丑寅日本記 第八

注言

此の書巻は他見無用・門外不出と心得よ。若し露見あらば重き科ぞあらむ。

寬政六年十二月
秋田孝季

安倍抄記之序

神代より倭の天皇にある者を天神・地神の神孫天照皇大神の神勅に奉じ髙天原より筑紫の髙千穂の峯に降臨したる、神の皇祖より萬世一系の天皇とし、天皇は現人神とて神皇の正統に成ませるものとし此の國を神州とて天皇の皇土と、世々に通して民心に洗脳せしめたり。

然るにや、かくある天皇の神話に基く倭史の公史たる古事記亦は日本書紀の如きは、大野安麻呂・稗田阿禮になる語部の奇想夢幻の神話を綴りて倭の史書とせる上古史を、大宮人にありき紫式部にては、いにしより世にあることを記しおきけるなり。日本書紀なぞはかたそばぞかし、とぞ古事の史を否定に評しけり。

されば吾が丑寅の日本國に古事を傳ふるは、かく迷信の記逑ぞ一行にして入れざるなり。人の祖は山靼より黒龍江を大船に乘りて流鬼國に至り、日髙渡島國を渉りて東日流及び宇曽利にたどり、十五萬年乃至三十萬年の前世に人跡を遺しけると説き、神を天然自然なるを神として是を天なる總てをイシカカムイとし、大地はその一切をホノリカムイとし、水の總てをガコカムイとして人と神とはその崇拝に於てをやその思議を異にせり。

倭國と日本國、西南方と東北方にその國堺を越の糸魚川を西端に東は三河の北東になる遠江の天龍川を東端とせるを東西として二國の古王國は成れり。依て國號になる日本國とは丑寅の方にて、倭國とは此の西になる國なり。西南端の髙砂國・琉球國・筑紫國は小國なるも王國にして互に船師をして掠むこと常にして治まらず興亡す。

王座に崩れし敗亡の君候は海に遁脱し新天地を求め薩陽・大隅・日向の地に漂着せしも、古来多くは地王に従卆せしも、日向に漂着せし髙砂王の系にして佐怒王一族、能く地民の信を誘ふたり。病ふ者に麻煙にて一刻の治活、神隠れとて日触・月触の暦運を應用なし是を信仰の固きに地民を従がはせしむ。

亦、稻・稗らの種子を地に拓して稔らしむよりその出来秋になる祭祀に舞ふ妖しき女人の神楽に地王ら遂にして國を獻して従僕せり。然るに是を良とせざるは筑紫の熊襲王にして搆せるも、民は彼のもとに逐電し遂には神令とて東征に起りたるを、世に是を日向族と曰へり。

第一章に曰く、

筑紫王たる猿田彦王・是なる流民族長、佐怒に自國を獻じて民を併せしにその東征ぞ破竹の勢にして、豊の國を略し遂にして赤間の速水峽を渡りて山陽・山陰の國を略しむ。

内海・南海道を併せし間七年にして遂には西海王たる出雲王を併せて國ゆずりの議成りて耶靡堆國を攻め、浪速の戦に始りて地王の阿毎氏安日彦王その舎弟富長髄彦王らを東國に逐電せしめたりと曰ふ。

第二章に曰く

抑々倭史になる天皇卽位に當つる年代をして東征及び天皇一世の成れきは、支那年號なる惠帝己西三年なりと天皇記に遺りぬ。亦國記にても倭國の建國はその同日なり。

亦、卽位の儀になるは泉原なる處と記ありぬ。卽ち攝津の國内なる龍王山・鉢伏山の間と曰ふ。依て橿原の地に非ざるなりと曰ふ。

此の地は耶魔堆の阿毎氏の域にて進駐の叶はざる處なりと記に遺りぬ。阿毎氏とは安倍氏の祖稱なり。卽ち荒覇吐日本國王となりて丑寅に國を創むる農耕國なる始祖なり。

右原漢書

明徳庚戌年二月十一日
物部鑛金

古代百八十七王之事

舊事紀本書

北魁自流鬼國不知火至髙砂國、列島大区、西南稱倭國、東北稱日本國、本州西流糸魚川、東流天龍川、以流帶國境為関。域住人自古者、次順為住分、各々住域為、是護領其王主百八十七王也。

