丑寅日本紀 第二

孝季華押

荒覇吐之記

抑々世の凍寒續きしはるかなる七萬乃至十五萬年前に、海凍の氷上を渉り来たる山靼の國人、獲物を追狩りてたどりたる古代丑寅日本國の祖人は、此の國を永住の地と定め國を開闢せり。東日流より坂東・耶靡堆へと子孫を遺し筑紫までに至りぬ。依て倭國をして住むる先住なる民はみな東日流より西南に住分けたる民なり。

その證たるは古代シュメール王ギルガメシュになるアラハバキ神なる信仰の跡ぞ今に遺りて祀るを、諸國に遺る實證を今に以て尚崇拝せるが故なり。古代オリエントになる人類に開化さるるシュメール國の國造りそして信仰に於ても人類先端を抜けるなり。かかる古代に於て人類はその權政掌据をめぐりて略奪と破壊を以て殺戮をくりかえし、故に敗れし者は安住新天地を求めて遁避行し海の果・島陸の僻地までも渉りぬ。依って流れ流れて吾が丑寅の地に渉り定着せし者か亦はその教へにありき者に依りて古代シュメール王ギルガメシュの叙事詩アラハバキ神、卽ちシュメール語そのままに號けられ吾が國の國神とて一統信仰に至りぬ。

然るに内容にありきはギリシアのオリュンポスの十二神・カオス神の宇宙創造、エジプトのラーアメン神・アラビアのアラア神等そして吾が國に至る諸々の神格を統括し、是に地神になるイシカホノリガコカムイを混成し、總括せしをアラハバキ神とせり。是れぞ二千年前の事實なるに、是れなる信仰の哲理に驚きぬ。

是の如きは失せるなく丑寅地民の信仰を今に通ぜしめ、その信念の固きは信仰原点に迷信のなかりける故なり。宇宙の創めより日月星地の誕生そして生命生物の誕生にいささかの迷信になるなき故に永く保てり。

寛政五年八月一日
秋田孝季

丑寅日本國人誌

猿候より人となれるとき人は身辺なる萬物と意趣を通せしも、智能の故にその意趣を過却に置き忘れたり。人に靈魂あらば天地開闢に生命を一種とせる萬物生命に靈魂なかりきはなし。生々は何れも他生命體を餌として成長す。依ってその餌食となる數に多き多生あり。その食生肉食の者は多生せざるなり。

抑々萬物蘇生は宇宙の法則に依りて進化を自から感化す。亦、感化に應ぜざる進化のなきものは生滅す。地界の誕生以来、天変地異の環に生々を保てる進化ありてこそ人類は萬物を進化に感應して成長しける生物なりせば、その故地にあるは支那黄土の冠土せざる地位ぞ故地なりと曰ふ。

黄土の埋め積ること幾千尺になるあり。天変地異の環ありき飛砂黄土の起りきは是れなり。亦、地は海没し、海底土の隆起せる火山・地震・津浪もまた然なり。海より遠き山中に貝の石と化せるありきは、もとなる海底なればなり。是ぞ人の此の世に無ける世の事なりて、如何にて是くなれると究むれば、地は火泥にて誕生せし故にて地中未だ冷却せずその火泥の流動あるが故に起りきものにして、神なる仕業に非ざるなり。

天文及び地理・物理の智識を以て宇宙の創めより人の誕に至る構成にありては、究む程に神になる幻想ぞと覚つ難し。天地水の化合化成になる生命菌より萬物は各々種を分岐してなれるなかより人類は生長しけるものなれば、神として崇むなれば天なる宇宙の一切・地なる一切の成分・水なる化合融致の法則なり。依て神とは、その法則の成りたたざる一点より物質を顯はせしアラハバキ神を以てあやまざる信仰なり。

古代ギリシアにては是をオラクルと曰ふ。またシュメールにてはアラハバキと曰ふなり。人の智識を以て語印を作りその土版語印に依りて古代オリエント諸國はその開化をギルガメシュの叙事詩に學びたり。ルガルの神を生みける父母はアラとハバキの二神より生々萬物は成りとて傳ふる傳よりアラは獅子を意趣しハバキは母なる大地の一切を意趣せるが故に、ルガル神は天地水一切の司どる神と崇めたり。依て吾が國の人心に仰がるる一統信仰はアラハバキ神なり。

寛政五年十月一日
和田長三郎吉次

古言抄

一、

東日流の言にマデにせよと曰ふあり。マデとはシュメール語にして、葦を刈りて木を用いず葦のみにて造る住居の事なり。依って東日流にては葦は芯強く、地深く根を張りて大地を肥やし、洪水と曰へども土流を護り、枯れて尚折れず。

人は是を屋根とし風の柵とし舟帆ともして用い、更にその用途に大事たり。マデにせよとは大事にせよ、または全部と曰ふ意趣なり。シュメールにては家をマデフと稱し、マデとは大切なる意趣なり。

寬政五年十月一日
和田長三郎吉次

二、

古代ギリシアにては、魂をサイキと曰ふ。タイフーンとは暴風の事なり。東日流にてはサイギとは魂を髙く昇らしむとて死者の遺したる肌衣を山頂に焚く行事あり。亦、大風や暴風雨をタイフーと言いり。

