丑寅日本記 第一

孝季

序言

本巻は丑寅日本史の實傳を記逑せしものなり。古来、蝦夷地とて化外に視る余り、諸家にあるべき遺物や文献を焼焚し、多くの史證を消滅せり。然るに山靼流通の古習及び信仰は、今に傳えられ陸羽の往古に愢ばれむ。亦、語部録になる史證を余すなく綴りたり。

寛政六年十一月六日
秋田孝季

永遠なり丑寅之國

丑寅之國は海なるわだつみの底より隆起せる國土なり。山嶽より巨鯨の古骨石亦、異體知られざる巨獣の石化骨の雨崩なる山崖にいでぬるは、世に人の生れざる古期の世になる生物なるを想いり。山頂、巻貝・二枚貝・海虫の出づるありきは、是の國土なる元に在りきは、わだつみの底たる國たるの證なり。

此の國に草木繁り、山の噴火鎭まりて、鳥獣の住むる後にして、人祖は山靼より渡り来たりぬ。古人はこの古事を氷岩の渡り人と曰ふ。山靼より渡来せし祖人ぞ、故地の天候の異変に不毛化せる黄土嵐を脱して移るる鳥獣の跡を追ふるまま渡来せしものなり。マツオマナイのエカシに曰はしむれば、人祖渡来の創めを三十五萬年前と曰ふなり。

此の國をチパンと曰ふは、古人よりの國號なり。人の定住せる地域にて民族の稱名ぞ、今世に遺る多きも、もとより民族血統ぞ皆、ブリヤートの民にて、アルタイの大草原に毛象・毛犀・野牛・大角鹿を追狩なして渡り来たるものなり。抑々、我等祖先の渡り来たるは、最初になる草分けの民にてこれをアソベ族、次なるをウソリ族、次になるをツボケ族と曰へり。是より西に分住みを擴げむ民をアラ族、ニギ族とて坂東・倭・越・山陽・南海道・山陰・筑紫へと分住みたり。

依て、人祖の初めぞ、丑寅より創りたると覚つてあやまらざる史實なり。東日流に六千年前より石置・砂書・印彫などにて語る語印、民族間に流りて、遂にして語部の邑々に遺れるに至るなり。依て、古事を傳ふる由となるらむ。何れも山靼になる語印に基くるも、降世に於て丑寅獨特なる語印とぞ相成りぬ。近代に遺れるは糠部地方耳にぞ、めくら暦の一端に見らるなり。古きは土中よりいでくる器片に見ゆ他古人の住跡なる石神に印遺る多し。

抑々、我等祖人の學びの創なり。是ぞ素晴らしき事實なり。今に知らるツボケ族はツボと曰はれむ糠部に創住せる民なり。もとより混血統の民族にして、ゲルマン族・シュメール族・ギリシア族・モンゴール族・アヤ族らの混血になれる民にして、秀脳なる民族にしてアソベ族の先住權を制へて子孫を擴げ、吾らが血祖なり。

抑々、人祖の創めは野猿・山猿または大密林に生息せし猿候より分岐生成せる類にして成長し、その接しける風土地境にて人の類を種に異ならしめ、黒肌・黄肌・白肌の三種に誕生累代を異にせしものなり。今になる黒人・黄色人・白色青眼紅髪人との異ならしむは、是の故縁なり。然かるに、人たるの智能ぞ三種に異るなく、智に習へては同じなり。依て、種を異にして爭ふべからず。世にその因嫌を以て爭ふあらば、神の報復を受くものなり。