何祖以山靼國為放地渡来此國土定着。遺子孫、流鬼國久利流族王阿津利志、日髙渡島國族王宇志利賀圓、天志保族宇葉處呂賀志圓、幌呂族幌志利舎圓、占冠族宇津古摩圓、白神威族等四王以下、伊賀志為呼稱長老七十八人也。

於東日流、阿蘇辺族王宇峽津奈。於宇曽利糠部、津保化族王阿津宇无王。火内鹿角及荷薩體双國俱麁族也。古呂志志利王、化耳期利貴志王、閉伊仙北平賀族宇陀利賀志王、貴無津賀奴王也。亦砂方伊治沼貴利己族阿志岐化奴王、宇賀夜只王、越及會津両國長三毛族俱奈久志王、無奈賀利王也。

坂東國熟族宇久流岐王、津久武王、平賀岐王、宇志摩王、伊止利王、賀奈加志王、荒久々流王、宇土岐王、久毛荷王、差陀奈岐王、大止貴利王、伊志宇耳王、多毛利王、久米化王等也。於加賀宇津味族伊呂志貴王、手岐禰王、志戸加伊王、化根不賀志王、志流米加味王、宇葉子王、奈古耶奴王、曽止味毛王、九頭蛇王、多伊破伊王。

於伊那國津禰奈族也。宇摩志岐王、手鏡女王、伊奈利岐王、大白代岐王、毛無耳岐王、曽止利貴王、久賀研王、伊志多岐利王、加志賀王、曽根毛利王。

於大湖國耶靡堆國津止三毛族也。阿毎王、志摩王、尾咲王、石城王、朝熊王、磯城王、三輪王、振部王、眞弓王、古座王、字加志王、宇陀王、赤目王、吉美王、出雲玉女王、石貴利王也。於阿和嶋國加止利族也。俱賀伊王、以為一人國治。

於南海道大賀味族也。此和呂岐那王、賀岐志呂王、手耳岐那王、宇岐利津呂王、勘奈無岐王、由岐嶋根王、山陰國宇津奴族也。蛇王耶摩陀王、宇利加王、伊止無呂王、宇止賀牟王。於山陽國志己志利王、那伊岐利王、志呂貴奈王、宇賀奴子王。

於筑紫國猿田族日向族熊襲族也。猿田彦王、佐怒王、比呂岐王、古那岐王、代土化王、亦嶋王。於北辰千島王國之久利流族、處呂此利加王、佐岐陀圓王。於神威津耶津加國砂舎圓砂土國麁族伊陀王、對島國伊治牟岐王、琉球國髙那王、等是於大古倭國丑寅日本國於諸國諸王也。尚日向族髙砂族之事也。

慶雲丙午年八月一日
葛城君人 謹染

丑寅日本國要記

太古に山靼その西國紅毛人國ギリシア・エジプト・シュメール・蒙古・支那とぞ黒龍江なる流れに乘りて流鬼國にたどりて渉来る祖人の累代になれる吾等が丑寅の日本民族ぞ、倭國をも住着を占にして分布す。凡そ六十餘に人の渉れるは一萬年前に成れりと傳ふなり。

丑寅日本國の史記になる要は先づ以て古代より遺れる語印に依りてその實相を知るを得たり。倭史の作説なるを審し得るは天皇記・國記に依るこそ倭史の實相なるも、是を古事記・日本書紀等にくらぶれば雲泥の相違なり。天皇紀元ぞ前漢惠帝の乙酉年とあるも、卽位の定かならずとありき。凡そ仁徳天皇にて倭を一統せるも、その王朝も崇神天皇が久耶漢族を入れて斃し、崇神天皇成れるも河内王和珥一族に誅滅さる。