此の他、丑寅になる古語にては山靼及び紅毛人國の言葉多く津輕辨・秋田辨・南部辨を構成しけるなり。

寛政五年十月一日
和田長三郎吉次

秘之巡脚記

吾が丑寅日本國は古来より忠義と曰ふ死の奉公を民に責める事なかりけり。古来アラハバキカムイを一統崇拝せる故縁は、その傳導に忠實たる信仰の誠たり。人身は父母をして神なる授けらるものなれば、本来空なる己が魂のままに自他の生命をなほざりせず、能く睦み爭いの因を造らず、神の与へし時と命運を大事とて盡すべき旨なり。

古代シュメール國にギルガメシュ王が説きける叙事詩に曰く、人は長じて神戒を犯し、神の裁きたる罪の天秤さえ己が意にせんとす。亦、慾にはばり權を得んと欲す。己がままに神をも造り衆を惑しめ私慾を満たす。依てその因を断たんとて神の報復を受くなり。

人の生命は神の与へ給ふ瞬時の間にて、人身は生死を以て轉甦し子孫を次代に遺す。抑々吾が身とぞ思ふ身の生老病死に移ること速く生々安しきことなきが故に、脱けんとて惡業さながら人をも殺戮す。是ぞ重き神罰の兆因なり。生命は神の与へしものなれば神にたむかふるの行為なり。

されば古来より丑寅の古人に求められたるは、かかる惡世の誅滅と天下泰平を願望し、神への聖地に秘なる巡脚を志したり。旅程三萬里はるかオリエントへの死を賭けたる求道の旅なり。

山靼の神ブルハン、西に紅毛人國を訪れオリエントの神々のなかに古代シュメールの大元神アラハバキ神の鎭む砂に埋もれしジグラットに赴き、神なる神託を心に靈感して後、エジプトの神々・エスライルの神・ギリシアの神々・天竺の神々・支那の神々を祀る靈地を巡禮し、幾十年の歳月を經て歸りきを聖者とて丑寅日本國の一統信仰の實を挙げ来たりぬ。

寬政五年十月一日
和田長三郎吉次

古考史

凡そ吾が國の古代を考ずるに、石打刃を道具とせる七萬年乃至十五萬年前の人祖以来、丑寅程に人の化は進み國を造り神を崇拝せる有史は古きなり。亦、語印を以て世にある事を遺しき史傳の誠實は倭國より萬代の先なりけるを知るべし。

世に神代は非らず。生々萬物の進化にて人の歴史はその後代に創りたるものなり。智覚なき人祖の代より宇宙を仰ぎ日月星の運行を目算して暦を知り、海の干満になる潮を目算しては月の重力を知り、木をすりて火起を知り、火にて固まる土を見て器を造り更には金銀銅鐡を造るに至れり。

人の智識は向上し諸々の學を覚り、人の衣食住を保つが故に耕作を覚りて安泰と覚つや、人は群じて略奪を掠めその攻防に戦をくりかえし殺戮の史は未だに存續す。

寛政五年十月一日
和田長三郎吉次

靈語ゴミソ・イタコ・オシラ之事

通稱イタコと申すは靈媒に於て市子・梓巫女・口寄女とも稱さる。古くはアラハバキ神の地母神になるものの拝語より創まれるも、後世に於て佛法渡来しその拝語より語部と分岐し冥靈語部とて、盲目のみの靈媒師に結し是を依他乎と稱したり。

加へて筑紫より卑弥乎と申さる靈媒法渡来して是よりオシラとて分岐せり。古米、農耕神・蠶神・馬飼神とて祀らる神祀より創きを、女人らの信仰になる白山神・お産神を入れて白神となり通稱オシラと曰ふ。亦女人に非ず男等になるをゴミソと稱しその意趣を異にせるは運勢判断と神懸及び靈媒に男女の特得に分岐せしものと曰ふ。

寛政五年十月一日
和田長三郎吉次

尋史同異説之事

史傳に尋ねて途惑ふは同説異傳の多きことなり。邑ひとつ離つれば一説にならず多説に異なるに依りて、同説多書となりけるも切捨てがたく記行せり。例ふれば、牛若丸が京の五條橋にて辨慶坊と相對せしを正傳とせるも、牛若丸・辨慶の代に京に五條橋ぞなかりける世なり。五條橋の成るは豊臣秀吉が造りなせるものにて、この史傳ぞあやまるる傳なるも、世に永く傳ふれば本當なるる事に定説せるなり。

然るに是を捨られず遂には偽傳も正傳とぞ相成るるありて、亦是をかなぐり捨る事能はざるが修綴りの苦悩たり。抑々、一説たりとて何れかに眞相ありやもと想いて私にして除抜はならず。ひとつの眞實を求めて百説に集むとも記行盡して成るは歴史の修成なり。

依て、紙に重むとも筆とるつらきにがんばりぬ。百説のなかに、ひとつの眞説ありとて究史の労を欠くべからずとは、秋田氏の常言なり。余も亦、是なり。

寛政五年十月一日
和田長三郎吉次

史讀心得之事

丑寅日本紀は十六巻を以て成り、丑寅日本記と史觀記逑を異にせり。本巻の要は古代オリエントの巡脚を記とせる多し。依て人の流れ信仰の流通を特記せり。

心得べくは紅毛人なる史記と嫌はざる事なり。神の信實は究めて多し。

寛政五年一月一日
和田長三郎吉次