丑寅日本紀 第九

孝季

廢神改神令

丑寅日本國之國神荒覇吐神、為蝦夷之大魔神。是以倭神之天地八百萬神布改神、焼木作鎔鑄造、砕石彫改、自然神號。頃大化乙已年、在倭之諸々末六百七十八社、其本宮出雲荒神谷在社、荒羽羽気大社也。此社、新鎭大國主神舊神、不廢為門神鎭社、自奉給諸國之荒覇吐習。是門神亦客神或客大明神改稱、不古信仰棄崇拝、許是蘇我大臣也。

古来、蘇我氏拝渡来神佛、對物部氏、茲据政、事向原之佛寺・甘橿之荒覇吐神社、以代々崇拝、自名為蝦夷。丑寅日本國之君主、阿毎氏睦往来、依是責蝦夷、諸公反臣、遂蝦夷殉甘橿、自邸灾自手火。然攻兵攻入、兼令之國記・天皇記、自蘇我氏奪取不得。是起兆覚、蝦夷以前、坂東國和銅山釜萢邑、荒覇吐神社木作神像、為胎藏隠密。

世々代々不知、至天慶戊戌元年九月十九日。是平將門為氏神移豊田鄕。敗將門藤原秀鄕之反忠討死時、重臣江戸繁清、此像復本宮和銅山、嫌秀鄕。是日本將軍安倍頻良家臣、藤原氏譲渡以来、生保内荒羽吐神社之本尊。爾来再度是、陸羽諸處轉鎭。寬治二年、平泉秀衡是贈東日流平河安東髙星。依是、東日流中山石塔山荒覇吐神社本尊為鎭守、現今存崇拝。

正平乙巳年九月十九日
法印 覚明坊

筑紫東日流之往来

古代の先住民にては國にぞ境を造らず亦、無用たり。如何なる遠方より来るものとて人を忌嫌はず常にして人の交りを一義として、交互の知覚を相得せり。

古になる刃物ぞ石にして鏃・鉾・斧・鎌・皮剥・庖丁・鉈となる金物になる以前を古人はその石質のよりよきを求め諸國に渡りて得たるもの石細工にして、物交とせる商の始とす。塩を海辺に採る者、毛皮を物交せるものその産地を知りて人は驛傳にして渡島より筑紫の果に至るる品の交流ありきを古語にバゴロまたはバクロとて商ふ人ぞ多かりき。更には海を渡るに至りてはその交り速にして、いよいよ山靼の異土に至れる往来も始まれり。

古代語にして遺れる地稱・品名にては今にして傳稱せる多し。亦異語にて名付くるも多し。卽ちチャペ猫・ケフ帽子・タンポ鉾・テヒ大桶などなど支那・満達・山靼・紅毛人國らの訛ぞ今になる土地辨なり。なかんずく信仰ぞ亦、然なり。はるか太古になる人の歴史になるは、諸國一統に定むるはなかりき。

昔より邑一里離れて別天地とは是の如きを曰ふものなり。なかんずく丑寅に住むるわれらが祖先の遺したる大古になる神々の祭祀・着衣・住家・食糧の如きは東と北に相違せる多し。卽ち風土・季節の候になる習差なり。

丑寅日本國にては東海・西海・北海、更には大河・湖沼・山嶽・大里に住むる生々にては地産の類にて衣食住の異るありて、未だに流轉せる多し。北に住むるものをツカロ人、山に住むるをアラ人、海辺に住むるをニギ人そして倭人をシャモと曰ふは、われらが丑寅日本國の用いたる古語にして、倭人に曰ふ蝦夷と號くるなかりき。

元禄十年八月二日
藤井土佐

古代丑寅日本國異史

古き世の語部とはに曰ふさば、人住むる郷に巡脚し、その郷ならではの珍味作り法、地産の採物にて他になける諸法の覚を語印に留む。かくしてそれを各郷に傳法なしける者を語部とて古き世の傳導者にして、語部にして寸分の偽にてもその仲間に赦されざる掟ありき。

依て語録にて書き綴らるる記行に何事の偽傳のあるべからず。丑寅日本國になる史傳は今に遺されり。卽ち語の印は一字に以て百に引く要用と印の組に意味せるは印の一字より四十八音に組まるなり。

例にして

・印は天地水なり。・は宇宙にして・は日月にして・なれば日耳なり。また・は黒点にして月なり。・は雪にして・は雨なり。・は雲にて・は風なり。亦神は・にして○は天なる總てにて△は大地の總てなり。―は水の一切にて古代語印は成れるものなり。