寛政五年二月六日
秋田孝季

歴史を神の創造と想不可

宇宙の創造、萬物生命の創造を神なる創造と説く多きは、歴史の筆頭になる諸説の常なるも、その想説は人心に依れる未知への夢幻架空の創造にして眞に當らざるなり。

凡そその實態を審さば、宇宙の創造も無時空の物質存在せざるなかに漂よう、重力の縮圧に押縮されて生じたる宇宙種が、密度の限りに越えて爆裂し、測り知れざる光熱を誘發して擴がりたる跡に創られき爆塵が生じ、億兆の時を重ねて縮集し、星と固りて天體を創造し明暗卽ち陰陽の恒星・惑星さながら軌道引力を保って成れる星の生死に依りて爆塵作に子孫星を多數に億兆の數になる星團ぞ、ひとつの銀河と曰ふも、星團銀河とて此の宇宙に何億たる數々に果ぞ無限にして、今尚以て、爆裂の先端ぞ暗黒の彼方に誘爆を擴げ居りぬと曰ふ。

依て、宇宙は星間を今に擴げ、星の生死を以て常に殖え居りきも、長時の行為なれば知覚に至らざる也。地界に萬物生命の誕生せしは、天地水の無機有機の成合生にて、生命の發生と相成り、亦、生物生命自から子孫を遺すべく、成長・分岐・進化を以て今になる世のあるべくなり。是ぞ、天地水のなせる法測にして成れるものなり。

萬物生命のなかより、人間のみ生物生命にあるべくと覚つ不可。徒らに自心をして神を造るべからず。神あるとせば天然の總てなり。人間、世に多殖し互に爭ふるは戦と曰ふも、その勝敗に喜憂ありきも運命の法測なり。依て、人が歴史を偽りて世に遺すとも、天知る地知る我知るなれば、天然に背きし行為なり。

寛政六年二月七日
秋田孝季

東國日本之誕生誌

抑々、地界の誕生以来、地理に以て気象の同じかるなく、天変地異の変時あり。人祖誕生の故地に於ては、永きアルタイ及びモンゴールの地にては、寒凍の世續きて後、解氷の世となりければ、表土の黄土風に飛び、黄土の嵐ぞ荒ぶれば、人の棲ふる地の山川に降砂して埋む。鳥獣草原に求めて移りきあとを、狩猟人追へにして住馴れき故地を離れむ。

東國日本國に人祖の渡来ぞ、是のときにして、北東になる海の氷上を渡り来たると曰ふ。何故にて北東の途を来たりしや。朝鮮を筑紫に渡らばや途近しとも、古人は翼なくして海峽を渡れざる無智の世なればなり。朝鮮を渡り来たる、此の時より幾萬年も後世にて、人は筏及び舟にて来たるはクヤカン族なり。是ぞ、今より二千五百年前にして、その以前にして渡来なしと曰へり。

人祖の族を號けて紋吾露夷奴族と曰ふなり。凡そ三十萬年乃至十五萬年前の古事なり。今に曰ふ山靼のブリヤート・モンゴール族なり。都度に渡来せる捨郷の民は、流鬼島に渡り、日髙渡島を經て東日流に渡り、海幸山幸の天惠に定着せし通稱アソベ族・ツボケ族・ウソリ族をして子孫を殖し、西域に移りゆきたり。是ぞ、わが丑寅日本國を誕生せしめたる元民なり。

山海の大惠たる幸、多かれど、常にして火山噴し、地震起り、津波多く、人々に神なる信仰起り、邑主の選ばれて司どられるに至りて掟あり。子孫殖えては住分けをせるが故なる西への移り多し。神は天然にしてイシカホノリガコカムイとて唱へ崇めたり。ウソリ族は津浪にアソベ族は噴火の災難にて亡ぶるあと、ツボケ族が子孫を殖したり。是ぞ、倭史に曰ふ蝦夷の祖人にして累代す。山靼と易の往来をして歸化になる者と混血併合して成れるはアラハバキ族なり。

寛政六年二月八日
秋田孝季

荒覇吐王と信仰の一統

耶靡堆國王阿毎氏初代・耶靡堆彦王の流系安日彦王のとき、筑紫日向の勢、佐奴王、一族を挙げて東征にいでむ。浪速の水門に大殉せども、髙嶋に退きて舟師をそろいて出雲・南海道の豪者を併せ、再度び攻め抜きて、遂には東政に勝じたり。