後、耶靡堆の三輪郡蘇我郷箸香に春日和珥王朝相成り、攝津の葛城王朝の二朝に倭國は成れりとありぬ。依て天皇紀元の一統に定まれるは推古天皇の辛酉九年に上宮太子らに依りて國建の一統成れりと曰ふなり。依て天皇記及び國記の抹消に抗して蘇我一族滅亡の悲運に了りぬ。倭の蘇我蝦夷の古墓に至るまでに解堀さる跡ぞ石舞台とて残りき。

(原漢書)

建長壬子年三月一日
竹内金明

丑寅日本今昔記

抑々、丑寅日本國になる荒覇吐王が代々に積成なせる鑛山鑄金の財産に於ては億兆の産金をなせり。荒覇吐とぞ曰ふ稱號の由は山靼にありては金銀銅鐡を鎔産せるただらを意趣せるものにて、古代より黄金は魔障惡靈を抜く開運の意にあり、國の中央に藏しては萬世に子孫の絶ゆなく不死鳥の如き國運を民に授くものとて積藏せしは日本將軍安倍安國の代より鑛着せり。

鑛山の着工に於ては陸羽の山嶽に採鑛に叶ふ處ぞ派々存在し、先づ陸州に次には羽州へとその工程を成し、是れに得たる黄金亦渡島諸流の砂金に大塊する延棒とせるは二千駄にして秘藏しけると安倍秘帳に遺りき。

その埋藏せし處ぞ五ヶ所にして今謎たるは安倍厨川大夫貞任が討死を前にその秘巻を焼失せりと今に傳ふなり。

元禄十年五月一日
藤井左門

石塔山神器之由来

石塔山荒覇吐神社は東日流中山に存在す。此の社跡は古く、太古になる津保化族が天地水の神を自然に神格せる歴史の超に在り。

山靼の古王より獻上されし古鏡・勾珠・銅剣・金剛石・金冠らを御神器とて祀り給へり。代々にして諸候の寄進にて奉寄されたる數々の品々に以て寶物とて保存を今に一品たりとて失ふる事なく必藏せり。

再興は世襲毎に幾度びかなさしめたるに廢亡せるなく代々に遺りきは正に感應靈力全能なるが故なり。茲に謹んで曰す事の由は、代々にある安倍・安東・秋田氏の御靈に社主たるの朝夷一族護り給へき故なりき。

寛政五年二月一日
和田長三郎

髙星状

久しく未だ見覚ざるそもじの書状に讀入り候も、厨川の御事なれば我れ乳児の頃とて叔父殿にいだかれき事も露目に覚へ候はず。誠に以て感應今更に深く、叔父殿の書筆に甚々なる想へに讀返し居り候。我が父君亦兄者の末期に見つる事の由ただただ涙々に御紙面に涙落し候。

東日流の地は三方の海濱。巌鬼山の靈峯を家窓にわが舘ぞかまえ候。亦た舊臣の集むこと故地より脱け候者、今上にして三千餘人計上仕り候も、労營の生々田畑を給しいささかの暮しに貧窮仕まつらず安住し居り候。叔父殿も老令に盡し候事と、臣髙畠殿より常々聞入り候。

孫父の御陵も石塔山なる聖境に埋骨了り候は寛治の弥生にて、山吹の盛りに香はして櫻の候なりて、御身に招状致し飛脚を參らせ候も返状無き程に諦々に埋葬仕りたる事の由を御赦し下さるべく御容赦におめもずく請い申候。鎌倉に建にし白旗八幡源氏の宮居に何事の靈ありや。

我も城神鹿嶋宮に鬼門を閉ぎて一族の再興、心のわななきを慰鎭に仕り居り候。我が領田は今に近けく秋収のときなれば叔父殿のお越しなからんをば千秋にまつはび候。黒澤尻の稔りぞ如何候ぞ。秋令の候、御身の大事都度に御健勝の程を御祈り候。

敬白。

承暦己未年十二月五日

東日流藤崎之舘
安東髙星

安保重行殿
安倍正任殿 御両屆仕

己巳年八月再書
末吉拝