古来より語印の創は星なる座にて作らる多く、その古語印の例にては・を秋冬とし・を春夏とて夜空に吉凶の兆を占ふたるより古代人は宇宙をして星座運行・日輪の運行測りて諸運を説けりと曰ふなり。依て東昇の日月星・西洛の日月星をその昇洛せる位地にて暦を悟りたり。

寛政五年十月二日
和田長三郎吉次

追而 宇宙測之器案


日輪測木、日輪、立棒、置石、影

右の如く測りて刻を知れり。

長三郎画

宇宙の力動

天空になる宇宙の星々、何れも廻天力動す。重輕・大小・明暗、各々相互に宇宙間に重力・引力にて座位を定む。星とて生死あり。何れも大暗黒より誕す。ギリシア神話にてカオスの神が宇宙を一点の光熱爆火にて、明暗物質を造りてならしむと曰ふは全く架空ならざる理論とぞ曰ふなり。

抑々、宇宙に創まりて天地水の物質はなりけると、天文の博士は曰ふこと、神話ならざる實相なり。人は神を天に仰ぎ、宇宙の神秘に求めてやまざるは、測り知れざる無限の果に何をかあらん未知の何をかを感じるが故なり。依て人生の運命を星の下に生れ、自運は定まりたるとて古来日月星の運行にかかはるを何々星の生れと、生涯を左右せるものとて星に祈りをせしより、あたら神々の創造は人心に發起されて成れるは神話の創む處なり。

一無くして二の無けるが如く、宇宙の成れるは一点より強裂なる光熱爆火にて億兆の物質を創造せるものとて、ギリシアの古代人は是をカオス神と稱し、古代メソポタミア卽ちシュメールの神ルガルの誕生とも傳ふなり。亦、古代エジプトの神ラーアメン神の宇宙になる想定も亦然なり。

北方紅毛人國になるオーデンとクローム神・山靼のブルハン神・アラビアの唯一神アラー・古代オリエントに創まれるアブラハム神亦はイホバ神・天竺になる宇宙神シブア。支那になる西王母・女媧・伏羲神。韓國になる大白山神・八天女神そして吾が國なるアラハバキイシカホノリガコカムイなる神格に成れるは、まさに世界に渉りて成れる民族想應の思想にて、何れが劣る劣らざるの價格にも非ざるものなり。

人の智は過却に想へば、神を冒讀せし行為になる醫術解體亦、宇宙なる測定學になる光年測・大地の重力・日輪へ従軌道引力らを求ぶるは、忠僕なる神の信徒にてはまさに狂気なる砂汰なり。然るに人智はゆるぎなく、かく化學・科學と曰ふ進歩せる紅毛人らは、今に空を翔び魚泳の如く大洋を潜泳せる人機の創造も近く成れりと博士エドワード・トマスは長崎にて吾等に講義せり。

坐して何れも空を自在に、海中をも泳ぎ、鐡にて造れる乘物は萬里の山野を走りぬ世の来たるを告り。然るに人心は甚々讃否に惑ふ多くして、何事をも終には戦を以て決せる多し。常にして權謀術數に渡世するが故に神佛を以て祈るは弱き心理に非ざるも、人心を戒むる唯一の法力なりと曰ふ。

寛政五年七月廿日
秋田孝季

萬物生々進化之事

地界に生命を保つ生種の發生以来、その生種より地水光熱の候に依りて一種より二種へと分岐進化をせるに至りぬ。生命生物の生抜く生魂ありて、自からの耐生にその風土に併せたる生體に進化を改むなり。草木菌苔藻虫貝魚鳥獣になるもの總てに相通ずるものなり。

人とて獣物より分岐せし野猿より進化せしものなりと曰ふ。タウエン博士に依れる生生萬物進化論に於ては、すべからく實證ありて信じて惑はざる論證なり。生々萬物の種原にては、何れが早誕のものなりや。思ふに無機有機なる質物に化合なせる菌より成長せしを、奇生一體化なさしむ進化の永き過程耐生に、種を分岐なせる萬物の生々なりとぞエドワードトマス博士の推挙も然なり。

萬物の生々流轉に於て、他生・少生の相異にあるは、生命保持になる食生の故になる子孫遺續の天性になるものなり。亦、體型進化にては、その餌食となるべくを防ぐるものなればなり。依て世生永續になる萬物は互に進化を以て存續し末代に至りても進化の絶ゆなきなり。依て萬物何れにても生ある物に魂ありと覚つべきなり。