安日彦王、傷負へし弟長髄彦を柴引に乘せ東國に落つ。更に會津の湯場に湯治せしめて後、更に丑寅日本國に落着し、東日流に於て日本國を國號為し、一族に地民及び山靼民・クヤカン族・アヤ族らを併せ、茲に荒覇吐族とて神の御名に民族一統し、更に數別なる信仰を一神に一統信仰を旨とし、茲に王の代々をも荒覇吐王とて卽位せしめたり。

領の中央を髙倉ハララヤとし、隔ての領の東西南北に副王を配し、是を荒覇吐王と稱せり。更に、五王の隔てる領域にては縣主・郡主を置きて、倭侵を防ぐるに防人を坂東に配したり。依てその地、武藏と國號し、坂東安倍川より越の糸魚川に至る以北を日本國とて領有せり。

荒覇吐神を國神とし、神の睦み國とてルガル神のメソポタミヤ國・カオス神のギリシア國・ラアーアメン神のエジプト國・ブルハン神のモンゴール國・西王母神のアヤ國・オーデン神のロシア國・ゲルマン神のドイツ國・アブラハム神のエスライル等との歸化人になれる神々を一統に修成し、アラハバキイシカホノリガコカムイにて唱題して崇めたり。各々神を固崇せるも自在にして是を圧せねど、一族の大祭にては荒覇吐神の他、入れざるなり。

寛政六年二月八日
秋田孝季

ゴミソ神司の創め

東日流にゴミソと曰ふ神の祈禱師、流りて衆是れに參拝多し。

祀れる神ぞ海の神・郷の神・山神・火の神・雨の神・風の神・虫の神・魚の神・獣物の神・鳥の神・草木の神・雷の神・女の神・男の神・童の神ら雑多にしてアラハバキ神を主尊とせり。

祈禱法は卽興たる多し。依て、後世に至りては倭神に染まり亦、佛道の眞言修験の類になる多くして、古事なること露も遺らざるも、渡島になるイオマンテなるは古事になる傳統に縁りぬ。

オシラ神司の事

オシラと曰ふ神司あり。女人の神なり。

産の神にて女人總ての占を神懸りにて神の告を語る多きも、神事さながら卽興なり。神を雌雄に造り、後になる道祖神に染むれきも、異なるは駿馬を神とせるありて、鈴を首懸けに七色の布を装はせる多し。

神體陰部なりせば布に包みていだしことぞなかりけり。神體となるベく神木は紫桑の木を用ふること多し。由来遠く尋ぬれば女媧・伏羲の一説亦、七夕の行事になる説、更には白山姫と馬神山の恋物語りになる多けれど、荒覇吐神なる陰陽神よりなれるものなり。

イタコ神司の事

イタコとは冥土黄泉に赴けし親族の靈を招きてその靈媒に當るる神司をイタコと曰ふなり。

かかる靈媒の神事ぞクリル族や山靼歸化人の授傳に基いせるも、後世にて佛教化になれるまゝ今世に至りぬ。

イタコとは、古きはダミカムイにコタンの葬儀を司どる盲人女にしてなれるを、いつしか佛法に以て行ぜる事と相成れり。今世にては、地藏信仰と同供養として祭文せる多く、古事なる露もなかりけり。

寬政六年二月九日
秋田孝季

日本國古史正傳

宇宙之創誕

抑々、宇宙の創りは時空も無く亦、物質に成れるもの無く、ただ暗黙と冷々たる無明のなかに輕重の圧縮起り、その重力に押縮されし一点に、計り知れざる密度になる宇宙となるべき種原誕生し、重圧なる重力を突如として大爆裂を起し、重圧の力、殻を破りしとき日輪の百億倍、地底の火泥熱の百億倍になれる光熱起り、その爆放とどまるなく宇宙を擴げたり。

