに至る十八世。山城國主・平群トネコよりムナチに至る十三世。木國主・紀イナチツよりオムナチに至る十一世。日本國主アビより百二十世安倍氏に至る記を以て成るは國記にして、天皇記は成れり。
依て吾が國の國神・荒覇吐の古事多きを知る。天皇記・國記の事は船史惠尺にて灾られたる甘橿丘の蘇我蝦夷居舘ともに焼失せると世に傳ふるは偽傳にして、今に遺れるも、平將門の功なり。將門、石井に在りて武藏の神職より授けられしは蘇我赤兄なる孫・達陀より得たるものなり。將門が崩滅後、その遺姫・楓によりて安倍氏に授けらる。
寶永元年十一月七日
物部太夫伊賴
神器傳統之事
荒覇吐王、代々をして國主となれるは、先代より神器を奉じて成れり。玉造になる五種の珠・二種の鏡・二種の陰陽剣・二種の冠を授けて継主たり。石塔山荒覇吐神社の御寶物とて現存なせるは、太古以来その全神器を護持せり。石塔山遺物目録に記載ある神前奉斉御物・御神像・御佛像ら器に至れる數多き品々は古代オリエント・支那・天竺・山靼より献ぜられし希代の寶物なり。太刀一振に至るまで失ふる事なく永代以て庇護あらんをば子孫に遺し傳ふ可なり。
抑々石塔山こそ丑寅日本國の幾十萬年に及ぶ遺物の寶庫なり。澤を挟みて西の宮・東の宮に池庭・瀧眺を造り、神石を積みて塔となせる古代人の遺跡、亦驚膽す。安倍日本將軍代々の陵墓また遺りけるも、その多くは盗掘の憂に世襲をなげくものなり。寶筐印塔・五輪塔・版碑の類に至る害破に及ぶるは忿怒を覚つものなり。數丈に聳ゆき石塔とて今は崩壊を受難し給ひて、その石片に冠土して古跡を消滅せんと世襲にありき仕打をぞ憎めるなり。石塔山庇護にありきは、安東一族が東日流放棄以来荒亡たり。
然るに神秘にありて遺れる御寶物の數々遺すが故に、家系・生様を偽り、ただ隠密にして代々に護りたるは和田一族にして現に至るなり。累代にして宗家の主他親族とて知る由もなき秘事傳統にありきは我家系耳なり。奥州・羽州の世襲に障る遺跡の護持隠密も亦然なり。日本將軍が累代になせる黄金の隠處、未だに知る由もなきは幸なり。何事も世襲の支障ぞなき世に一族再興の基財とならんや。安倍・安東・秋田に流轉せし世襲の流れに不動たるは日本將軍の再起あらむ大財寶にして、何人たりとて是を犯す可ぞ叶はざるなり。我が家にありき書巻一切にその鍵ぞあり。つとめて他見無用・門外不出とせよ。
文政二年八月三日
和田長三郎
和田理久
山靼クリルタイ之事
黒龍江なる水戸口よりブルハン神を祀れるバイカル湖に至る河辺族・クリル族他二十八族が三年毎にクリルタイを集ふるは大古よりの習いにして、萬里を旅なして民族が流通のしるべとせり。凡そカルデア民がメソポタミア故地を放棄なし、山靼各處に住散せしより永々と續きたる集合をクリルタイと曰ふ。物資造産しるべ亦、縁組。クリルタイに於ては自在たり。固き掟あり。人の安住を犯すは、その衆皆誅さるるなり。クリルタイにして神なる信仰ぞ自在にして、如何なるを崇むれど各々に制はなきなり。
依て諸族にある神々も異に多し。古代オリエントそのままなるアルタイの神々はギリシア神なり。亦星海の神は西王母神なり。ブリヤアトにてはブルハン神にて古代ルガル神なり。興安嶺の神は大白山神にて、吾が國にも渡りたり。モンゴル神は元朝以来ラマ教入りぬ。狩民多きが故にトウテツ神を祀る多し。支那にては龍神を以て住居・衣装に至る飾りあり。器毎に施工せり。支那に創まれる老子の道教も隆興す。木火土金水、五行になる哲理なり。依てクリルタイに集いては、學ぶるは大にしてその智を得たり。石土より燃石を採鑛せるも、亦地湧油・水の流通カナアト・金銀銅鐡の鑛法・鑛溶も然なり。