信仰もかくより人心に起りたるものにて、その要は是の如き餌となるべき生物の連帯に欠くると死耳にして生のあるべくはなし。餌に雑食なるは生存し、片食なるは絶し、更にして風土異変に依て餌に不自なきとも滅せるありきは、今は生存になき土中よりいでくる古生物の石になりて遺る故生物遺骸にして、風土異候のときありき歴史の先なる世を愢ばるるなり。

寛政五年七月廿日
和田長三郎

人誕生の古期抄

凡そ太古にして人となれる有尾毛生之の猿人より去尾無毛の肌となりけるは、衣食住をして雨露を身にままとせず寒きには獣物の毛皮を狩りて身に着してより、生毛の退化せしものなり。亦、有尾にても樹上にありては用ふるも草原に直立しては無用となりて尾に退化を起せり。

人は火を家内に焚きてはますます退化を速したり。人の發祥を得たる地は今にして黄土の底なる支那黄河の辺にて、黄土の底一千尺の故地なりと曰ふ。今にして此の地にして黄土の嵐荒さびて、人はヤオトンなる穴居を住居と暮しけるなり。太古民族、蒙古露夷土と稱し漢族の祖なり。

支那・山靼になる七十餘の民族ぞ、祖は是れより分岐す。われら丑寅に住むるものみな祖を是れより分岐渡来せる民族なり。支那古代神話に曰く、女媧黄土をまるめて人を造る、と曰ふ傳説に人の種を黄土に創む故に黄色肌を以て生るとも説話に多きは正證ならざる也。

寛政五年七月廿日
秋田孝季
和田長三郎吉次

諸神併合之荒覇吐神

丑寅の國に日本民族の人祖なる出自は山靼になる他、渡来の氷上渉りになる黒龍が白龍になる河を渉りて至ると曰ふ古傳に實相の證多し。民族は何處に移るとも故地になる傳統になる信仰までも置去るなし。

荷物にならざる信仰とは心に藏して、定着せる新天地に至りては互に復祭せり。輪張りの一枚太鼓を打って祈るクリル族の傳統はアラスカエスキモー・アメリカンインディアン・シベリア諸族の一統せし信仰の傳統なり。古代より持鼓を打つは北辰の民族になる唯一の神ブルハン神なるは常にして北辰にありて宇宙の動かざる北極星を神の相とせり。

果なき荒野亦、大海にありても進路のしるべとなりき神とて狩人の厚き信仰を得たり。その神なる信仰に傳統せるは、吾が國になるゴミソなり。ゴミソの神占その信仰になる神は、地に煙りを立て昇煙せる彼方に神を招き、祈り諸願を奏上せる神事にして、是を母なる大地より天になる父なる神に祈ると曰ふ古習にして、鼓を打鳴らして奏請す。

古語そのままにして祈る祈語は今世にして知る由もなし。然れども古語にして祈らずば神なる救なしと曰ふ。

ハアイヤーオロロカムイ
ハアイヤーイシカー
ハアイヤーホノリー
ハアイヤーガコカムイ
ホーホホーホホホー

是の如く幾度びとなくくり返し唱ふ。亦是を古習のままにかたくなに護るは民族の祖になる靈傳たりとぞ想はるなり。右、聞傳如件。

明治己已年二月一日
和田末吉

神格構成之事

古来より丑寅日本國は山靼に求むるは生々心の安らぎなり。神の聖教を求めて山靼にブルハン神、ギリシア、オリンポス山のカオス神・ゼウス神らの十二神、シュメールのルガル神、エジプトにラアーアメン神卽ち、古代オリエントの諸神を併せて神格とせしは荒覇吐神と修成されたる神なり。

亦吾が國になる古代神イシカカムイ・ホノリカムイ・ガコカムイの三神、三輪大神・白山毗畔神ら此の一尊に修合されたる神とて諸國に祀られき荒覇吐神にて、その意趣に説くは多様なるも、天地水の一切に心の和解を以て救済に安ずるの、求めて深く行い易き信仰に以て流布せりと曰ふ。

未だ諸國に存在せる社跡に巡り太古を愢ぶる丑寅日本國ありきとぞ歴史の實相に覚ゆは、吾れ耳ならずや。世に蝦夷とぞ敵意に意趣せる公史の座折の至るるときぞ遠からず。白天のもと丑寅日本國の偽らざる歴史の世に展開を望みて此の一巻を了筆す。

明治己已年七月一日
津輕飯積の住
和田末吉