卽ち、爆裂に依りて宇宙塵、煙の如く計り知れざる大量にして、爆裂のあとに生じたり。今より億兆になる年前の出来事なり。卽ち、宇宙と物質の誕生なり。

かかる煙塵の宇宙塵、過年に重ねて宇宙の力作用にて相縮集せるより星の誕生と相成り、星團となれるは銀河宇宙の誕生なり。星にも生死あり。星の死は爆裂し塵となり、その塵より子孫星を誕生せしむなり。

日輪及地界之誕生

宇宙創生の星の死より、暗雲の如き宇宙塵となりきより集縮して誕生せしは日輪なり。

その日輪を中心にして残れる宇宙塵より地界誕生し、日輪を圓周せる惑星とて誕生せし星ぞ水星・金星・地星・火星・木星・土星・海王星・冥王星らにして、日輪を軌週せる惑星たりと曰ふなり。月界は地界を軌週せる星なり。

日輪の當光に依りて新月・満月に軌週せるに依りて日蝕・月蝕、一年を三百六十五日たる暦を成さしむも、月界ありてこそなりにける。日輪・地界の誕生せしは凡そ數十億年前のことなれど、詳細を知れるは後世の聖人に委ぬるなり。

地界生命誕生

此の地界誕生は日輪に程よける隔りにて、火球にて誕生せしより、冷却し天週に雲とて湯気上がれる水ぞ地界に豪雨を降しめたり。地殼の七割を海と占たる水溜りぞ大海なり。

海濱に菌の如き地と水の化合にて生命の種原誕生し、海草となり、やがては陸に草木を繁らしむは、水中に發生せし黴生藻苔より進化せしものなり。亦、線虫の如きよりクラゲ黴虫に分岐せるより貝・虫・魚・鳥・獣に分岐せる萬物生命體より人間、世に顯れたるは近年にして、萬物生命進化より何十億年と隔りぬ。

人間となりきは猿候より分岐し、未だ一千萬年に足らざるなり。陸に生々なせる獣類にても生命の故海に退進化せるもありける。鯨・海豚・膃肭臍・海豹・鯱・海蛇・海亀などなり。猿人より人間となりにし吾等の祖先故地ぞ山靼なりき。

新天地住別之人祖

地界誕生以来、常にして海隆起、陸没亦は大陸分裂たるの天変地異海異の変起りぬ。紅毛人博士は曰ふ。有尾の人祖より人間となりけるの間、地変天候の変起り、緑地は砂漠となりにける。支那の黄土原野の如く、黄土嵐吹ければ、人の住ける故地ぞ飛土塵に覆はるなり。依て、人より先にして鳥獣新天地に移りき。人間、狩猟に飢えてその後跡を追へり。

山靼より東北へ幾山河を越え渡り、此の國に落着しける民こそ吾らが祖先なり。 號けて是を紋吾露夷土族と曰ふ。卽ち、ブリヤート族と曰ふ。太古より山靼の北極までも分布し、毛犀や大牛・毛象を狩猟せる民族にしてブルハン神を一統崇拝せる古民族なり。寒気に強く亦、砂漠に強く生々し、その分布に於てをや。

山靼は紅毛人國・ブリヤート族・モンゴール族・オロチヨン族・ギリヤーク族・オロッコ族・クリル族・エシキモー族・アメリカンエンディアン族・マヤ族や南米インディオ諸族にして、その生々分布は古代に於ける黄土嵐に依りて新天地を求めて分布せる吾等が祖先と継血を同じうせる民族なり。

吾が國の丑寅に定着せる三十億年乃至十五億年前の萬物蘇世の代より、未だ人の住まざる地、人跡を遺したるは十萬年乃至七萬年前の渡来歴に在りと、古人は語部を通して今にぞ傳へ遺しけるなり。草木・果實・海濱の魚貝採集・狩猟を以て生々し、子孫にその衣食住の智惠を今に遺せり。

稻作渡来

狩猟・漁撈の定着生々より、農耕をなせる民族になりけるは、凡そ二千年前に支那より漂着せし郡公子一族の布教せるものなり。更には山靼人の歸化定住にて金銀銅鐡の採鑛に岐を修めたり。