クリルタイとは、民族が各々智を分つ集いなり。衣食住の窮貧せざる相互の智に以て救済を知り合ふ集いなり。依て此の集いに十日及至三十日を過しありと曰ふ。渡島にてクリルタイの集ありけるは、テムジンが遺したる流鬼島クリルタイより二度ありきも、天喜・康平の乱より開かるるなく渡島にてはイオマンテのみ名残とせり。吾が國にては古代に於て山靼流通に以て智能向上せし日本國とて丑寅に創りき國なり。
元和二年六月十三日
阿北生保内之住
間庭惣右衛門
陸奥歌暦 一、
〽春の宵
持手の酒も
重からず
酔ふほどほどに
花は逝ぬる
〽覚えける
陸奥なる國の
山吹を
たをりてぞかし
仙人峠
〽つゝがなく
陸奥の長旅
巌手富士
道過ぐ程に
片富士と見ゆ
〽鬼の手を
巌に遺して
苔生えず
社に詣ふ見る
鬼の手形を
〽あねこもさ
ほこらばほこれ
若いうち
あしたに花の
命みずかし
〽櫻花
咲いてののちに
誰折らば
幹に別れて
逝くは何處ぞ
〽別れるに
糸より細く
別れます
くもの子巣立つ
時ぞさながら
〽恋しさに
空飛ぶ鳥に
文をやる
想ひのうちを
胸にいためて
〽此の文を
落してたもな
賴みおく
今日は来たとて
明日にきたらず
〽葦原の
東日流大里
舟見して
川を降りの
十三の湊へ
〽先逝ける
童をいだき
狂い泣き
のべの送りも
ただ涙かな
〽わが妹の
遺せし鏡
羽黒への
鏡の池に
草添へ捧ぐ
〽蝦夷と呼び
化外の民と
史を造り
先つ國なる
我が日の本を
〽千代八千代
石より固き
丑寅の
吾が日之本は
秋風ぞ吹く
〽世の移る
吾が日之本の
楯なむを
押され白川
関となるらむ
〽何事の
陸奥になるもの
たばかりて
倭こそ先なる
神代語らむ
〽ひと据の
外なる國人
君として
日の出づ方に
弓引く筑紫
〽耶靡堆國
安日長髄の
國なるを
侵して國盗る
日向の主ぞ
〽故郷退きて
東の楯を
安倍川に
國を創りて
日の本は建つ
〽耶靡堆をば
常に想ひて
刃研ぐ
北斗の星は
軸ぞ動かず
〽三輪山を
捨つ想ひの
今もなほ
蘇我の故郷
夢にいでこし
〽生あらば
何處も郷ぞ
丑寅の
北ほど國の
幸はありける
〽荒覇吐
祖より神を
いただきて
日之本護る
安倍の大君
〽嵐あれ
日之本なれば
荒ぶるの
國神こそは
荒覇吐神
〽秋津州
𨦟のしたたる
國造り
神代を創り
歴史に結ぶ
〽北に脅び
征夷の𨦟を
常にむけ
蝦夷は國賊
撃てしやまむ
〽丑寅の
日之本永久に
日の昇る
西より昇る
世の至るなし
〽神造り
神を楯なめ
民制ふ
神より續く
すめらぎとやに
〽神代より
續く紀元に
立つ君の
歳を百餘に
あな奉つる
〽山靼の
傳へ正しき
世の歴史
人祖の同じ
我ら睦みを
〽泰平は
人の心ぞ
平等に
人に上下
神は造らず
〽鳴る雷の
音より先に
稻妻の
降るは神の
下界見よがな
〽民ありて
國な治むる
しるべにも
覚ひず民を
貧苦に敷いて
〽丑寅の
國にも香る
わだつみの
幸に暮しも
今はうつゝぞ
〽朝かほる
梅の一枝
たをりてそ
妹背仲睦つ
馬も尻むけ
〽月影の
西落つ朝間
ひんがしの
山の彼方に
暁おがむ
〽鳥の啼く
山路登りて
あさぼらけ
木立を幽む
天然拝し
〽我はしも
家貧しくて
世もためず
見えぬ心を
せめて研けむ
〽よろず代に
わずかの命
つきるとも
水久に生なむ
印遺さむ
〽神さびの
苔に社なす
遺跡をば
訪ねて今日も
旅に暮なむ
〽おぼろ夜の
淨間破りて
ふくろふの
聲に足留む
よばい道かな
〽かりがねの
月夜に渡る
降る聲に
われも想ひの
郷心かな
〽道芝の
わらじにかかる
夜露にも
夏こそ涼む
ここちよさけれ
〽雨戸打つ
