丑寅日本記 第六

終巻之言

丑寅日本記前六巻の言は諸處集綴にして、私がままに記逑の加筆改編のあるべからず。依て眞と過に判断あるべし。萬論にして眞實は一つなり。能く読みて選釋仕るべし。

寛政六年九月十九日
秋田孝季

倭史無丑寅之實觀

倭人の丑寅に入りたるは、彼の治勢に敗れし者亦大罪を犯せし者及び倭朝の密偵の如き輩なり。何れも丑寅日本王居に許請あるべきなく、山間・海濱の道に閉せる處に住居せる者多ければ先住地族とのいさかえ起りぬ。その因になるは信仰の異なる他、言語の通なく弓箭・討物を以て手向ふが故なり。依て侵住皆殺しとぞなりける砂太是ありぬ。

倭史に記行あるべく奥州云々の古史傳にありては少か一千年前の事なりてそれまた史實無根の浮草に似たる作説ぞ多し。亦、實在せる日本五王の記ぞ一行も無く見聞無き史談なり。此の國は人祖の史にさかのぼりては七萬年乃至十五萬年に前なせる古史歴傳の國なり。丑寅日本國の創めを語る古傳にては神を用いざる、人そのものになる史談に創るなり。

古史を語るその證たる實傳に、先づ宇宙の創造より日月星の成れる理由を説き、地の理・海に創まれる生命萬物の世に誕生せる進化分岐より人のなれるを説き、以て人の歴史に記逑を要したり。是を東日流語部録と曰ふなり。古代に相通ずる語印ありて、その創めになるは石を置きて意趣を知らせるに創り、次に砂に書く語印より更に器及び石版・木版に刻むに至りて、文字とも曰ふべく智識にたどりたり。宇宙を見上げ日月星の運行に四季の暦を知り、狩猟漁撈の季節を覚り亦、陸海の幸を多収なせる地への移住・生生より農を以て殖産に至る。

信仰の起りは天変地異の故なり。海に起る龍巻や津浪、陸に起る火山噴火や暴風雨・雪解らになる山崩れや地震や洪水。亦は病や猛獣の襲ふる驚怖。それに死への悲しみに神を心になせる信仰ぞ創りぬ。とかく信仰に迷信あり。倭史に創まれる神代の如し。

丑寅日本國の歴史に綴らるは神信仰を以て加ふるなく、人祖たるの創めより現に至るる過却の記なり。依て、倭史の如き歴史の筆頭を神代に基くなし。神たる信仰とは心にありて、實在に幻なれば入れざるなり。

寛政六年十月廿一日
木田庄作

渡島史抄

古来渡島の地に經て人の渡り多く、依て渡島とぞ國名に遺りぬ。地住の民はカムイクナと國號し、東日流の國をシヤモンとぞ曰ふ。

野は擴く山深し、海濱魚漁に幸あり。人に信仰深し。ジャラをヌササンとしイナウを立てカムイノミを營處に焚く。是をイオマンテと稱す。カムイを司どるはオテナ及びエカシにして、海濱にてもイチヤルバを設しウンジヤミをコタンのチセより總出のイオマンテとせり。

古代より舟を造り海を道とし流鬼島を經て山靼に往来し、依て言は國の外なる民に相通ぜり。東日流より渡島に、渡島より東日流に歸化住み多く代々にして丑寅に子孫を遺すもの多し。倭人は渡島の民をアイヌと曰せど、彼の民はクリル族にてウデゲ族との分岐にて、大祖になるはブルハン族にしてモンゴル族・ブリヤト族・アルタイ族・マンチョウ族、皆祖を一つになれる民なり。

寬政五年十月二日
秋田孝季

日本國倭國の對觀

太古になる歴史の先は日本國なり。倭國は王國をして四千年の後なり。

丑寅にありては古證なせるもの山靼より尚遠きシキタイ・ギリシア・エスライル・エジプト・シュメールの紅毛人國に至る古流に通ぜり。血統多くはブルハンにて數を占むるが故に紅毛人系に顯るるなけれども、混血に祖をなせり。

後世になる倭の民はアヤ族・クヤカン族・タカサゴ族ら支那・韓・南蕃系にて吾らが民に混血さるるも、數に少なし。然れども人の渡りに權謀術數なれば、先住の民領を侵し隷徒に従がはせむ奸計たくみにて勢をなしける。

神を以て誘導し、丑寅にある民を神に背なせる蝦夷とせしは是れみな支那王朝に習ふる復襲なりて、東征を果しける少數なる漂着侵入の民になる王朝なり。歴史に久しく神話を以て現に尚民心を掌据せしは、その上にあるべくを誅滅せずして改まる事なく、民は長事の奴隷なり。

文亀壬戌年八月十四日
物部豊後

偽神迷導不惑可

誠の神は非理法權天、實に存し天日に二つなし。然るに人心をして造りき偽神その信仰にては、衆を隷化せしむ邪道の他非ざるなり。

如何なる人間にありとて神より生るはなかりき。亦神を代りて全能法力に得る者なかりき。如何なる奇辨にして説けるとも、神を己れにして自他を救済する事不可にして何事も能はざるなり。ただ迷導誘惑の愚行なり。

神とは宇宙の創り・地の創り・萬物生々になる法則にして、神は天然自然の父母にして、己とてその眞理に惑はざれば神を覚るなり。神は人型に非ず。視覚に得られず。微なる香もなく生々萬物の生死に輪廻を以て絶やさざる天地水そのものなり。