亦、既にして信仰を心に入れし民族にて、稻作をして民族併合し此の國を日本國とて國號せしは、古代丑寅の住民にして、荒覇吐王國を建國せるは二千五百年前の事なり。

耶靡堆より阿毎氏の一族、西國に爭動あり、敗れて此の地に大挙落着し、民族を併せ王宮ハララヤを築き國を治むるの創めは二千年前の歴を明らさまにせり。

信仰一統民族一統之政

住むる國を日本國と國號し、民族稱名そして信仰せる神を修成し、俱に荒覇吐族・荒覇吐神とぞ稱したるは、民族調和を一義とせる苦策なり。諸々の國政智識をぞ山靼に習へて、神格をも一統信仰せる挙國の政を行ぜり。

卽ち、安日彦王を正王とし、その副王を長髄彦王とせる他領域、東西南北に四人の補佐王を配し更に東北・東南・西南・西北・北西・北東なる間に郡主を置き、間驛尚隔つる處に縣主を配し、是を荒覇吐五王郡縣主の政とし、中央なる王居に部之民を配したり。

部之民とは各々特岐にありき職種にありき民を曰ふなり。卽ち馬飼・犬飼・鵜飼・鷹飼・語部・楽器・鞍造・玉造・木造・稻作・杣夫・漁師・葬儀・船造・祭主・占部らありて國議を謀りぬ。要職なりせばその傳統を重じて継ぜる民の部なり。王居ハララヤを護るは武人にして、各五王の下に防人を配したり。

丑寅日本國にては、山靼兵法を以て騎乘夫・徒攻夫・海舟夫の三軍に隊伍せり。政事の決断にては、邑長エカシ・郡主オテナの長老を召して謀議なして行ぜらるなり。兵挙・道造り・拓田・水利・伐採・探鑛・タダラなど諸行に於て議決とせり。諸價の算は物交なり。稻價を定めて諸産物是に習ふなり。

信仰に於ては山靼渡来なる諸教の神々を修成し、先づ以てアラビア國なるカオス神・シュメールなるルガル神・山靼なるブルハン神・支那なる西王母神・女媧神・伏羲神・天竺なるシブア神・ヤクシ女神・北紅毛人國なるオーデン神・クローム神・エジプトなるラーアメン神・エスラエルなるエホバ神・アブラハム神・アラビアなるアラー神らを一修成し、加へて吾が國古来の地神ホノリ・宇宙神イシカ・水神ガコを併せてアラハバキ神と一統修成せり。

依て信仰一統なりて、陸羽及び倭國更に南海道・筑紫までも及びたり。

歴史實相記語印

諸々の出来事を末代に傳へむ語印は語部にて後世に遺りけり。語印に五種あり。五王のもとに常住す語部に五種あるが故に、語印亦五種に遺りぬ。卽ちアラビア型・メソポタミヤ型・エジプト型・ギリシア型・モンゴール型の五種なり。山相交流を以て渡りたる紅毛人の導きとも傳ふるなり。

抑々津保化族はもとより語傳石置または砂書きにせるありて言傳せる古習ありきも、各様一統せざるものなり。過却之事・信仰の事・算術の事・地案内の事・薬治の事など語部に遺れる多し。

右は巻頭の画を釋したるものにて能く覚つおくべし。

文化二年十一月六日
秋田孝季

イシカカムイへの求道

古代信仰の大要は宇宙への神秘なり。日輪が暮れ、暗がりの大空にまたたける星々、ひときわ明るき月光・青白く光る昴・赤い火星や金星などなどに神として宇宙への創世を想ふたり。

宇宙の創りは如何なるより生じたるか、古人の想いは絶えざる究明に夜空を見詰めて結論とせるは、山靼より歸化せる古代ギリシアなる神話なるカオスの神に宇宙種原は造られきものと信じられたり。