にわか嵐の
音しげき
すわはね起る
夏のうしみつ
〽泣きやまぬ
乳兒を子守る
妹さえも
泣きてあやなす
夏の昼どき
〽霞立つ
山の彼方に
いななくは
牧の駒駆く
朝なのどけき
〽糸つむぐ
老いたる母の
手馴れたる
織にしかすり
おばこ想ひて
〽身丈越す
蕗の葉下に
雨しのぶ
おばこ可愛や
秋田路思ふ
〽まなざしを
やごとなきつる
見合席
おんどりげんか
さまうつしかな
〽あきたらず
語りつきせぬ
井戸ばたの
女子の衆に
ていしゆあきれる
〽抑々の
話につきぬ
おきなには
筆なすの綴り
いまだ足りるや
寛政二年如月 作人知らず
金田彦一
羽州史談
仙北の生保内に城跡あり。生保内川に要害し、本城峨々たる崖山に圍む城邸。段をきざはし、駒を飼ふ牧ぞ備はる髙地にして泉あり。絶水、夏をもなかりき。柵を段肩に廻して樹を刈伐せず、城處を視界に幽閉す。古書に見つる城棟六棟にして何れも寝床に造り、病棟多しは前九年の役に傷病せる者を此の城に集し挙げて治癒に興ぜり。生保内に湯治場あり。生命を保つ澤とて生保内の付名たり。
依て傷輕重をして駒ヶ岳の北投石に湯性固むる石塊を用いてなせる薬法あり。山野に薬草多く傷病に適應の治法ありて、住人皆醫の邑たり。なかんずく玉川・鶴の湯に全治たる多し。此の城ありきを、仙岩峠の彼方厨川に攻めにし源氏の知ること能はざる密なる秘城たり。安倍良照が事前に築きたる城築ぞ、戦に多く殉ずる者少なきは良照の功なり。後に北浦六郎代りて居城し、四衆救済に世の穏城たり。
文化二年五月六日
山田眞悟
東山道夜話
日の長き春の旅路に、奥州路白河を奥に越ゆ。日和よければ道のながてに、かげろふ燃ゆるが如く飛交ふ。朝霞晴れやらでは見え探るもなき、うぐいすの聲のどかなり。
〽みちのくの
うららの春を
道々に
旅の山里
花にしきなる
磐城の國は三つの春を一度に目をつく千金の景あり。梅に櫻に桃の華。山残雪景にして、こぶし・まんさく・蕗のとうは雪解を追ふ如く吾妻の山を二本松にて眺む景、またたのもしき。
〽阿武
流れは速し
二本松
三春を發し
旅の昼どき
福島の大平野・亘理に續きける大里に宿を名取にきめて、廣瀬川なる水音を窓越に聞く。春宵寒く、湯浴ての後ささくむ膳の地産・珍味亦曰ふことなかりき。一目おきつ箸取り食に勇む。あゝ甘露この上なし。
〽磊峽の
流れに乘りて
落合の
名取川なる
音聞くはたご
多賀城の跡ある處に荒覇吐神社ありとて訪れむ。三堂ありて天地水を祀りたるこそ大古のままにて、三禮四拍一禮にて吾が旅の要事ここより始むなり。
〽古き神
代々にもめげず
是ぞ日之本
荒覇吐神
安倍討伐の源軍この地より挙げて、前九年の役ぞ奥州を侵乱す。吾が旅の歴史の實相に求め、今日より筆執りぬ。
〽日之本の
國神たるる
あらはばき
多賀にありとも
苔に埋もりて
来朝・宮澤の地にありき日之本の君居は草芒たり。伊豆沼・長沼に訪れ白鳥を見んとせるも、はや北辰に却りしあとにて、ただ一羽飛べぬ翼に手負して湖中にあり。心痛ましき哉。あわれとぞ想いを残しぬ。
〽白鳥の
翼折れにし
手負鳥
残りし想ひ
我が足とどむ
一の関東西に峽あり。猊鼻・厳美の美觀景眺ぞ秀なり。いよ櫻川辺なる平泉に宿を決め、中尊門前の素旅籠に長日の留宿を賴み、平泉・衣川の史跡を巡り記綴りぬ。吾れの記とせる史要ぞ前九年の役なる跡にぞ心しありて巡ぐれり。
〽櫻川
柳の御所ぞ
淵崩れ
跡は空しく
川は持逝く
〽束稻の
夕浴びて
安倍のありしを
尚ほ愢ばるる