依て丑寅の民は神をして眞實一途に萬誘の支途をして説くとも迷信に堕ゆなし。抑々アラハバキの神と號くる丑寅の神なる大元はイシカホノリガコにして神聖し、信仰また固きなり。生死は四苦諦とし、生々は天命に安じて安心立命とせるは丑寅日本國住民なり。

然るに人心は惑い易く誘導赴き易きなり。罪を造りて罪と知らず、生々一刻の酔に身心を赴むかしむ。されば一日の生々ある罪を覚るなし。生々に伴なふは生命を保つが故に他生を喰むる殺生なり。一椀の糧とてその糧たる中に如何程の生命生物の死ありや。

死しては一食もせざる生々の身に、生を保つが故の殺生を罪とて神に何事の悔なき者は神の裁を受けその報復に身心を堕しなむ。如何なる者も生あるは他生の死にある糧なくして生々保つ難し。依て神を信仰せる心に以て丑寅の民、是の如き心理にありて、神を天然自然に以て信仰を起したり。

延徳庚戌年九月廿日
物部勝太夫

名主知衆激怒

理は法に叶はず。法また權に叶はず。權また天に叶はざるなり。依て古来、丑寅日本國に君臨なせる統治の主は古代なるシュメールの國政に國治を修得せり。

國泰平なるは民安かるに在り、その平素なるなかに民心の信を保たざる主は亡びぬ。學に長じ武に猛きとて民を貧くして國の勢なく、根故盛華の治を大事とせざれば國亡ぶるなり。

衆に當り己れの好嫌を辭し以て平等の利權を常に天秤とせるは名主なり。丑寅の政主は是を護りて民心に統じたり。

享禄庚寅年九月三日
安藤宗廣

言語一句造敵勿

名君は口重くして臣能く従ふなり。常に輕口なれば気付かざる過ぞ生ずる也。己がままなる心ままならざるは、當任にありての言なり。國を司る君主はその議衆の言を統括して片そばず、常に公平一義を以て私にして忠言を反せず、衆の賛成に決しべきなり。

抑々、權に以て己れを先とせず、先づ以て上下の級に選ばず、末代をそして急難の件を先を先としべし。口論も智惠の出でるものなれば大いに主論を交ずとも、念を以て仇言を自他及ぼしべからず。亦、民を強權にその暮しを乱しべからず。年中の行事祭祀等の勝手自在を赦し置くべし。

亦、邑々町々にして富貧の差を造らず、富の栄威を飾るべからず。相調和を欠くべからず。常に言語一句とて傷心の言・恨念の言・報復の言を以て敵意を造るべからず。智識を向上しべきなり。是ぞ、丑寅の民心なる慈愛とし、相信じて渡るよし。

寛政六年七月一日
秋田乙之介

丑寅日本國悠久也

國の政は、内に開眼し外に閉眼するは國運を世におくらしむなり。日に去らず日に向へて速やかなれば、國運自ら隆盛す。

今、奥州は倭制の權に掌据さるるとも、必ず自在なる暁の至るあり。祖明の開化にある心の潜在意識を忘却するべからず。心して子孫を育むべし。依て、期ありては祖来の志気に歸順し山靼の彼方・紅毛人國の進歩に學ぶべし。

安東船が商易に海を道とせしが如く亦、安日彦王及び日本將軍安倍賴良その嫡子貞任が倭軍の侵略十二年に戦ふとも子孫人命を大事とし戦を解き領民を新天地に渉らせたる如く、人命尊重を一義とせしは丑寅日本國の名君たり。その報恩にも奥州は日輪の如く燃えよ。

蝦夷とはなんぞや。吾等の血潮は日本國先住一統の民なり。世襲は必ず訪れるなり。祖来の意識を忘るな。

寛政六年六月一日
秋田孝季

書宣

古代日本國たる我が丑寅の祖来の實史に基きて、遠きは山丹更に地果とぞ想はむ紅毛人の活居なせる國に巡脚し亦、本州及び南海道・筑紫に至る六十餘州の縁者訪旅巡脚に明暮れるままに綴りたる諸書一千冊に越ゆるも尚以て満さざるなり。

會たる人も數々にて間宮林藏・林氏平・髙山彦九郎・白井秀雄らの面々、皆心を同じゆうなり。世界擴大なりて文明開化におくるるは朝幕の國治になるかげりなり。世界は帝國をなせる國とて進歩し、世におくるるは此の國のみなり。

博學に盲學なれば民の知識なく、ただおくるる耳なり。依てかかる世襲は久しからず崩壊を速し他國なる殖民の奴隷國たらん國となりけんや。

安永丁酉年正月七日
和田壹岐

本巻綴記之要

本巻は三春藩史の控書及び諸集雑多になる綴りにて、時代不順にて探訪に見るがまま聞くがままにて筆記せしものなれば、何れの行文にも集史の參考たる雑記に等しかるべし。然るに、實義に等しきあり。

亦、玉石混合の文あり。選釋、甚々日時を要す。是を完筆・完文ならしむは、秋田殿亦拙者一生の命脈に足らず。後聖の者に委ねて、その世襲あるべくを祈る耳なり。

寬政六年十二月廿日
和田長三郎吉次