卽ち無になる他、何ものの物質亦時空も無ける宇宙創世前なる無界にありけるは、輕重に漂ふ重力あり。その圧縮に依りて成るは、論説もならざる密度の宇宙種ぞ成るや、一挙に大爆裂し測り知れぬ光熱ぞ發し、果しなく誘爆を以て時空を擴げたり。この起原を發生せしはカオス神なりと曰ふなり。

爆跡に遺りたるは宇宙塵にて、雲の如く大宇宙を漂い乍ら重力に押されまたは縮められ星々が誕生せり。數十億になる星々の一團を號けて星雲と曰ふ。一團の星雲に何億と團結し、此の宇宙にぞ、その星雲團でさえ數億に及べりと曰ふなり。その一星團の一隅に吾らが天體、日輪・月輪そして地界は成れるものなりと曰ふ。かかる論説ぞ紅毛人博士の定説にしてギリシア・オリュンポスの神話の大要なり。

更には古代シュメールのルガル神になる神話の一致せる信仰の要原なり。古来より日輪を神とせるはエジプト國の神ラー・アラビアの神アラーなれども、支那になる道教にては是を木火土金水の五行に説き、或いは伏羲神の宇宙構成と説き、天竺にてはシブア神なる大宇宙の創造と破壊と説けり。年毎に星間は隔て、星に生と死あり。星の死はラーマヤーナに説きけるは、赤く巨星となりては爆裂して死すと曰ふ。

然るにその爆裂塵が黒雲となり、その黒雲より新星が誕生すと曰ふ。依て星の死は子孫星を誕生せしむ轉生の法則にして、宇宙創世よりの原則なり。人の生死も然なり。星の雄は輝ける恒星にして、雌は暗黒星なりと曰ふ。

依て萬物の生命誕生得る星ぞ、恒星の隔たりに適當せる圓周軌道に在らざれば萬物の蘇生あるべからずと曰ふなり。イシカカムイと崇むる丑寅日本國の一統信仰に成長せしアラハバキ神は、古代神イシカカムイの宇宙神秘の求道の是あるより發心されたる神格なりと覚つべし。

寛政六年十月一日
石塔山管主
和田壹岐守吉次

ホノリ神への求道

大地は萬物生命の産れし母胎なり。父なるイシカより陰陽の大惠を授けにして生命種原ぞ一種に誕生して以来生々分岐成長なし、菌・苔・藻・草木・虫・貝・魚・鳥・獣の類々萬物に進化退化の輪廻をして、世代生死を以て子孫に遺りけるは、人間とてその分岐成長への一生命にある存在なり。

抑々ホノリカムイとは陸にあるべく山川草木みなながら神格なり。金銀銅鐡そして燃ゆる石・燃ゆる地湧油ぞ丑寅日本國に産す。冬至りなば地湧の湯に、夏至りなば湖水・渓流・海濱の涼に身の置處とせし自然ぞ、みなみな神の造れしものにして萬物は生死を輪廻し、育む自然の法則に逆らふべからず。萬物は生命を相呈し合い乍ら、生々あるべき一物の生命をも大事としべきなり。

人間一人の生々五十年としてのうちに、自然に生えし他生命の喰へし數ぞ、億兆を越ゆ程に餌食と殺生せしを神に悔ふべし。一粒の米とて一つの生命なり。依て信仰に以てイシカ・ホノリ・ガコの三神に生々の罪を悔崇しべきなり。

神は人間に耳大地を與へたる耳ならず、萬物生々のために與へたるものなり。神は亦、人をして人の上に人を造らず、人の下に人を造ることなし。萬物はみなながら神の子にして天地水の大惠に浴せざるはなし。

寛政六年十月二日
石塔山管主
和田長三郎吉次

ガコ神への求道

水は大地の底をも流動し亦、湯気に昇りて雲となり雨となり雪となり雷となり稻妻となりて、天空地底を回遊す。海をして陸地の七倍にあり、海に水生萬物を生誕せしむ。陸生の生物とて人體をしても七割に及ぶる水にして成れり。