中尊寺の光堂を巡り、川の流れに柳の御所は大半に流却す。たれを恨みんも流浪岸を押突くを詮なく見下す耳なり。藤原清衡百年の夢跡を巡り、毛越寺に千葉直胤と曰ふ古老より奇なる實話を聞得たり。義經主従は死せずと曰ふ。鎌倉二十五萬騎の平泉に入るは、藤原百年の築跡は泰衡の手火に灾られ灰と焼木のみたりと曰ふ。
時に義經主従は遠野にありて、奥陸東日流への落道に在りと曰ふ。泰衡また羽の道に白木峠を越え、追手を大川兼任に委せ、秋田なる河合氏のもとに落着せしも、その夜半討たれりと曰ふも口實にして、東日流外濱にて義經と併せて十三湊よりサハリイに渡り、満達に平泉を開きその一生を安らけく栄へたりと曰ふなり。誠に以てこの古老に聞くは作話ならざるの證ありぬ。故ありて十三湊に山靼人と合ふあり。満達に平泉ありきは誠にて、モンゴル騎馬軍に加勢せし義經の軍團旗は笹りんどうたりと曰ふ。
〽平泉
灰避け遺る
光り堂
主は去りにし
元國の果て
衣川を巡りては尚、舘跡にたどり難し。安倍舘は礎石なき舘にて、掘建つる大舘も二十五年を一期に處改せる習ひたり。関跡ぞ大田川にして、これを二の関と稱す。三の関跡ぞ衣川西舘山淵と曰ふも定かならず。前澤に宿を移したり。
〽跡も消ゆ
衣の舘は
白百合の
匂ふ香もなく
花はしほれて
旅の記に重む史跡の綴り六冊にかかりぬ。前九年の役、諸説にあるも官軍方なる諸話にて記ならん。
〽ゆかりある
人に會ふため
古寺の
極楽寺坂
心し登る
鬼剣舞の里たる和賀の村々訪ねて縁の人もなく、極樂寺にても何事やなかりき。鬼剣舞なぜか胸紋に笹りんどうをなせるは源氏に縁りあると思はしむに、吾が歩は厨川への旅急ぎぬ。江刺の人にて金井三郎と曰ふ人あり。七十二歳の老人なれど、安倍氏縁りの人たり。岩手山登山に同行をともにせり。その語りに記すは六冊を越え七冊を半に記逑を得たり。依て本記に抜きて、厨川を落にし二千人なる厨川落なる行方にて知られざるは、次の如し。
安倍厨川太夫貞任に髙星丸と曰ふ乳兒あり。貞任、遺言に以て重臣中畑越中忠継・菅野左京賴久らに髙星丸に添しめ二千六百八十六人を厨川落として、源軍紫波にあり頃、生保内落・糠部落・鹿角落とその數を分け東日流に落しめたり。傷ある者を生保内、年若き男女らを髙星丸一行に添はしめたり。
〽生別る
死出の別れも
末をして
道はひと筋
おくれ先たつ
〽燃えあがる
炎を楯に
死出の刃を
吾が身に刺しぬ
厨舘落つ
〽今ぞ知る
舘を枕に
吾は死す
死出も道ある
三途の瀬ぶみ
厨川の舘は落ぬ。遺兒髙星丸を護りて東日流に併せたる二千六百八十六人。一人の落抜けぞなく東日流平川郡藤崎の地に落着せしに、事速く十三湊に在りし安倍氏季、挙げて一族住居を六處に棟を連ねたり。その夜具・衣食住の一切何事の不自由なかりきは、いざ事ある時に費する一族古来の蓄積せる遺財ありける故なり。その再興ぞ髙星が十五歳、承保元年夏七月十三日、安倍氏を改め安東髙星と正名を安東十郎賴貞と命名せり。孫父の一字・實父の一字をいただきて東日流上磯・下磯六郡の領主とて山靼クリルタイに宣し、獨自に日之本將軍安東氏を世にいだしたり。
寶永二年二月廿日
秋田傳内
陸奥歌暦 二、
〽暗きにも
燭に背けて
瞑想し
吾がなき無我の
境地の求道
〽羽衣の
織りなす天女
虹の台
紫雲淨土の
うつゝ夢みし
〽觀世音
三千坊と
東日流には
求めて巡る
法の懸道
〽みやびたる
影を遺して
平泉
今鳴る鐘は
如何を告げなん
〽木がくれの
生保内柵も
夜もすがら
ねむらざりける
城守の人
〽呼子鳥
外の濱波
安かたの
善知鳥神社
祭り鳥なれ
〽しゝむらに
さけばん我の
想いには
蝦夷とし曰はむ
吾が日之本を
〽満つ汐の
磯にまちなん
生きものゝ
海は母なる
親なればこそ
〽春の日に
そことも知らぬ