ガコカムイとは生々に於て一刻も不可欠なるものにして、萬物を永代に子孫を遺しける。水は平らかなるを本能とす。水、平らかならざれば荒なり。卽ち是、神なる御心なり。

風が空を荒ぶるも寒暖に依りて起れる水の起力なり。空気を造れるも水なり。水は寒に凍結し、暖に解くる。生物の血となりては血脈をして身體を育む。總てなる生命體の起原なる生命の創まれるは水なり。ガコカムイとは古人の神とせる天地水の要素たり。依て、丑寅日本國になる大古よりの神なり。

山靼なる人祖の國アルタイ・ウコック・スキタイ・モンゴルそして紅毛國人祖の國ゲルマン諸國になるギリシア・ローマ・マケドニア・アッシリア・メソポタミア・エジプトに相通ぜる神の威になる神獣あり。

支那の饕餮・エジプトのスフェンクス・スキタイのグリフインら是れ古代ギリシア・オリユンポス山十二神になれる神話の神なり。是ら神獣の猛威とせるは惡なす者すべてを喰いつくすと曰ふ。此の神獣は水の神ブルハン神の與へし鯰を餌とし、不死の神通力、その全能なる靈力を以て成る神獣と曰ふなり。

吾國にては是をモウコと曰ふ。トウテツ・スフインクス・グリフェンら三獣を神なる次の神として祀れり。アラハバキとはこの神獣を従へる神とせり。ガコカムイの本體を曰ふならばキリン・龍・トウテツ・スフインクス・グリフインを飼ふるブルハン神・ルガル神・ラー神なるを修成なして、更に西王母・女媧・伏羲神を加へてアラハバキカムイとせしは、丑寅日本國一世になる安日彦王なりとぞ東日流語部録に遺れり。

寛政六年十月三日
石塔山管主
和田長三郎吉次

アラハバキカムイへの求道

イシカホノリガコカムイを一結修成なして崇むをアラハバキカムイと古人は崇めたり。卽ち山靼及びはるかなる草原の道、黒龍江を道とて渡り来たる神の要なせる故縁なり。

古代に於ては倭國・南海道・筑紫へも渉りき神なれど大根子彦ぞ倭國天皇になりてより廢されきも、神の威強けくして門客神・門神・客大明神・荒神とて社を今に遺せり。大元神社・荒脛巾神社・荒磯神社・磯崎神社・荒吐神社・荒神神社・大三輪神社・白山神神社・白鳥神社・白山毗畔神社・姫神社・鬼神社・白神山神社、その改名になる荒覇吐神社今に多きなり。

東日流にては巌鬼山神社ぞ、もと三輪村に祀りき大石神堂より鎭移せる神社なり。岩木山なる頂峯三峯ぞ、中央イシカ・右をホノリ・左をガコ神と祀りきは、岩木山神社なる大古の信仰なりと曰ふ。亦、東日流中山にては魔ノ岳・大藏岳・木無岳を連峯にして荒覇吐神三神とせり。

寬政六年十月三日
石塔山管主
和田長三郎吉次

奉納/聖獸神像 画の十八


寶歴二年 氷川峯五郎

奉納/画の十九


荒羽吐神社御寶前 十三湊 本吉屋

甦必丑寅日本國史

吾等の脈うてる血祖ぞ山靼にして、倭史に曰ふ神州にして天皇は神代より萬世一系に非らざるなり。唐書に明らけく丑寅日本國は本よりの國號なり。日髙見國・日下國・化外地蝦夷國と號けしは倭國の輩なり。

此の國、倭に同じゆうして稻作を耕労し、北より東日流大里の豊葦原・北上川流域な豊葦原・秋田米代川・雄物川流域・庄内仙北大平野・會津及び阿武隈川流域平野に至る稻作ぞ、倭國より尚速やかたり。神を數にせざる一統の信仰に改たむより人をして生々の平等救済、上下の階級を造らざる政事の固持にては倭政と雲泥の相違たり。倭朝が支那・朝鮮と交易にも侵略を試みて失墜しせるときとて丑寅日本にては、交流を途絶ふることぞなかりけり。