草むらに
巣だく雲雀の
髙くさわがし
〽あだ人を
丑の參りに
呪ふ者
藁人型に
恨みうつ音
〽轉じかへ
肝膽砕く
祈りにも
かこちの穴は
ふたつなりける
〽乳の人
吾が子を置て
人の子に
飲ます情けの
慈悲心かな
〽神がけの
お百度踏し
母なれば
子になる病
神ぞ救はむ
〽梅の花
鳴く鶯の
春もよい
粉糠雨ふる
春もよい
〽月の笠
春をおぼろに
相さそふ
添へて似合ふは
山吹きの花
〽わけ迷ふ
山の熊笹
先ふさぐ
わが行く末に
いつまで續く
〽心だに
世を秋風は
折りふして
陸奥の嵐ぞ
云ひもあへねば
〽あからさま
ありしにかへる
われさえに
とにもかくにも
命のみこそ
〽荒ぶ雨
稻荷の社に
雨やどり
いつを晴間ぞ
心いら立つ
〽名にし負ふ
人をこばみて
言ひがかり
吾れ落目ぞや
尚やむられず
〽北上の
舟の泊りや
ほの見えて
風もうつろふ
水面渡りて
〽雨池の
動く浮島
水鳥の
早くも知るや
翼水打つ
〽草ぜきに
螢の光り
みだれつる
故郷を想ひば
涙したつる
〽よるべなく
うらさび渡る
かんこ鳥
雨降るこずえ
鳴越しに飛ぶ
〽山住居
苔を衣に
石佛の
こゝも名に立つ
羽黒山道
〽尋ねゆく
我がまだ知らぬ
報恩寺
まるこぽうろの
像やあらむと
〽岩木山
祀つるゝ社の
宮さえに
まるこぽうろの
なぜ像やあり
〽十三湊
古へ見馴れし
檀臨寺
石の小佛
かぞえも切れず
〽かねことの
あんだの誓ひ
忘れまず
山靼渡り
船ゆく度びに
〽なれくねる
手向返して
空しける
人目をつゝむ
宇曽利長濱
〽打つ引くは
わだつみ波ぞ
巌砕く
北の海風
常にたづきは
〽老し母
まだ夜をこめて
糸つむぐ
孫の晴着に
祭り近けむ
〽あへなくも
心賴りに
老かせぐ
藁屋の草も
年を經し毎
〽田夫をして
呵責の責に
これもなく
かかる思ひに
死なれざりけり
〽人をして
善惡二つ
持にしを
牛を打たばや
心いかでや
〽恐山
いたこ靈媒
あればこそ
吾れにつきせぬ
思い晴れぬる
〽道求む
今は無きける
三世寺
安東去りし
あとのけずめに
〽秋田をば
三度の天地
移り変ひ
君座を今に
宍戸三春へ
〽父母の
教への道を
はぐれてぞ
今こそ思ふ
不孝きわまる
〽山靼に
船も道ある
北海の
海幸積みて
更に海征く
〽海をして
勇み荒ぶは
船乘りの
丑寅生まる
男なりてそ
〽うつゝ無き
神に祈りて
吾れもまた
親のあとなる
海を征くなむ
〽わくらはに
道こそかはれ
こりずまの
覚むる心は
いつぞくるかと
〽道のべに
踏まれ踏まれて
咲く花の
生れし
ただなつかしく
〽自得せる
學びの心
わすれまず
人は覚ふる
神授けなり
〽何事の
難に避ては
人ならず
吾が道行に
我れをはげまむ
〽色染むる
四季の移り
おくれまず
いつまで草の
深根ぞ断たん
〽老にしを
よるべの水に
備ふれば
逝く日に迷ふ
事ぞなかりき
〽うちつけに
逝きにし春の
散る櫻
天狗だふしの
嵐をまたで
〽流れ蘆
洪水あとの
地守草
人も同じく
守りてぞ去りぬ
〽一言の
言葉言葉に
我れをして
言語一句に
敵を造らず
〽學びをば
おこたるなかれ
夢だにも
覚ればなれも
人の長たり
〽思い立つ
事に當りて
道ひらく
死すまで學べ
吾れこそなれめ
〽おぼつかな
花の行くへは
散りぬるを
人はおぼつも
尚追へ求む
〽けわしとも
登らぬ者は
ただくだる
折れにし枝に
花實成るかは
〽星夜空
宇宙にまなぶも
人こそに
神をしるべの
道や開けん
右を以て陸奥歌暦二、了筆仕まつるなり。いづれも詠人知らず。遺りき文書の㝍也。
寬政二年如月
奧州磐城之住
金田彦一
和田末吉