山靼に丑寅より次男・三男の移住多くして、その子孫ぞ蒙古系ブリヤートなりき。此の國より吾が國に移住歸化せる早期にては、ゲルマンに襲はれて敗れしスキタイ民族なり。今より七千年餘のゆがめらる世の民族爭動ぞ起り、ゲルマン族に追るるまま四散せるも、奇馬群盗王たる遺跡は、ただ石敷きたる墓陵ある耳なり。騎馬民族たるスキタイの亡ぶるは、天候風土の異変に馬の流疫死相續き、一族を指揮せる王のなきが因果たりしもモンゴール・ブリヤート族ら是を受継ぎて騎馬軍團の絶ゆなきは、わが丑寅日本國までも流習せり。

馬の渡れるは丑寅日本國が馬産の始めなり。産金貢馬の要因はシキタイ民族の傳統に習はしめて黄金の採鑛を知るに得たり。凡そ六千年の古事にして、津保化族の王國ありて栄えたるは是の如きスキタイ族の流傳にありけるを覚つべし。アラハバキ神像に施工せる紋様ぞスキタイの流風になるものなり。

彼の民の埋葬にては頭を東方向なして埋むを習へとし、吾れら荒覇吐族は北斗の星に向かわしめて葬せるはブリヤートの習傳なり。スキタイ族の傳習を入れたるは騎馬術チャバンドウなり。丑寅日本國の馬産に去精せる手術法ぞスキタイ民族の手術法なり。

脱睾丸を馬尾に結び干落せるまで二歳馬になせる法もまた、より良き駿馬を遺す方法なりき。倭國にては、かかる睾丸の脱精手術なきが故に雑種に溢れ駄馬耳にして、わが奥州になる馬産ぞなかりけり。安日駒・糠部駒・三春駒ぞ産馬の秀たり。抑々、馬とは冥の往来になる靈聖の乘馬に、人は生死の往来を自在とせる馬地藏、繪馬を神社に奉寄せし習へぞスキタイの傳統たるを知るべし。

寛政六年十月五日
石塔山管主
和田長三郎吉次

馬神山由来之事

東日流中山に馬神山あり。此の山峯に祀れる神ぞ馬なり。はるかアルタイ草原より黒龍江添ふる草原を流鬼國に渡り、渡島を經て東日流石化崎に筏に着せる、前方になる山を馬神とて古人は號く。馬を神とて祀りしは津保化族・阿蘇辺族・宇曽利族、相共ぜる信仰なり

奥州に遺れる木馬にせる八幡駒・三春駒ぞその證なり。亦デゴ・メゴのコケシも亦、馬の渡来になるオロチヨン族の習傳なり。大鹿を追ふは馬にて狩猟せではならざる不可欠なるものなればなり。糠部になるエンブリ・南部になるチャグチャグ馬行列・相馬になる馬追・東日流になる馬地藏みなながらはるか馬の故地スキタイのアルタイ草原に續ける野馬の行事に習ふる傳統なり。

亦、秋田の米代・東日流の岩木川・仙北を横断せる雄物川・庄内平野を西海にそそぐ最上川・陸羽を境流せる北上川・東海にそそぐる阿武隈川に共通せる大鯰傳説に縁るその故縁なるは、はるかスキタイに崇拝せる大鯰信仰に依れるものなり。倭史にして何事も支那・朝鮮渡来を以て丑寅日本史を探りけるは當らざる空想なり。

寛政六年十月六日
石塔山管主
和田長三郎吉次

以上、本巻に記せし事々ぞ言々須く眞に非ざるはなかりけり。要に注すべくは倭史に基きて丑寅日本史を當がふべからず。倭史とは元よりの根本を異ならしむは丑寅日本國史なり。能く心得べし。

以上、丑寅日本記第ママ巻を筆了す。

秋田孝季
和田長三郎吉次